中山牧場レストハウスを経営するおっかさん(○にとっては姪)は、何を思ったか「今年が最初で最後のチャンスやけん、一家で富士山に登ろうで。富士山に登ると世界観の変わるとよ」と言い放ち、4人の子供を佐賀と石垣から呼び寄せてしまった。
 最初は「お盆明けだったら客ん少なかろうけんよかろごたるね」とか知らないことは恐ろしい発言。富士スバルラインは自動車通行止めで大渋滞の真っ最中たい。九月になってからがよかばって、○には第二週は別の団体を連れていく義務があるけん、八月末に登ろ。

 で、学校の始業式を欠席させて(先生に断ったかどうか知らないが)、社会勉強にやってきた。

 日時:2007年9月1日(土)〜9月2日(日) 晴れ 
 山名:富士山 標高3,776m  
 参加者:中山家一家(かぁちゃん、姫1、姫2、若君、姫3)、登山ガイドPEI、◎
  (中山牧場の甥はここ

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(今回の物語はここから始まる)

 
母子は2000年7月に最初の挑戦をした。この時は母だけが山頂を制覇。子供は途中リタイヤの憂き目を味わった。今でも「おんじしゃんの甘か言葉ばかけらしたけん、登れんかったと」と言い張る次女裕実。よーし、今回は絶対に「もうよか」とは言わないぞ。

 会社は月末最終日。なんとか20時には切り抜けたいが、最悪を覚悟して富士登山の準備をしてザックを背負って会社へ。
 夕方まではすべて予定通りで順調のハズだった。

 が、石垣組の羽田到着時刻が大幅に遅れているらしい。本来14時に着く予定が18時頃になるとのこと。佐賀組はとっくに羽田に到着して暇をこいているらしい。そうなると、ここは分散して越谷に引率するしかなく、かぁちゃんが佐賀組を率いて一足先に帰る。続いて○が石垣組を連れて越谷へ。結局、登山の格好して一度自宅に帰ることになってしまった。羽田で時間食って、山手線が一時止まって、、、自宅に着いたら既に21時過ぎ。大急ぎでスパに入る。ここで、また失敗。若君をサウナに入れたら体調不良になってしまった。

 待ち合わせ場所の八王子に着くための最終電車を検索すると23時40分である。最低でもこの電車には乗らないと、富士登山そのものがパァになってしまう可能性が出てきた。とりあえず、全員の持ち物、食べ物を大騒ぎしながらチェックして南越谷駅に向かう。若殿が途中の葬儀屋さんの前でゲェゲェやりだした。まぁ、場所をわきまえていると言えばそれまでだが・・。若殿は翌日もこの体調不良をずっと引きずることになって、危うい道中になるのだ。

 すったもんだで、八王子で待つPEIさんにすっかり迷惑をかけてしまい、中央道に乗ったときには既に日付けが変わっていた。


 第1日目  第2日目  (参考:2000年の記録)