田辺市熊野古道館

熊野古道中辺路(なかへち)ルートの起点にあたる「滝尻王子」の入口にある施設です。1995年(世界遺産に登録される9年前)にオープンしたそうです。十二角形をしています
まずはお勉強

熊野古道ってどこのこと?
中辺路ってなんと読むの?
熊野古道を全部歩くと何日かかるの?

事前に予備知識を入れておかないとえらいことになりますよ。にわか勉強ではとても太刀打ちできません。
平安衣装でパチリ!

そんな悠長なことをしているヒマはありません。

ささ、出発いたすぞ。

今回は強力な助っ人「語り部」さんがいますよ。
滝尻茶屋


熊野古道館の前、滝尻王子前の広場にあります。現在、営業はしていませんが、無料休憩所です。ここで出立準備をします。
滝尻王子

世界遺産に登録されている中辺路の出発点となります。社格の高い五体王子です。川の合流点にあたり、古道は背後の剣ノ山に登ります。参詣者は川でみそぎをし、社前で経供養や里神楽が行われ、後鳥羽上皇は和歌会を開いたといいます。
看板

熊野古道の看板はずっと立っています。この看板以外にも、500m毎の距離表示や一里毎の塚もあります。

薄暗い山林に分け入ります。
胎内くぐり

さっそく現れました。この石の中をくぐって行くのです。トップは無事に通過しましたが、セカンドは無理です。(笑)
無理せずとも迂回路があります。(笑)
不寝王子

滝尻王子から背後の剣ノ山の坂道を400メートルほど登ったところに、不寝王子の跡だとされる場所があります。秀衡伝説で知られる乳岩(写真は不鮮明でボツ)の少し上にあります。不寝王子の名称は古い記録に見えず、九十九王子のうちに入ることもありません。
熊野古道の雰囲気?

的確な距離表示があるので安心して進むことができます。
もっと先に進めば苔むした古道がありますが、まずはなんとなく時代を感じさせる古道です。
剣ノ山経塚跡

今登っている山を剣ノ山と呼んだようです。どこに何が残っているかよくわかりませんでした。^^;
古道ケ丘

今回お世話になったTOMさんの家はこの下にあります。古道ケ丘には寄りませんでした。
飯盛山(標高341m) 展望台

熊野古道では高い山、低い山いくつも登ることになります。中辺路では最高700mぐらいの登りますが、一番きついルートは標高1,500mぐらいの山を縦走することになります。
にしても8月は暑い!
アップダウン

道幅が狭い一般道と交差しながら古道を歩きます。
針地蔵尊

熊野古道には至る所にお地蔵さまも祀られています。ここは針地蔵さんです。
見知らぬ果物

はて?見たこともない果実が生っています。直ぐ側の人家ので尋ねると「桐の一種やと思うけど、図書館に行って自分で調べてください。ということにしとります」と言われました。やっぱり皆さん気になるようです。分かる人教えてください。
岩見木工所

熊野古道とは直接は関係ありませんが、ひのきの香りに誘われて木工所の中を見学させていただきました。けんちゃんはベッドに興味を持ったらしくパンフを貰って送料を聞いています。
のんびりゆっくり

栗がなっています。紀伊の山々がはるか向こうまで連なっています。その昔、修験僧たちはこれらの山々を駆け巡っていたんでしょうね。
熊野高原神社

高原王子権現とも呼ばれ、熊野九十九王子には入ってませんが、応永10年(1403年)の銘のある懸仏が祀られています。桧皮葺の建物は熊野参詣道のなかで最も古い建物だそうです。ちょうど屋根の葺き替え工事真っ最中でした。
大楠

熊野神社の大楠は樹齢1000年ほどと言われ、神社の歴史を物語っているように見えます。
高原霧の里休憩所

古道散策の休憩スポット“霧の里”です。果無山脈が一望できる絶景のスポットです。棚田が広がっています。
旅籠群

高原の集落は熊野古道の旅籠があったようです。今は営業していませんが、旧旅籠の屋号や「なかへち」の提灯が吊るされています。おびただしい旧旅籠の数ですので、さぞかし賑わっていたことでしょう。
山道へ

「ここより近露王子までは民家がなく連絡の方法がありません」の看板に気を引き締めます。同時に、携帯電話は圏外になります。休憩所があります。まだ新しいのですが、トイレは使用不可と書いてあります。また一里塚の石碑もあります。
高原池

石畳のゆるやかな登りが続きます。高原池です。小さな池ですがよく見ると魚が元気よく泳いでいます。
大門王子

山中の要地であったとされています。
また平安時代からの休息地「水飲」もこの付近にあったそうです。
フランス人が

大門王子から十丈王子に向かっていると後方からすごいスピードで追いついてきた女性二人。フランスから来たとのこと。見かける人は外人ばかりです。

標高560mあたりを歩いています。
十丈王子

お腹もすいてきたので休憩します。江戸時代にはこの周辺に数戸の家があったようです。明治になって無人となったようです。
フランス人にビールを勧めましたが飲まないとのことで、こちらで飲んでしまいます。(笑)
十丈王子出発

30分ほど昼食休憩をしたのでフランス人はとっくに先に出発してしまいました。
まだ今日の行程の半分も来ていませんよ。ここまで7kmしか進んでいません。今日の予定は20kmです。
小判地蔵

小判をくわえた地蔵です。江戸末期、豊後国(大分県)有馬郡の人が、伊勢と熊野に参って紀三井寺に行く途中に、飢えと疲労で小判をくわえて倒れて死んでいたのを地元の人が弔って祀ったと書かれています。
コメ三粒

当時熊野古道を歩く人たちは長旅の途中で、もしも行き倒れとなった時に、地元の人に供養を依頼するためにある程度のお金(コメ三粒)を残しておくのだそうです。
当時熊野古道を歩く人たちは、行き倒れも数多く、お地蔵さんが沢山あります。
悪四郎屋敷跡

十丈の悪四郎は伝説上の有名な人物で、力が強く頓知にたけていたと言われています。悪四郎の「悪」とは悪者のことではなく、勇猛で強いと言った意味だそうです。
ここは標高691mで、熊野古道中辺路では最標高地点です。これからは、ほとんど下りになることを期待します。
上多和茶屋跡

高原から一里です。
熊野詣の盛んな頃には、ここに茶屋があったそうです。大正時代には人家もあったそうです。こんな山の中に人家が?
三体月伝説

解説板があります。旧暦の11月23日はさぞ賑わうことでしょう。
今回、三体月鑑賞地には行きませんのでそのまま進みます。
三体月伝説

「やっぱりちょっと見に行こうか?」とケンちゃんがそわそわしています。
「ダメ、こっちに行くのよ!」
大坂本王子に向かう

滝尻王子(歩き始め)から今日の予定の半分(10km)歩いてきました。山道は結構疲れますね。
逢坂峠

逢坂峠は近露側から登るには相当の急坂であることから、古くから大坂と呼ばれていたようです。、『為房参詣記』や『中右記』に大坂の地名が登場している。
あと100mで大坂本王子です。
大坂本王子

大阪本王子(おおさかもとおうじ)は、大阪峠(逢坂峠)の麓にあることから名づけられたと見られます。
大阪本王子と大坂本王子、どちらが??



<つづく>
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