| 四国八十八ヶ所巡礼お遍路弘法大師の御心をたずねて 第53番・須賀山・円明寺八脚門に流れる南無大師 南無大師遍照金剛 |
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| 本尊 | 阿弥陀如来 | 駐車場・15台 | ||
| 開基 | 越智守興 | 宿坊=100人 | ||
| 住所 | 愛媛県松山市和気1−182 | 089−978−1129 | ||
| 本尊の真言 | おん、ありみた、ていせい、からうん | |||
| 御詠歌 | 来迎の弥陀のひかりの円明寺、てりそう影はよなよなの月 | |||
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2重の鐘楼 下は大師堂の欄間と天井絵 |
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| 周辺情報 | ||||
| 太山寺へ向かう途中に在ったのでもう解っているね。 山門前に駐車場がある。 境内へと入れば、意外と広くしっとり落ち着いた雰囲気である。 ここは日本最古の納め札(銅板製)があるほか、大師堂左手奥にキリシタン灯籠があるなど見所も多い。 なかでも圧巻は、大師堂欄間に設けられた左甚五郎の作とされる龍と雲峰の見事な彫刻。真下に鎮座する多聞天と増長天ともども、圧倒的である。 ![]() 屋根瓦と 彫刻を見て! |
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| 略縁起 |
| 聖武天皇の勅願寺である。 勅を奉じて来錫した行基が三尺の立像、阿弥陀如来を刻み、それを本尊とし安置する伽藍を和気の海岸に創建し、海岸山・円明寺と名づけたのがはじまりである。 しかし、それ以後、度重なる兵火の為広大であった堂宇は焼失、寺域は荒れるにまかせた状態が長年月に及んだ。 再建したのは元和年間になってであり、和気の豪族須賀重久が現在地に本尊を移転、伽藍を再興した。 その後、京の覚深法親王の令旨により仁和寺の末寺となり、そのとき須賀山の山号を賜わり、そして現在の正智院・円明寺となった。 なお本堂内にある4m余りの龍の彫り物は左甚五郎の作と伝えられている。 奥の院は西方2km余りにあり印度仏釈迦如来、同観世音菩薩を奉っている。 |
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| 3月21日今治より松山空港へお客を送っての帰り道、途中に有る53番札所円明寺に寄り道。 タクシーを駐車場に止めると直ぐに「これをどうぞ。お接待です。」 「あつ!私巡礼ではないのです、いいですから。」 「いいですよ、ここにこられた方は同じですから」 渡されたビール袋は大きく重い、沢山の品物。 「これは重いですから車までお持ちしているのですよ、境内を持ち歩くのは大変ですから」 と、貰った品物、開けて多さにびっくり。 |
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| 仁王門の後ろに沢山のキャリー、後ろの見えないところにも空になったキャリーが積まれている。大変な量だ。4人で接待している。 右の写真その帰り道、記念にパチリ。 大きないよかん9個、お菓子パン1個、カルビーじゃがりこ1個、缶ジュース2缶、テイッシュ1個、屑入れ用の袋。 凄くおいしかった。 |
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