不自然なほどに、優杏は自然に接してきた。まさにそう、何事も無かったように。 けれどその首筋には覇月のつけた紅い痕が幾つも残っているし・・・・・当然ながら、覇月が優杏を襲おうとした事実は 消えない。優杏がどうしていつもと同じ微笑を浮かべて自分の傍にいられるのか、覇月には分からなかった。 そしてそれと共に、雪翔の台詞が気にかかる。 負ける勝負はしない 雪翔は何を勘違いしているのだろう? 優杏が好きなのは雪翔なのに。負けるのは雪翔じゃない。自分の方なのに・・・。
週が明けて・・・。 「あ、須賀先生さよならー」 廊下をすれ違うたびに生徒達が挨拶をしてくる放課後。気をつけて帰れよー≠ネどと気の抜けた返事をしつつ、覇月は 三年三組の教室に向かっていた。 自分のクラスのHRを終えた後に数学教諭室に戻り、そこで指示棒を忘れてきてしまったことに気がついたのだ。 HRには指示棒なんて持っていかないし、だとすれば考えられるのは本日最後に授業に行った3−3。優杏のクラスだ。 ―――― ガララッ。 引き戸を開き、教室の中に入る。思ったとおり、教卓の上に覇月の物と思わしき指示棒が置いてあった。 このクラスの担任ないし生徒たちも気がつけば持って来てくれれば良いのに・・・少しばかり恨めしく思いつつ、 覇月は特に何の意図もなく教室を見回した。授業の時にするように教卓の端と端に手をかけて、それに体重をかけるような 体勢でボンヤリと視線を流した。 「・・・? 」 一点を捉えた所で、覇月は目を留めた。 机の上に手帳が置いてある。他に荷物は何も置いてない。明らかに誰かの忘れ物だ。 しかも、そこは確か・・・・優杏の席。 覇月は手帳の置いてある席まで歩み寄り、それをそっと手に取った。よくよく見れば、何となく見覚えが あるような気もする。 覇月は少しばかり悩みながらも、とりあえず持って帰ることを決めた。持って帰って優杏に見せて、それでもし 優杏のものでなかったら明日そっと戻しておこう・・・・そんな事を考えてみた。 「・・・ん? 」 1、2歩足を進めたところで、覇月はその手帳になにやら写真のようなものが挟んであることに気がつく。 そして途端に胸が騒ぎ始めた。 ほとんど無意識のうちにもう片方の手がそれに向かって伸びていく。 「・・・ごめん・・」 ここにはいない優杏に謝罪の言葉を送り、恐る恐ると言う風に写真の挟んであるページを開いた。 『俺は負ける勝負はしない主義なんだ』 雪翔の声が頭の中で響いた気がした。 そこにあったのは他の誰でもない覇月の写真と、優杏が家族になったばかりの時にプレゼントだと称して渡した桔梗の花の 押し花だったのだ。 この手帳が間違いなく優杏の物だということは分かった。けれど・・・信じられなかった。 勘違いしていたのは雪翔ではなく自分の方だったなんて。 優杏が好きなのは、雪翔ではなくて・・・・・ 「覇月さん・・・」 不意に背後から声をかけられ、覇月は慌てて振り返った。手に持っていた手帳を隠すようにして。 「・・・優・・・杏・・・・」 手帳を忘れたことに気がついて取りに来たのだろう。優杏は真っ赤になり、信じられないという風な表情を浮かべて こちらを見つめている。覇月が手帳を見ていたことに気がついているらしかった。 「・・・あの・・・それ・・・」 消え去りそうな声を発しつつ、覇月の手に持たれている手帳を指差す。よく見るとその手も震えているようだ。 覇月はバツの悪いような表情を浮かべ、手帳を閉じた。 「・・・・・・」 「・・・・・」 気まずい沈黙が続く。盗み見るようにして優杏を視界に捉えると、耳まで真っ赤になっていた。どうしたらいいのか 分からないという顔をしてる。戸惑いのあまり泣きそうにすらなって。 「・・これ・・・」 意を決したように、覇月が口を開く。優杏はビクッとその身を震わせ、恐る恐ると言う風に顔を上げた。 「なんで、俺の写真なんか持ってんだ? 桔梗の花も、わざわざ押し花になんかしてさ」 尋ねてみたところで優杏は何も言わない。折角顔を上げていたのに、また段々と俯き加減になっている。 「いい訳・・・しろよ。なんでもいいから」 一歩ずつ、ゆっくりと優杏に歩み寄る覇月。優杏はやはり何も答えようとしなかった。 「いい訳してくんねーとさ、俺単純だから・・・勝手に勘違いして、すっげー調子に乗って・・・・」 目前に迫っても優杏は逃げない。真っ赤に染まった顔を隠すように俯いたままで立ち尽くしている。 「このままキスしちまうぞ? 」 優杏の肩に手を乗せて、真剣な眼差しで覇月は言った。 「・・・・」 優杏はやはり何の言葉も発しない。けれどその代わりに顔を上げ、覇月を見つめ、そっと・・・・頷いた。 ゆっくりと空色の瞳が閉じられる。高揚した頬に触れ、そのまま流すように銀色の髪に指を差し入れた。 視線を合わせるように優杏に上を向かせ、淡いピンク色の唇に自分のそれを重ねる。 一度離れてそのままの距離で見詰め合い、今度はお互いの存在を確認するようにキスをした。 触れるだけの口付けを、何度も何度も繰り返し・・・・これが本当に現実なのだと、覇月は確認するのだった。
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