熊野速玉大社

熊野三山の一つです。熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神としています。2004年に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の構成資産・大峯奥駈道の一部となっています。
熊野速玉大社

境内には神木とされる天然記念物の「ナギの木」の大樹があります。現在の社殿は明治16年9月に炎上し、その後再建されたものです。
熊野速玉大社

拝殿

もともとは近隣の神倉山の磐座に祀られていた神ですが、いつ頃からか現在地に祀られるようになったといわれるています。神倉山にあった元宮に対して現在の社殿を新宮とも呼ぶのもこのためです。
熊野速玉大社

ここには「撮影禁止」の看板は立っていません。肝っ玉太い!
熊野速玉大社

手力男神社と八咫烏神社
いつの間にか拝殿の扉が開けられていました。おぉ!

神倉神社

では、元宮の方にも行かないと罰が当たりますよね。
熊野大神が最初に降臨した聖地。熊野古道中の古道と謂われる自然石を積み上げた石段を上り詰めた神倉山の中腹に、ご神体である「コトビキ岩」があります。頑張って登ります。
神倉神社

自然石を積み上げた石段。これがまた半端ではなく急坂です。こんな急坂見たことない!

ここをトレランで何度も往復しているランナーがいました。脱帽です!
ゴトビキ岩

元宮となるコトビキ岩です。岩がご神体縄kですが、街を見下ろす絶景地にあるのは凄いと思います。
神倉神社

ゴトビキ岩の下に神社が祀ってあります。なんとも気分が良いところです。
神倉神社

新宮の市街地が一望できます。あれ、速玉大社は?見えませんね。
神倉神社

降りるのはもっと大変です。間違って転倒したら恥さらし、いや大怪我まちがいなしです。そうでなくても前歴がある人がいますから。(笑)
無事に降りてこれてよかった。
なに?迂回路があるってか?

新宮城跡

新宮城は元々丹鶴姫が住んでいたということから「丹鶴城」、または、熊野川河口の先に太平洋を眺められることから「沖見城」とも呼ばれています。

また階段を登るんですね。ふぅ、暑い!
新宮城跡

地元の熊野酸性火成岩を用い石塁を積み上げた優美な平山城が竣工した。小粒だが完成度が高く、日本一の名城とも言われたようですが1871年廃城となり、1875年建造物がすべて取り壊されました。

暑くてまたベンチに座り込みます。
新宮城跡

本丸跡付近から新宮を眺めます。港があり、軍港とともに経済的物流港の役割も果たし、上質の炭や鯨油を江戸に販売していたとされます。炭は江戸の炭消費量の3割を賄ったといわれる。第九代城主・水野忠央(ただなか)は、他藩が羨む大富豪であったそうです。
さ、降りましょう。
阿須賀神社

現在は新宮(熊野速玉大社)の境外摂社とされた阿須賀神社に行きます。近くの蓬莱山を御神体とする自然崇拝の祭祀場であったのではないかと思われます。
阿須賀神社

ここ阿須賀には徐福が上陸したという伝説があります。徐福とは、紀元前3世紀の中国、秦の時代の人物で、道教方士として始皇帝に仕えていました。徐福は始皇帝の「不老不死の仙薬を探して来い」との命令を受けて、少年少女3000人を伴う大船団で東海に船出し、そして2度と秦に戻ることはなかったといいます。その徐福が阿須賀の地に上陸し、蓬莱山の麓に住みついて、里人に農耕や捕鯨、造船、製紙などの技術を伝えたのだといいます。
阿須賀神社
阿須賀神は社伝によれば紀元前423年に創建されたそうですが、詳しいことはわかっていません。現在の社殿は、1945年に米軍の空襲により付近の民家約200戸とともに焼失したため、戦後、1952年に再建されたものです。阿須賀神社はじつは熊野発祥の地であるといわれています。
浜王子

もとは海の神を祭る宮だったが、熊野信仰の興隆の中で、王子社として知られるようになったようです。王子神社は、戦前までは松林に囲まれた広い社地を有していましたが、今日では住宅地に囲まれたこじんまりとした神社になっています。明治12年(1879年)に阿須賀神社に合祀されましたが、大正15年(1926年)に復社しました。
浜王子

王子ヶ浜に近く祭神は稲飯命と三毛入野命です。神武東征のみぎり、海神の怒りを鎮めるため、この二人の命が海中に身を投じた神話によるといわれる。古来から海の神を祀る海浜の宮であったと思われますが、熊野信仰の発展とともに、熊野神の御子神を祀る王子社として知られるようになったようです。
浜を歩く

松林を抜け堤防を抜けると浜に出る。炎天下の中、浜を歩くんかい?いやぁ、参りますまぁ。
延々1.6km

熱中症になりそうな炎天下を約40分歩きます。砂浜でもなく、砂利だらけの海岸はなんとも歩きにくいし、疲れが倍増します。
高野坂登り口

JRの高架下をくぐり、やっと登り口にたどり着きます。線路ではJR関係者がなにやら線路のメンテを行っています。
高野坂登り口

薄暗い山道なので御手洗の念仏碑、孫八地蔵を見逃してしまいます。
五輪塔

盲腸線になっている五輪塔を見に行きます。下すぐ下をJRの線路が走っています。
展望台へは

金光稲荷神社を脇に見て展望台に行く予定でしたが、なんと「進入禁止」(台風被害の影響)の看板が立っていて、展望台には行けません。がっくりです。

イヌビワが沢山生っており、バクバク食べながら進みます。
高野坂降り口

畑の中をとおて三輪崎駅の手前に出ます。舗装道路は歩きたくないものです。幸いサポート隊のSさんが途中までお出迎え。\(^o^)/

弁慶生誕地

弁慶はこの地で生まれたのでしょうか。初めて知りました。
本日の歩行はまだまだ残っていますが、熱くて疲れたので文明の力に頼ろうかと思います。幸いサポートカーが来たので全員一致位でサポートカーに乗り込んで今夜の宿に向かうことにします。はぁ、楽ちん移動です。
特急電車が

踏切の警報が鳴り出し、遮断機が降りたので超ローカル列車が来るかもと期待してカメラを向けたら、どうやら特急電車のようです。

では、今夜の宿に。
今夜も呑蔵

いや、例外なく毎日相当量飲んでいるのですが、今日の酒は今日の飲まないと。
紀州には旨い酒が沢山あります。それも、関東には出回っていないのが。ご主人が日本酒研究の趣味だそうで、飲む前に試飲させてくれます。
結局は

何が何だか解らずに、「左から順に行くぞ!」ほら見たことか。(笑)
徳利とオチョコなかなかのハイセンス。マスに溢れさせるのではなく、おちょこに溢れさせるのです。売っていたので買い。
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