[其の六] 
懐かしのアルバム(○です)

1973年(昭和48年) 富士一館の番頭

高校3年の時に、佐賀から富士山に出てきて番頭しました。一斉登校日も国家試験も返上?して、夏休み中は富士一館に全力投球。(内緒だけど)帰りの汽車賃を出してもらえた。このバイト料で普通車の免許を取った。

毎日、5合目まで駆け下りてお客を案内して小屋まで登り、団体の場合は山頂まで案内するので自分の時間なし。寝る時間以外は番頭は辛かった。
一番辛かったことは「お風呂」に入れないこと。40日いて3回ぐらい入った。水がない山小屋はそれが当たり前だった。雨が降ると天水で風呂を沸かすのだ。
1973年(昭和48年)

山小屋の親父と女性アルバイト。
山小屋の息子もアルバイトの女性も同級生。和気あいあいで山小屋生活を送った。大学生のバイトには負けたくなかったので、お客を案内しない時の登下山は必死で走った。

富士山の山小屋は他の山とは異なり、24時間営業です。今のコンビニの走りですね。ご来光を目当てに登る登山者が9割以上いるので、夜間登山が中心なのである。昼間は5合目に降りるし。5合目で時間を見つけては木陰で昼寝して睡眠時間を補った。
1973年(昭和48年) 

勤勉な?アルバイトの褒美として富士山頂まで行ってきてヨシと言われた。普通、番頭としてお客を連れて登るときは富士山頂までは行かないので、この時初めて剣ヶ峰に登る。山頂の標識が現在のものより小ぶり。

山小屋の親父の甘い誘惑(*)に乗って、東京に就職することを決意する。

(*)甘い誘惑:「東京に来れば、毎週富士山に来れるぞ。もうじき東京湾横断道路ができるから、(親父のいる)木更津から通え。家はなんとかしてやる」。この山小屋の親父の信頼を受けて、○の人生は大きく変わった。
1974年(昭和49年)

親父との約束通り、東京に就職した私は、毎週末毎に山小屋に通い、小屋の手伝いをする。まだ車を持っていなかったので電車かバスで通った。 
1974年(昭和49年)

親父(当時45歳)もまだバリバリで、発電機やらヤンマーディゼルを花小屋(当時はブルドーザは通っていなかったので、小屋荷は馬で七合目の最初の小屋まで上げる)から担ぎあげた。とても私には真似のできない力技だった。小屋番は頭じゃない、力だ!人間性だ!

1975年(昭和50年)

週末の富士山通いは続く。
1976年(昭和51年)

自分でもやっと一眼レフカメラを購入。
Minolta SRT Super だったかな?
カメラの仕組みをちょっと勉強した。これはTTLで便利だった。
広角レンズにフードつけてストロボ焚いてケラれた。
1978年(昭和53年)

男子独身寮と女子独身寮のゆかいな仲間たち(明るい団体交際?)と一緒に富士登山。

日本テレビが「24時間テレビ」を初めて放送した年、みんなでチャリティTシャツを着て登った。
1978年(昭和53年)

同上。脱落者1名のみで山頂に到着。
1979年(昭和54年)

独身寮の朝食に納豆が出て、他におかずはないから納豆を食べるようになった。しばらくして、カトさん(写真後方右)に「そんな腐った豆食うな!」と一喝され、以来納豆ご法度時代に突入。ずっと食べないでいると、納豆の匂いを嗅いだだけで気持ち悪くなってくるようになり、現在に至る。

 ※でもこれから(2016年)は納豆も食べるように努力します。
1980年(昭和55年)

父親が佐賀から富士登山に来る。冥土の土産だ。オレンジのヤッケを着せて登らせた。田舎もんは元気だな。一度も苦しいとか言わなかった。

フレームザックはフレームが腰の部分が当たって痛かったが、こんなもんかなぁと思っていた。
最近のザックは良く出来ていますね。○はこの頃の経験から「ウェアラブルザック」に決めました。
1980年(昭和55年)

同上。
姉(すでに中山牧場を始めていた)と一緒に姪(現鹿島在住)も登った。
1995年(平成7年)

途中ブランクがあった。。。。

会社関係F。仏の関連会社から研修に来ていた社員が「富士山に登りたい」との希望を受け案内したいとのこと。この富士登山をきっかけに、毎年恒例の富士登山が始まった。
1997年(平成9年)

初盆で帰省したため参加できず。
1998年(平成10年)

恒例の富士登山参加者が毎年増えてくる。
最初:マイカー2台に分乗
数年後:マイクロバス
最近:大型バス

2000年(平成12年)

佐賀から親戚(兄と兄娘、姪と娘二人)が出てくる。
この時は、子どもたちは八合目でダウン。

2000年問題。あ、関係ないですね。
2000年(平成12年)

意地でも登るという佐賀県人は2007年に見事リベンジを果たした。

(1995年以降の恒例富士登山記録はHPで発信中です。)
2008年(平成20年)

富士山検定3級合格。
ここまでは無料(当時)だけど、2級以上は有料だし、内容もぐんとオタクっぽくなるので諦めました。(笑)

山小屋の親父は2005年2月急逝(当時75歳)。まだまだ、教えてもらうことはたくさんあったので非常にショックだった。山小屋からは門外不出の法被を歴代番頭としては初めて○個人にくれた。以降も誰にも与えられていないはず。富士一館の法被は今も箪笥の中に大事にしまってある。

富士一館は2011年に建替られ、真新しい山小屋となった。トイレもバイオトイレ(水洗)になり環境に優しいトイレとなった。
富士山も世界文化遺産に登録され(2014年)、登山者が夏季シーズンだけでも25万人と激増中です。


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