瀬戸内 「海の大名」・村上水軍

海の大名としての勢力の確立
村上氏は、伊予の守護河野氏配下で、海上交通の要所となる島々に城を構え、付近を航行する船の水先案内や警護をして一種の通行料を徴収していた。しかし通行料を払わない船などには時に依っては海賊的行為も行っていた事から、海賊衆とも呼ばれていた。

* 今現在も来島海峡(瀬戸内海全般)を航行する大型船は水先案内人を必要としている。パイロットと呼ばれ、経験豊富な人が従事している。(費用は船側が負担、船内にはパイロットの為に専用の個室を用意している船も有る。)

村上師清が天授3年(1377年)当時因島を支配していた今岡氏を破って因島を手中の治め、長男の義顕が能島、次男の顕忠が来島を支配下に置き、因島は三男の顕長が後を継いで、三島村上氏の体勢が確立した。

弘治元年(1555年)の厳島合戦で小早川隆景の要請を受けて、兵船300隻で陶軍をせん滅。世間に水軍の威力を見せ付けた。

豊臣秀吉の誘いに応じて来島村上氏が織田方に走り、長年続いた三島村上氏との協力態勢が崩れた。

来島村上氏は、四国征伐後には1万4千石の大名となった。

関ヶ原の合戦で西軍方に属したため、慶長6年(1601年)に豊後(大分県)の山中の森藩に転封されました。
三島村上氏の城
因島村上氏 因島市 因島水軍城が再現され、武具、遺品、古文書などの歴史資料が展示されています。
能島村上氏 宮窪町 沖合い1kmの海上に浮かぶ周囲720mの能島に今尚、立派な城跡が残っている。
来島村上氏 今治市 今治市波止浜の沖合い500mの来島。周囲わずか1kmの島だが、急流に守られた天然の要塞であり、今も軍船の桟橋跡の柱穴や村上氏の祖先を祀る村上神社が残っている。

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