雨宿り

牛馬童子の手前で夕立となり、ちょうど国道に近いところで道の駅があったので雨宿り。30分ほどで雨も小降りになったので再び歩き出します。
牛馬童子

雨上がりで煙る杉木立の中を歩きます。清々しい霊気に包まれたかのような森の中に牛馬童子はあります。。
牛馬童子像

牛と馬にまたがる僧服の石像は花山法皇の熊野詣の旅姿であると言われています。高さ50cm程の姿はあまりに小さくて驚きます。牛馬童子像のある箸折峠は、花山法皇が食事をとるため休憩した際、近くに生えていた萱を折って箸にした為、その名がついたと伝えられています。
近露へ

急な下り坂の途中に展望台があります。日置川と近露が一望できます。山座同定は無理です。^^;
ここで外国の男性が1人で来ました。
どんどん降りていきます

近露に向けて民家の横を抜けています。途中に大きな桜の木がありました。
北野橋

日置川にかかる北野橋を渡ります。すぐ近くに「なかへち美術館」がありますが、時間がなかったので美術館はパスします。
近露王子

鎌倉末期の熊野縁起では准五体王子にあがっています。参詣者は古くから川でみそぎをしました。後鳥羽上皇はここでも和歌会を催しています。院政期の御所は川を隔てた対岸の方にあったそうです。
民家には提灯が

近露の民家には例外なく提灯がぶら下がっています。近露の古道沿いには「もと旅籠○○」と書かれた看板を立てた民家が多くあり、賑わった頃の雰囲気が感じられます。
休憩所

古美術でも扱うような家もあります。もしかしたら休憩所も兼ねているのかもしれません。ふくろうの彫り物があります。
近露伝馬所跡

ここに伝馬所があったそうで、そのあと旅籠となり、雑貨・酒店となり、今は小さな喫茶店・土産物店になっています。
野長瀬一族の墓

ちょっと脇道にそれると、五輪塔・宝筐印塔(ほうきょういんとう)が立ち並ぶ野長瀬一族の墓があります。凄い勢力を持った一族だったのでしょう。
近野小学校

熊野古道に戻ると近野小学校があります。校庭には薄く雑草?が生えており夏休みを感じさせれくれます。

近野神社

神社がありますが、階段を登る元気がありません。疲れ果てた2名は階段の下で待機することにします。(笑)
これが失敗で、実はここには2つの王子が合祓されているんだそうな。
楠山坂

またここから古道に入ります。ピークを過ぎたあたりで展望が開けます。
お休み処

ところどころにお休み処が点在しています。宿なのか何かの店なのかよくわかりませんが、皆さん気さくに話しかけてくれます。親切ですし。
乙女の寝顔

好展望地があります。看板を見ていたら「乙女の寝顔」とあります。視線を右の方に回すと、確かにそれらしき山があります。
比曽原王子

杉の木の根元に緑泥片岩の碑があります。これは江戸中期にすでに社殿がなかったため建てられたものだそうです。王子名は後鳥羽院御幸記ではヒソ原だったようです。江戸時代には近くに手枕の松という名木があって、文人たちの注意を引いたようです。
継桜王子

伝馬所跡を過ぎると野中地区の王子社である継桜王子です。社殿は石段の上にあります。境内に一方杉の巨木が10本ほどあります。王子名のもとになった継桜は秀衡桜と呼ばれ、今は東方約100mの所にあります。王子の前の断崖の下に、日本名水百選の「野中の清水」があります。
野中の一方杉

境内にある樹齢800年の杉の木群です。10本近くあるうち、最大のものは幹の周りがおよそ8mもあります。みな同じように、南にある熊野那智大社を慕うように枝を伸ばしているので、一方杉と呼ばれているわけです老木の空洞は、優に20人の大人が入れるほどの広さがあります。

継桜王子

ここの野中には「一方杉」や「野中の清水」、「継桜」等見所満載ですので休憩にも最適です。
とがの木茶屋

この休憩所で冷たいお茶(冷たい水)を飲ませていただきます。聞けば、この下にある「野中の清水」だそうで、そうと聞けばもう汲みに行くしかありません。でもその前にもう一杯お代わり!(笑)
外国人をご案内

ニュージーランドから一年前に移住して来た17歳の青年は日本語ペラペラ。そこに「この近くでキャンプしたい」というフランス人2名が現れて、困惑。キャンプ場の案内や、他の候補地を探しまくっています。明日の再会を期待してあるところに案内します。
野中の清水

崖下の道路まで「野中の清水」を汲みに降ります。手が切れるような冷たさです。頭から水を被ってすっきり。ペットボトルがすぐに水滴で真っ白になります。

実は山の反対側にも「高尾山(たかおやま)の清水」という超おいしい水がありますが、こちらはあまり宣伝されていません。
大休止になります

水汲みに行ったりしていたので30分もの大休止になってしまいます。この分だと今日の行動予定(小広王子)までたどり着くのに黄色信号が灯ります。
おっもしろい看板を見つけました。100万円だって。(笑)
秀衡桜

継桜王子社から約100メートル東の道端にある大きな桜が「秀衡桜」です。昔は継桜王子の社前にあったようですが、前の桜も明治の水害で倒れてから現在の場所に植えられました。
秀衡桜

 秀衡桜は、奥州の藤原秀衡が、生まれたばかりの子を滝尻の岩屋に残して熊野へ参る途中、ここで杖にしていた桜を地に突き刺し、それが成長したものだという伝説があります。
中川王子

「中川王子跡」という案内板があります。舗装道から少し外れ、山に登ること約1分で中川王子の碑があります。例によって健脚2人におまかせです。(笑)
中川王子

登ること1分の山中に「中川王子」と刻まれた緑泥片岩の碑が見られます。かつては熊野参詣道がここを通っていたことを物語っています。比較的早く設けられた王子で、中右記に「仲野川王子に参る」とあります。後鳥羽院御幸記では「中の河」ですが、修明門院御幸記では「中川」と出ています。鎌倉中期の経俊喞記にも「中川に於いて一献を構える」とあるそうです。
新高尾トンネル

本日は日没のためそろそろ中断します。道の右側に封鎖されたトンネルの入り口が見えます。現在も中辺路のバス時刻表を見ると「高尾隧道」(たかおずいどう)というバス停がありますが、それがここになります。このトンネルは林道への入り口で、もちろん熊野古道ではありませんので、このまま左の方に道なりに歩いていきます。
先に休憩所とトンネルの入り口があります。 栗栖川・近露からここまではバスが来るのですが、ここで引き返します。本宮へ行くバスは、現在の国道311号線を通るので、ここには来ません。本日はここまで!
福定の大銀杏


宝泉寺境内にある樹齢推定400年の大銀杏。幹の周囲5.3メートル、高さは22メートル。根元から高さ4メートルで幹が数本に分かれ、千本銀杏とも呼ばれています。
福定の大銀杏

紅葉の見ごろは10月下旬~11月中旬頃で、この福定の大銀杏の紅葉を楽しみながら、熊野古道を歩く人々が増えてきているそうです。
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