| 四国八十八ヶ所巡礼お遍路弘法大師の御心をたずねて 第59番・金光山・国分寺天平のいらかいずこに 南無大師遍照金剛 |
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| 本尊 | 薬師瑠璃光如来 | 駐車場・30台 | ||
| 開基 | 行基 | 宿坊無し | ||
| 住所 | 愛媛県今治市国分甲520 | 0898−48−0533 | ||
| 本尊の真言 | おん、ころころ、せんだりまとぅぎ、そわか | |||
| 御詠歌 | 守護のため建ててあばむる国分寺、いよいよめぐむやくしなりけり | |||
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握手を |
| 周辺情報 |
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山を下り、きた道とは反対側へ。一旦県道155号線に出て少々行くと、”四国の道”の小さな標識が右折を促す。そこからは集落を抜ける生活道路だが、国道196号バイパスを渡りJRを潜り直ぐの信号を右折するとまもなく大きな標識があり、そこが駐車場となっている。 かって伊予の国府があった唐子山の麓に、ゆったりと寺は建っている。創建当時は現在の位置から東100mほどの所にあったとされ、今もその名の凝りを七重の塔跡(花崗岩の礎石13個)が伝える。 |
| 略縁起 |
| 天平13年(741)聖武天皇の勅願により行基が、各国に創建したときの伊予の国分寺である。 それから年代を経、智法大師が三代目の住職しているときに当寺を訪れた弘法大師は、暫く留錫して五大尊の絵像を書き残し、大師の弟子の真如大師も留錫して法華経一部を染筆するなどの歴史を持っている。 しかし、それ以後は受難が繰り返されている。 それは、天慶2年の藤原純友の乱にはじまり、さらには治承4年、源頼朝の挙兵に呼応した国主河野氏と平家との戦禍に巻き込まれて類焼、南北朝時代の貞治3年には細川頼之が攻め入るなど、その都度、堂宇を焼かれたが、当国の国司の助力を得て再建された。 その後も天正12年長宗我部の兵火で折角再建した堂塔のことごとく焼失し、以後は小庵だけの寺だったが、43代目の住職恵光上人が寛政元年(1789)に金堂を再建、以後は逐次堂塔を増築している。 |
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