家に着いたのは既に朝が近くなった頃だった。悲しいかな、今日は立派な平日だ。 たった2、3時間しか取れなかった睡眠時間に、覇月は打ちひしがれながら目覚ましを見つめる。 とはいえ身体にまとわりついている疲労感とアルコールの匂いの割には不思議と心は軽かった。 それは勿論、優杏を温泉に誘おうなどという、覇月的には最高の思いつきをしたからで・・・。 ――― コンコンッ。 ベッドの上でただひたすらボンヤリしていると、扉を叩く音が聞こえてきた。ただいまの時刻は七時。 毎日この時間ピッタリに、必ず優杏は起こしに来てくれる。 「覇月さん、朝ですよ〜」 カチャリと音を立てて扉を開け、ひょいっと顔を覗かせたのはやはり優杏。既に制服に着替え、朝食の支度を していたのかその上からエプロンをつけている。 「あれ・・起きてたんですか? 」 とりあえず身体を起こしてはいる覇月を見つめ、優杏が尋ねた。毎日毎日大声で呼んでも起きない覇月が自分で 起きていることなど本当に珍しいことなのだ。 「・・お酒臭い・・・」 2、3歩ほど覇月に歩み寄ったところで優杏が顔を顰めた。 「・・・そ、そんなに・・・臭うか? 」 自分でも自覚はあったために覇月も苦い顔。優杏は遠慮がちにもコクリと頷き、そして心配そうに言った。 「大丈夫なんですか? 学校・・」 その台詞に覇月も黙り込む。二日酔いだとか睡眠不足だとか、覇月の事情はどうでもいいが・・・酒の臭いを プンプンさせて生徒に向き合うのはやはり・・・まずい。 「休むわ・・・今日は」 グシャグシャと髪をかき上げ、覇月はバツの悪そうに答えた。優杏も苦笑しつつ、それに頷く。 「朝ごはんは作ってありますからそれ食べて、寝なおした方が良いですよ。寝てないんでしょう? あんまり」 クマが出来てますよ? ≠ネんて良いながら顔を覗き込まれ、覇月は少しばかりの動揺を必死に隠した。 ヘラヘラ笑って誤魔化して。 「あっ! のさぁ、優杏」 踵を返して部屋を出て行こうとする優杏の腕を掴み、慌てて呼び止める。 言い出すならば今しかない・・・そう思ったのだ。 優杏は少しばかり驚いたようだったが、それでもニッコリと微笑み、はい? ≠ネんて首をかしげた。 「今週の土日、ヒマ・・・ねぇか? 」 「・・・え? 」 何の脈絡もない突然の問いかけに優杏は目を見開く。 「・・いや、な。あの・・ホストのダチが温泉のペア券くれたんだけど、コレといって誘う相手もいねーしさ」 言い訳がましく説明を施す覇月。こんな言い分では厄介払いと言わんばかりにこの紙切れをよこして来た拓人と 大して変わりない・・・そんな事を思いつつも今更後にも引けず、覇月は必死に続けた。 「温泉なんて爺むさいかもしんねーけど・・・・まぁ、それなりに楽しめないこともねーと思うし」 優杏はずっと考え込んだような顔をしている。そしておずおずと、口を開いた。 「ごめんなさい。・・・僕、あの・・・土曜日は約束があって・・・・」 「・・・やく・・・そく・・? 」 それはなんと断りの返事。覇月の脳内ではガラガラと何かが崩れていく音がした。 「本当にごめんなさい。雪翔さんと先週から約束してて・・」 ガバッと頭を下げる優杏。 「・・・ゆ・・・きと・・・と? 」 その一言が覇月にとってどれほどまでに威力のある攻撃になったか・・・・優杏が知る由は当然ないわけで。 「・・・はい。クラシックのコンサートに・・・」 「・・・・・・・・・・・・」 説明を付け足されたところで反応することなど出来ない。覇月は打ちひしがれたように黙っていた。 優杏に断られたことだけでもショックなのに、その理由が雪翔とのデートだなんて・・・。しかも今度は覇月の デートを覗きに来る、なんていう名目もない。ただ純粋なデート。 もしかして、優杏は雪翔が好きなのだろうか? やはり。 本気で取り組む勝負で、自分が雪翔に勝てる事はないのだろうか? せっかく立ち直りかけていた心が、たちまち萎んでいくような気がした。 「ごめんなさい」 しゅんとして謝罪の言葉を紡ぐ優杏。その表情からは本当に心から申し訳なく思っているのが伺えて・・・・ 許さないわけにはいかないだろう・・。 覇月はいったん俯いて、必死に笑顔を作った後で再度優杏に向き直った。 「・・い、いや、いいって、別に。予定があるんじゃ仕方ないもんな。俺もイキナリだったし・・・・うん、全然 大丈夫だから、気にすんな」 ポンポンッと優杏の肩を叩いてみたり、俺も気にしてないから&翌ノ装う。 「本当に・・・すみません」 眉を八の字にして尚も謝る優杏。 「マジ大丈夫だって。ほら、朝飯食おうぜ」 覇月は笑顔を作ったままでそう提案し、ベッドから下りた。
「温泉旅行? お父さんが貰っていいのかい? 」 美苑、雪翔、優杏、花眺が出かけた後、二人のんびりとお茶をしていた最中に温泉の招待券を手渡すと、公崇は 目を見開いてそんな風に聞き返してきた。 「貰いモンで悪いけどな。まぁ・・今週の土日にでも母さんと二人で羽伸ばしておいでよ」 優杏に断られたから使い道がなくなった・・・とは流石に言えず、覇月はうそ臭い笑みを浮かべて親孝行息子≠ 演じる。公崇は心底嬉しそうに微笑み、いい加減いい歳の息子の頭をグリグリと撫でた。 「ありがとぉ、月君。お父さんすっごく嬉しいよ。美苑さんにもさっそく電話しなくちゃ」 いそいそと電話の元へと走る公崇。 「お、おい、何も今から伝えなくても・・・」 「あ、美苑さん? 僕だよ〜」 「・・・早・・」 母は今運転中ないしは職場だろうと気を遣う覇月だが、父は既に美苑とルンルンで話しているようで・・・。 「月君がね、温泉旅行をプレゼントしてくれたんだよ。・・・うん、そう。だからね・・・」 「・・ま、いっか」 本当に嬉しそうな父を見やり、覇月は溜息を付く。ここまで喜ばれると、これはこれで良かったのかなぁとすら 思えてくるから不思議だ。優杏に断られたのはショックだが・・・また今度誘ってみようと前向きに考えてみる ことにした。完全に沈んでいる自分を誤魔化しているだけのような気もするが・・・。 とりあえず寝なおそうと決め、背伸びをしながら廊下に出る。平日に一日中パジャマのままでいられることなんて 滅多に無いのだし、今日はのんびりしよう。そう思った。 「お前は一緒に温泉に行く相手もいないのか? 」 階段に一歩足を踏み出したその瞬間、人を小馬鹿にしたような声が投げかけられた。つい先ほど出て行ったはずの 雪翔である。 「・・・お前なんでいんだよ? 」 げんなりしながら振り返り、まず一番の疑問を口にする。雪翔は平然と答えた。忘れ物だ≠ニ。本当か嘘かは 知らないが。 「わーるかったな、相手もいなくて。馬鹿にすんなら好っきなだけしてくれていいぜ」 寝不足のためかいい加減沈みきっていた所為か、少しばかりヤケになったような口調で言う。凄まじい勢いで からかわれるだろうと思いきや、雪翔は呆れたような表情で黙っていた。 「・・・・・・」 「・・・なんだよ? 」 黙られるとそれはそれでカンに障って、覇月は雪翔を睨みつける。すると雪翔はそれはもう深々と溜息を漏らし、 言い放った。 「ま、俺には関係ないがな。週末は優杏とデートの予定があるし」 「〜〜〜〜〜〜っ」 そして向けるは悪魔のような笑顔。その言葉、その態度に思いっきり反応しつつも、覇月は今にも口から 飛び出しそうになっている文句たちを飲み込んだ。 「そりゃあ良かったな。さっさと学校行けよ、遅刻すんぞ」 平静を装いそれだけ言って、逃げるように階段を駆け上る。部屋に戻ってから枕やら何やらに思いっきり八つ当たりを したのは言うまでも無い・・・。 「・・・ガキめ」 雪翔は覇月をしげしげと見送った後、溜息を漏らして再び家を出て行った。
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