目が覚めると、とにかく身体が痛かった。当たり前だ。車のシートが睡眠を取る場所として適切なはずがない。 ゆっくりと身体を起こし、覇月はまず背伸びをした。全身の関節が一気にバキバキと音を立てる。 そしてその音にすら頭に響き、締め付けるような痛みを伴った。二日酔いも相当なものらしい。 こんな所でよく眠れたものだ。そんな事を思いつつ、覇月は自嘲気味な笑みと共に溜息を漏らした。
昨夜・・・優杏を傷付けて、家を出てから・・・・・覇月は車の中に泊まった。どこか友人の家だとかホテル だとかに泊まろうと思って車を走らせてたのだが・・・結局はそんな気にもなれず、公園の傍に車を停めて そのまま眠ることにした。単純に誰かと接する気分ではなかったのだ。一人でいたかった。一人になって、 罪悪感にどっぶりと浸かりたかった。
倒していたシートを起こし、もう一度背伸びをする。これからどうするかなぁ・・・なんてことを考えて、 寝起き丸出しの頭を掻いた。 ―――― コンコンッ。 不意に、フロントガラスが叩かれる。警察が職務質問でもしに来たのだろうかと少しばかり警戒しながら 顔を上げると、そこには呆れ果てたような表情を浮かべた雪翔が立っていた。 「随分と爽やかな目覚めのようだな、覇月」 我が物顔で助手席に乗り込ん出来たと思ったら、嫌味臭くそんな事を言う。一体何をしに来たのかと、覇月は 不機嫌極まりないと言う風に煙草を取り出し、銜えた。 「詳しくは知らないが・・・相当な馬鹿をしでかしたみたいじゃないか。優杏が落ち込んでいたぞ」 折角火をつけた覇月の煙草を奪い、雪翔は訳知り顔で微笑む。覇月が一番カンに障る顔だ。 「悪かったな、馬鹿で。関係ねーだろ」 吐き捨てるように言う。奪われた煙草はさっさと諦め、また新しいものを取り出した。 「関係あるさ。俺達は勝負中なんだからな」 奪った煙草を吹かしつつ、雪翔が言う。当然のことのように。覇月は何の言葉も返すことが出来なかった。 「優杏の首筋にキスマークがあった。犯人はお前だろう? 」 意地悪く犯人≠ネんて言い方をする雪翔が憎らしい。 けれどそれは紛れも無い事実で・・・そう言われるのも仕方がないとも思えた。 「最後の悪あがきだよ。俺は勝負を下りる。今度は本当にな」 ゆっくりと紫煙を吐き出し、覇月が言い放つ。 あんな事をしておきながら、まだ勝負を続けるなんて無神経なことは言えない。ハッキリと自分を拒絶した優杏を 今更好きだなんて・・・言える筈がないのだ。 「十戦目はお前の勝ちだ。お前の勝ち。・・・・お前には絶対勝てないんだって、もういい加減認めるよ」 反吐が出そうな台詞だ。胃がムカムカする。けれど、悔しいかなそれは本心。プライド全部を剥ぎ取り捨てた、 真っ更な覇月の本音。認めるしかない。優杏が選んだのは覇月ではなく雪翔なのだから・・・。 「あ〜ぁ、なんでお前みたいな完璧なヤツが兄貴なんだろうな・・・」 わざとらしいほどの溜息を付き、冗談めかした口調で言う。雪翔が黙っているのでヤベェ、俺泣きそう≠セの あぁ〜〜〜、マジ悔しい≠セの、本気なのか冗談なのかよく分からないような情けないことを色々言った。 油断するとすぐに優杏の泣き顔が思い出される。それが余計に切なかった。 「俺を完璧だと褒めてくれるのは嬉しいけどな・・・」 言いたい事を言うだけ言って黙り込んだ覇月に、雪翔が不意に声をかける。溜息が紫煙と共に吐き出され、 その表情はなぜかひどく曇っていた。 「俺はお前が思ってるほど格好良い男じゃない」 言い放つ。いつも自信家の雪翔から発せられたとはとても思えないような台詞だ。覇月は何も言い返さず、 視線のみを雪翔に移した。 「11の時親父とお袋が死んで、父さん・・・公崇さんに引き取られて、俺は急に兄貴になった」 遠き日に思いを馳せるように、ただ真っ直ぐ前を向いて雪翔は話す。覇月が異様なまでに雪翔に対抗心を 燃やしてしまうキッカケとなった、雪翔が須賀家にやって来たあの日について。 「それまで一人っ子で、滅茶苦茶甘やかされてきた我侭なガキがイキナリだぞ? プレッシャーは相当だった」 笑い飛ばすように言って、また紫煙を吐き出す。雪翔なりに覚悟を決めて話しているのだということが、 その瞳から伝わってきた。 「必死に頑張った。勉強も、運動も、それまでしたこともなかった家の手伝いだってした。公崇さんや知風さんに 気に入られるように、お前達が兄貴だって認めてくれるように・・・とにかく必死だったんだ」 父や母のことを他人のように名前で呼ぶ。いや、他人でしかなかったんだろう。如何に親戚だったとはいえ、 当時の雪翔にとっては単なる他人でしか・・・。 「花眺はまだ小さかったしな・・・すぐに懐いてくれて嬉しかった。けど、お前は違った」 困ったような笑みを浮かべ、ようやくこちらに視線が移される。いつもの余裕面とは全く違う、初めて見る雪翔の 表情に、覇月は戸惑っていた。それと共に、思い出してもいた。雪翔が兄弟になったばかりの頃の、やたらと 可愛げの無かった自分を。 あの頃は単純に悔しかった。今までお兄ちゃん≠ニ呼ばれていたのは自分なのに、突然やって来た一、二度顔を 合わせた事しかないようなヤツがそう呼ばれるようになったのだ。突然弟になったことが面白くなくて、必要以上に 雪翔に突っ掛かっていた。 けれど、相手は自分が思っていた以上に強敵で・・・・喧嘩も、自信のあったスポーツも何をしたって敵わなかった。 雪翔は二つも年上なのだから仕方ない。そんな風に理由付けることも出来たかもしれないが、覇月には 納得できなかったのだ。言い訳するようで嫌だった。 雪翔に勝ちたい。そればかりを考えて、そのためにだけ努力をした。 なのに雪翔は簡単に覇月を負かすのだ。覇月の方が絶対に努力をしているのに、それでもいつも簡単に勝利を奪う。 ずっとずっとそう思ってきたから、悔しくてたまらなかった。雪翔は努力なんてしなくても何でも出来るのだと、 そう思ってきたから・・・・。 「俺は兄貴でいるために、お前に勝ち続けなきゃならなかった。しかも我武者羅に努力してるなんてバレないように 必死にな」 雪翔が微笑む。悔しかった。とても。躍起になってるのは自分だけなんだと勝手に思い込んでいたことが・・・死ぬほど 情けない。 「負けたくない≠チて対抗してるのは俺の方だよ。情けないだろ? こんなヤツ、少しも格好良くなんかない」 覇月の知っている雪翔はいつも完璧で、何でも出来て自信家で・・・絶対に敵わない、最もカンに障る相手・・・。 その雪翔がこんな風に話すのは初めてのことだ。 覇月は素直に驚いて、動揺した。そして思った。この男には敵わない≠ニ。 「カッコいいよ、お前は。マジでムカつく位にな」 思い切り溜息をつき、覇月は言う。すっかり短くなった煙草を灰皿に押し付けた。 「さっさと帰るぞ。優杏がメシを作って待ってる」 雪翔が覇月の髪を撫でる。小さな子供にするようにグシャグシャと。覇月はそれを払いのけ、戸惑いの視線を向けた。 やはり優杏と顔を合わせるのはまだ・・・そんな風に言おうとしたのだが、それすらも遮るように雪翔のデコピンが 飛んでくる。 「家に帰るなり優杏に覇月さんが出てっちゃいました≠ネどと泣かれ、朝っぱらからずっと寒空の下でお前を探し 回っていた俺の身にもなれよ? 」 覇月を捉える視線が鋭い。軽く殺気立っている気すらする。覇月はへラッと笑い、誤魔化した。
「そういえばお前、さっきの台詞は取り消しておけ」 車を走らせてから暫くして、雪翔が不意に呟いた。突然何を言われたのか分からず、覇月は?≠浮かべて見せる。 雪翔はそんなことも分からないのか≠ニでも言いたげな、すっかりいつも通りのカンに障る表情を浮かべ、答えた。 「勝負を下りるというヤツだ。取り消せ」 「いや、俺は・・・」 命令口調の雪翔に反論しようとする覇月。けれど雪翔はそれをも遮り、言い放った。 「その代わり俺が下りる」 「はぁ? 」 流石の覇月も思わず素っ頓狂な声を上げる。突然何を言い出すのか、この男は。 開いた口が塞がらない状態の覇月に、雪翔は嫌味に微笑み、再度言う。 「俺は勝負を下りると言ったんだ。酒の所為で耳まで馬鹿になったのか? 」 すっかりいつもの調子に戻っている雪翔に、これまたいつも通りに苛立ちつつ覇月も言葉を返した。 「うるせぇよ。っつーか、なんで? 優杏はお前のこと・・・」 好きなんだぞ? ≠サう続けようとしたのだが、やはり雪翔はそれを遮る。 「俺は負ける勝負はしない主義なんだ。お前と違ってな」 ニヤリと笑い、得意の訳知り顔を浮かべる雪翔。 覇月は一人?≠浮かべていた。
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