| 四国八十八ヶ所巡礼お遍路弘法大師の御心をたずねて 第51番・熊野山・石手寺湯治客あふれる門前 南無大師遍照金剛 |
||||
|
|
||||
|
|
||||
| 本尊 | 薬師如来 | 089−977−0870 | ||
| 開基 | 不祥 | 駐車場・110台 | ||
| 住所 | 愛媛県松山市石手町2‐9‐21 | 宿坊=130人 | ||
| 本尊の真言 | おん、ころころ、せんだり、まとぅぎ、そわか | |||
| 御詠歌 | 西方をよそとは見まず安養の、寺に参りて受くる十乗 | |||
|
|
周辺情報 | |||
県道に沿ってそのまま北上すれば、突き当たりが石手寺。ここは道後温泉に近い為観光客が非常に多い。 民間の駐車場も多いが有料、観光バスも多い。 ここの寺名は、遍路の元祖とされる衛門三郎が焼山寺(12番)門前で亡くなったおり、大師が”衛門三郎再来”と書いた石を握らせたところ、この地に生まれた子の手にその石があったという逸話から付けられたという。 広い境内で見所いっぱい。 時間を掛けて観光客と一緒になってガイドさんの説明を聞くのも。 |
||||
|
|
||||
|
|
第二次大戦中ビルマの戦場は惨烈を極めた。 故里をあとに帰らざる戦友五千五百余柱。 全国で十八万柱を数える。 此れにその追悼慈霊を断念して、 石手寺にビルマ戦没者頌魂鎮 (愛媛バコダ)を建立する。 |
|||
| 略縁起 |
| 神亀5年(728)聖武天皇に勅命を受けた伊予の代守、越智玉澄が鎮護国家の道場として伽藍を建立し安養寺と名付けたのがはじまりであり翌、天平元年(729)行基が来錫して薬師如来を刻み、それを本尊として開眼した寺で、もとは法相宗であった。 その後の弘仁4年(813)当寺に留錫した弘法大師が修学ののち真言宗に改め、四国51番札所に定められたという。 さらに寛永4年(891)ときの城主河野家に誕生した子息が、衛門三郎再来の証しとして、三郎が臨終のとき大師から授けられた一寸八分の小石を左手に握っていたことにちなんで石手寺と改号した。 その昔、七堂伽藍六十四坊の威容を誇っていた石手寺ではあったが、天正の長宗我部の兵火に遭ってその大半を焼失。 本堂、仁王門、三重の塔は文保年、鐘楼は元弘3年、梵鐘は建長3年のもので、それぞれが国宝、重要文化財に指定されている。 |
| トップへ | 全てのお寺へ | 戻る | 次は52番・太山寺へ |
![]()
|
|||
|
|