−富士登山の再開経緯(序章)−

 筆者は、1973年から富士山に登っている。元々、山小屋でアルバイトをしたのがきっかけである。そろそろ富士山歴は30年になりそうだ。毎年最低1回は登っていた。写真は20年前の頃である。今はこのような標識もどこかに飛んで行ってしまった。
 最近は一緒に登るという人が増えてきて、大変嬉しい。
 そういうある年(1992年)、フランスから「ジョエル・ガボリ」様ご一行様が富士山に挑戦したいということになり案内した。右は1992年の写真。


 それ以来、毎年登ろうかという機運が高まり「富士山の輪」が出来てきた。 参加者は総勢31名もの大所帯。下は高校1年生から上は65歳の元気印のおじいちゃんまで千差万別。夫婦で参加も4組となった。
 13時に、チャーターしたバスが予定通り到着。さあ、乗り込めぇ。がぁ、乗り切れない。おいおい、数名乗れねねよ〜。いきなりのトラブル発生。出発前から疲れていまいそう。すったもんだのあげく、配車担当がが座席で無いところに。(T.T)
日時:1995年8月4日〜5日
山行:富士山
参加者:31名

6合目

16時に5合目(標高2350m)を出発。6合目まで約40分。ワイワイガヤガヤとまるで幼稚園児のピクニック気分。明日の苦しみを知らないうちが花よ。ごらんの顔ぶれです。初めての人がかなりいます。さて最後までうまく行きますか?

山小屋
18時ぴったりに『富士一館』に到着。”歩荷”要員によってビール、酒、ウイスキー、氷、つまみが大量に荷揚げされた。(^^)v
 ここ7合目(2900m)でもすでに気圧は平地の85%。沸騰しているお湯に手を突っ込んでもやけどしない。生きた理科の勉強もできる。平地と同じ感覚でガンガン飲んでいる。ああ、悪夢の宴会!!
20時、就寝。ああ、今日は寝むれそうにないぞ
深夜の出発
 深夜1時、全然眠れないままに出発。上の方では早くも富士山名物「人間渋滞」が発生しているらしい。今や、中央道並だ。山頂予定の6時にはホットウイスキーで( ^_^)/□★□\(^_^ )カンパイするのだ。2日酔の脂汗、武者震い(いや、風邪だ)、(=^_^=)洗顔、様々な出発風景。まだ水を13.5kgも持たされている悲惨な人も。  人間感ピュータがあたり、あちこちで渋滞が発生。6車線あり、 1車線有りで、実に悲惨な登山道。谷川の路肩を歩き、みんなに罵声を浴びせ られる奴、登山道の真ん中に死んだように横たわる奴をけ飛ばしながらの夜行 軍のホタル行列は切れ目がない。暗黒の闇の中をひたすら山頂を目指す。  本8合目(約3300m)で大量7名の脱落者を出してしまった。敗因は某飲だろうな。8合5尺からは渋滞で進めない。
御来光
 4時過ぎると東の空が紫色に変わる。ご来光時刻は4:49なのに5:00になっても太陽は出ない。「小娘よ、恥ずかしくないから出ておいで」と○が言うと(ふぉいふぉい)、『出た出た、やっと出たホイ』。輝く神秘的な日本の夜明け。あちこちで”かしわ手”を打つ音。ご来光の写真をフラッシュをたいて撮っている者も。君は高山病か?
山中湖の上に燦然と登った太陽。♪♪”燃える Sunrise”♪♪
山頂
 6:15、やっとの思いで山頂に立つ。毎度優しい歩荷のお兄さんが『熱い味噌汁』を作ってくれる。「ううん、持つべき者は良き先輩だ」(。_゚)★\Baki(^^;)  ちゃっかり山小屋の中で暖を取っている人も。カップヌードルを700円で売っている。お弁当の「しゃけ弁」は冷え切っていてうまくない。チンサービスが欲しい。でも、でも、ここでやっぱり「ウルメイワシ」が出ちゃうんですねぇ。これで、何度生き延びてきたことか。アハハ。
 山頂の気温は夜明け前3度。30度の下界では信じられない。お土産屋さんと漫才して結局買わず。山頂しか売っていない土産を買う。
 正面に測候所が見える。今年の記念撮影もぬかりなく。隣で合唱隊ががなっている。一曲歌う度に酸素ボンベを吸っている。そんなにしてまで歌うか?
噴火口

あれが噴火口でっせ。ふーん。
  下山
 7時下山開始。3時間の下山予定時間を見積もった。が、実際は「膝が笑う」人が続出し、しんがりが5合目に到着したのは11時。
 1合降りる度に服を一枚づつ脱がないとどんどん暑くなる。出発時に用意しておいた「冷凍した水」や「冷凍したスポーツドリンク」が最高にうまい。手ぬぐいで覆面をしないと鼻の中まで真っ黒になる。6合目の『かき氷』が妙にうまそうだった。
  帰着
 レンタカーのほうは、返却時刻(13時)を15分ほど過ぎてしまったが、最初の人数トラブルの原因がレンタカー会社にあることから、チャラになった!
 ということで、慌ただしい「真夏の夜の悪夢」は無事に終了したが、来年はもうちょっと時間の余裕をみないと行けないなぁと反省。
 


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