ネパール紀行(4)

ふたたびネパールへ
エベレスト街道

語る人: 木下 清


■畠井さんの計画に乗る
 スケジュール: 1999年3月24日1:50関西空港発のタイ航空でバンコック経由カトマンズということで、4月8日まで、16日間のトレッキングです。
 メンバー: 10人。リーダー(隊長)はなにわこぶしの会・会長の畠井修さん、サブリーダー(副隊長)は私、隊員は女性8人。
 主催: なにわこぶしの会。
 たまたま私は、先般正月にトレッキングに行ったということで、「暇やったら参加してくれへんか」ということで、女性ばっかりやし、畠井さんも少し不安やから、
「木下さん、行ってきたばかりやし、ひとつアドバイザーで来てくれへんか」という話がありました。
 いきさつは、たまたま青穂山荘へモノ買いに行ったら、青穂山荘のオヤジが
「木下さん、こんな話があるんやけど、どうや」といわれて、
「まあ、暇はなんぼでもあるから、一辺、畠井さんに連絡とってみようか」と答え、畠井さんに電話しました。彼は
「ぜひ来てくれ」とのことで、考えてみることにしました。1周間ぐらいして、畠井さんから航空券のこともあるし、どうするかとの問合せがあって、
「ほんなら行きます」と、行く決心をしました。
 前のトレッキングの写真を持っていますから、ガイドのアリカワさんにまた会えるので写真を渡したいという気持ちもあり、畠井さんにお世話になることになりました。
 隊の構成は、女性8名と男性2名の計10名。現地へ行ってから日本人学校の石垣先生(以前、中高年ハイキングクラブ会長で現在夫妻で学校勤務)も一緒にトレッキングに行ってくれましたから、全部で11名です。

 現地ではサーダー1人、シェルパ2人、キッチンボーイ5〜6人。それからポーターが10人ぐらいいましたが、彼らはボクらと直接関係はなく、サーダー、シェルパが取り仕切っていました。だから顔も見なかったし、話もしません。話をしたのはサーダー、シェルパ、キッチンボーイです。そういうことで、トレッキングとしてはかなり大所帯となりました。

■カトマンズにて
 1日めはバンコック経由で24日昼にカトマンズに着きました。その日は疲れているから、みんなホテル「バイシャリ」でゆっくり休みました。

 25日は観光ということで、パターンとかカトマンズのお土産屋さんとか、あちこちを石垣先生とその学校のネパール人のガイドで回りました。ボクは前に生信先生と来ているので、ある程度知っています。だから、ボクも少し偉そうに
「ここはこんなんや、あんなんや」と説明させていただきました。(笑)

 26日は、カトマンズ空港からルクラに向けて出発とのことで、ホテルをあとにしました。ところが空港に行ったらルクラの天候がずっと悪くて、2〜3日以上飛行機は飛んでいないとのことで、ノーフライトになってしまいました。しかたなく、またホテルに帰ってきました。
 まだ半日以上あるし、どうするか。結局、三々五々市内見物ということになりました。私は
「トレッキング前だから、ゆっくりホテルで休養したら」と勧めましたが、初めて来た人が多く、
「せっかく来たんだから、あちこち行きたい」ということになったようです。
「ほんなら、行ってきたら。ボクはそこまでつきあいでけへんから」と休養しました。明くる4:00にフライトできるとの情報が入ってきました。
 私は、先般生信先生と来たとき世話になったナラヤンさんの事務所を訪ねました。ところが事務所が閉鎖されているようです。
「あれっ」と思って、
「おかしいな、休みかな」と思いながら、入口のタバコ屋に、片言の英語で
「ナラヤン・オフィスはどこに行きました?」と尋ねたら、
「上にある」と答えてくれました。2階へ上がると事務所がありまして、ナラヤンさんも
「木下さん、どうしました?」とびっくりしてました。まあ、こうこうの事情でエベレスト街道のトレッキングに来て、今日飛行機が飛ばないで帰ってきたことなど説明しました。お茶をよばれ、
「先生も元気です」とか近況の話を1時間ばかりしました。そこの可愛いねえちゃんは
「パン食べる?」って出してくれましたが、
「ノーサンキュー」
「いつ帰る?」
「4月7日です」
 そしたら、先生に手紙書くから、また寄ってくれというような話もありました。
 アリカワさん(ガイド)の家もホテルから15分ぐらいのところにあります。そこも訪ねました。そしたら、たまたま4週間のガイドに出ているとのことで留守でした。隣の人が出てきて話してくれました。これも片言の英語で通じました。奥さんはポカラの実家に帰っているとのこと。もうお腹も大きくなっており、一人で置いといたらアリカワさんも心配なんやろな、と思いました。土産を渡し、
「大阪の木下からよろしく」と伝えていただくようお願いしました。
 ホテルに帰ってきたら、
「明日10:00に飛行機が飛ぶ」という連絡がありました。

■ルクラへ
 27日、みんな気持ちを引き締めて、朝8:00カトマンズの空港に向かいました。簡単な搭乗手続きをして、カナダ製の20人乗りぐらいの双発機に乗りました。1週間ぶりに天気が回復して、10:00若いパイロットでフライトです。乗客は私らのパーティと白人5〜6人のパーティです。
 そんな小さな飛行機でも男性のスチュワーデス(というのかどうか知りませんが)が、離陸して安定したら、耳栓とアメを配って歩いてましたわ。普通の大きな飛行機と違って密封性がないから、エンジンの音がうるさい。耳栓といっても、綿を千切ってくれるだけですけど、いる人には。のんきなもんですわ。約40分のフライトです。Y下さんの声でびっくりしたり。
 山の斜面を削って作ったような、わずか400mぐらいの滑走路を持つルクラの空港に着陸です。ほんまの土の滑走路で砂ぼこりを上げて着陸します。突っ込んで行く感じでした。
 空港ではキッチンボーイやシェルパの人たちが迎えに来てくれまして。荷物を近くのゲストハウスへ運び、荷物の分担をしていました。
 キッチンボーイの人たちは1周間かけて、カトマンズから山越えしてルクラに入ったそうです。途中までバスに乗るらしいけど、ほとんど歩いてくるそうです。帰りもそういう風にして帰るんだと、いっていました。
 サーダーはカトマンズからボクらと一緒に飛行機に乗って行きましたが。シェルパは現地の人です。キッチンボーイは歩きです。
 ルクラでシェルパがポーターめいめいに荷分けし、約4時間、バグデンをめざします。なだらかな道で、しんどいというようなところではありません。桜やシャクナゲが咲き、これがエベレスト街道かな?と思いつつ、はじめはこんなんだろうといいながら、歩きました。
 途中で村の家のトイレを借りながら、花を愛でながら歩き、15:00ごろ、バグデンに着きました。水とちょっとした手荷物を持って4〜5kmぐらい歩いたでしょうか、大名旅行ですわ。
 その夜からキッチンボーイが作る料理をいただきました。大体、日本人の好みに合ったようなものを作っているとのことです。

――食材はどうしているんですか?
 大体、現地で調達しているようです。味付は日本人に合わせているらしい。

――隊としては食材の調達に関わるのですか?
 いや、いっさい関係しません。

――食糧代金は?
 全部料金に入っています。全部、おまかせ料理です。

■ナムチェバザールへ
 28日は、バグデンからナムチェバザールへの7時間コースです。ナムチェ(約3800m)に上がる一番目の難所です。途中まで川沿いを進むんですが、ナムチェ近くから標高差700mの急登です。
 また途中、1箇所チェックポストがあって、女性のみなさんはそこの兵隊さんと写真を撮ったりして、楽しんでいました。
 明くる29日はナムチェで高度順応のため滞在です。じっとしているのも高度順応になりませんから、「ビュー・エベレストホテル」4000mヘハイキングということになりました。往復4〜5時間、遊びながら行きました。ちょっとしんどいという方もでましたけど。
 エベレストホテルは日本人の経営。「ネパールはこれから観光でやらなければ」との発想で作ったらしい。そのとき、いろいろ批判もあったらしいですね。飛行場を作ったりして自然破壊だとの非難もあったようです。途中のルクラなどの人たちが「あんなところに飛行機が降りたら、自分たちの村を飛び越えて行ってしまう」からと、ごっつい問題になり、ナムチェの飛行場に牛を放ち、降りられないようにしたといわれています。ネパール政府も理解を示したようです。だから、いまでは飛行場として利用されず、ヘリポート程度の利用のようです。
 だから、ホテルもあまり儲かっていないというような話をしていましたね。そこから見るエベレストもきれいです。アマダブラム6856mが正面に見えて。
 他の外国人はホテルを作るなど(観光開発)はしないが、日本人はホテルを作れば人が来る、ネパール人も雇える。とはいえ、そんなぎょうさん雇えるわけはないが。他の外国人は診療所を作ったり、学校を作ったりと、そこの住民の役に立つようなものを作っているが、日本はこんなもんしか作らん。そんな話をしている人もいましたね。

■タンポチェへ
 30日はナムチェからタンポチェ約4000mへの7〜8時間コースです。ここも大変苦しいルートです。3000mを越えたところでの行動ですからね。
 7:30出発。ホテルの下の道、エベレスト街道を歩きます。自転車で走れるようないい道です。マウンティンバイクなら走れるかもしれません。たんたんとした道で、2〜3の村を通過し、ここも最後のところは高度7〜800mをジグザグに登ってタンポチェです。
 体調を悪くした人も1人いまして、石垣先生やシェルパがいろいろ世話をしてくれまして、なんとかタンポチェのテントに入ることができました。その人にはそこが一番しんどかったと思います。

――高山病の状態はどんなんでしたか?
 頭痛とか、ちょっとの食欲不振とかですが、顔がはれるとかのこともなく、全般に大したことはなかったですね。
 そこもいいところでね。エベレストが目の前です。とはいえ、エベレストのBCまで行こうと思ったら、あと4日かかるとのことです。

 31日は、そこタンポチェで1日滞在ですわ。そうそう、27日、天候悪く1日飛行機が飛ばなかったので、畠井さんとテントの中で日程を調整しました。ほんまは、ターメへ回る予定でしたが、帰りの飛行機に間に合いそうにないのでターメは中止し、ナムチェからタンポチェへということになったんです。時間的に余裕がなく、1日削るというイキサツがありました。
 その日は、ゆっくりヒマラヤの山を眺めて過ごすことにしました。テント場の近くに丘があり、そこに登れば4000mとのことで登りました。その丘はタンポチェピークとかいっていました。サーダーとシェルパと一回りしました。そこにチベットのお寺もあり、坊さんとも話をしたり、写真を撮ったりしました。その坊さんは日本に来たこともあり、京都や奈良を観光したというてました。
 タンポチェではエベレストで遭難した韓国隊の遭難碑が見晴らしのよいところにありました。何年か前の遠征で遭難しました。「この道を帰れんかったんやなあ」とみんなで話をしました。エベレスト街道は「栄光と悲劇の道」といわれています。登って帰ってくる人と、永久に帰ってこない人がいるわけです。

■山を下る
 4月1日、来たときと同じ道を帰っていきます。みんな満足の顔で帰途につきました、
「ここまで、よう来たなあ」
まだ奥に入りたい気持ちもあったようですが、予定はタンポチェまででしたから。
「ここまで来ただけでも、えらいやんか」という評価です、
「よう、歩いた、あるいた」ナムチェまで、登ってきた道を下っていきました。もったいないような気分でした。
 ナムチェに到着した時点で、1人がひどく体調を崩していました。「もう、歩けない」とのことで、レスキューの要請をすることになってしましました。それは畠井、石垣、サーダーの合議で気をつかってやっていました。ボクはそのことについてしゃべる立場ではないので、論評は差し控えます。
 その日はナムチェ泊。ここはシェルパ族の村です。顔は日本人によく似ています。チベット系のお寺や土産物屋もたくさんあります。日本語もある程度通じます。ディスコもあります。夜になったらテントの後ろのゲストハウスからロック調の音楽がガンガン響いてきて、「うるさいな」と思います。現地の若い人たちはお経よりロック音楽の方がいいのかな。
――日本人じゃないのですか?
 いやいや、現地の若者たちですよ。
 また、朝になったらお経が聞こえてきます。なんやら感覚がおかしくなってしまいます。

■バッファロー・ゲップと下痢に苦しむ
 2日はナムチェからバグデンへと下ります。その朝からボクが腹をこわして、食欲なし、朝の食事も受け付けません。その前夜、バッファローのカラアゲみたいなものを食べたんです。そのせいかどうか、分からないんだけど、そのバッファローのゲップがウッと上がってきて、ムカーッとしてきて、朝から下痢で、もうあかん。畠井さんに
「もう、あきまへんわ」。
 その前に、朝一番、2人がレスキューのヘリで下山しました。
 ボクは下痢やし、シェルパにボクの個人的な荷物を持ってもらい、ボクはトイレットペーパーと水筒、ミネラルウォーターを手に持ちながら、一番後ろで、情けない気持ちでトコトコついて歩きました。
 もう、30分に1回
「あっ、きたっ」と思ったら、シェルパに
「ストップ、ストップ」と声をかけ、ヤブに入ってやってましたわ。
 その日は何も食わずです。何も食わんのに、ピッピッ、ピッピッ、よう出るもんやと思いましたね。フラフラ、フラフラ歩きました。最後は、人がおろうが、おるまいが、もうヤケクソでやってましたわ。一番しんどかった日ですわ。
 途中、みんな食事していても、ボクは寝ていました。食欲もないし、日当たりのよいところで寝ていたら、どっかの外国人が「薬あげようか」と、親切に声をかけてくれる人もいました。「いえ、持っていますから。ありがとう」と答える。そんなとき、薬、なんぼ飲んでも効きません。
 前、先生と行ったとき、現地の飯を食べ、なんともなかったので、自信を持っていましたが、疲れがでたのでしょうか。その日はやっとこさ、バグデンに着き、テントで寝ていました。

――それは大変でしたね。
 女性のY下さんが、
「腰、もんであげようか」とマッサージしていただいて、生き返ったような気持ちになりました。
 その夜は少し元気が出てきました。キッチンのサーダーが来て、
「木下さん、何か食べる?」「果物でもたべる?」と冷たくひやした果物を持ってきてくれました。その日はじめてモノを食べて「おいしいな」と思いました。
 畠井さんに
「今日はたまらなかったわ」と話をしたら、その晩から
「ワシもちょっと調子が悪いねん」とのこと。ボクと交替ですわ。

■畠井さんも不調に陥る
 3日、バグデンからルクラへ向かいます。畠井さんは下痢で大変でした。すっかりやつれて気の毒でした。ボクはなおっているので、
「畠井さん、大丈夫?」とかいって。彼はフラフラ歩いてました。
「交替やな」と、みんなの笑いをかいながら。
 畠井さんはルクラのテントでひっくり返っていました。
 女性も幾分下痢をしたようですが、ボクのようにひどい人はいなかったようです。
 ルクラに着いたのは昼ごろ。日当たりのよいところにキッチンテントを張り、その下で寝ていたら涼しくてよかった。山はシャクナゲが咲いてきれい。みんな、めいめい商店街へ行って買い物をしていたようです。
 最後の日やから、キッチンボーイを集めてパーティをしようと思っていましたが、畠井さんがそんなんだし、ボクも快調というわけではないし、みんな疲れがでていたようで、パーティはできませんでした。その日は最後の日だということで、キッチンがケーキを作ってくれたり、いろんな料理をだして、もてなしてくれました。

 4日、朝早く飛行場に行き、飛行機の来るのを待っていました。ルクラの空港は大した空港じゃなくして、原っぱの空港です。飛行機が来るたびに現地の人が寄り集まってくる、というようなところです。
 搭乗手続きも簡単。
「マッチ持っているか、ライター持っているか」とかを尋ねられ、ライターは持ち込み禁止、あとで返してくれる。キッチンボーイとシェルパにあいさつし、搭乗。サーダーはボクらと一緒にカトマンズへ。キッチンボーイは、また、山越えで歩いて帰ります。みんな、お金をぎょうさん貰ったんで、喜んで買い物をしていました。1周間分の日当、サーダーが分配していました。

――キッチンボーイの年齢は?
 みんな、20歳台の若者です。
 サーダーは年配、エベレストも登った人とのことです。
 9:40ルクラ空港フライト。この空港は谷に突っ込んで行くようなところです。砂ぼこりを上げて谷に突っ込んで行く。
「早く上がらんかな」
「はや、浮かんかな」と思いつつ、谷に突っ込んで行く。
「このまま、浮かなんだら、どないなりまんねん」、畠井さん、答えていわく
「そりゃ、落ちまんねんで」。
 そういうことで、懐かしいカトマンズに10:00過ぎに帰ってきました。

■カトマンズに帰り、くつろぐ
 ホテル「バイシャリー」を予約していましたが、行ったら、部屋満員や、ということです。そのオーナーは自分の知っている人を優先して泊めたから、違うホテルを紹介するということになり、一晩だけホテル「ヒマラヤ」に宿泊することになりました。
「なに考えてんねん」とブツブツ文句いいながら、移動しました。そこで久しぶりにシャワーを浴びて、あとは自由行動ですわ。
 夜はホテルの食堂ではなく、タメルの日本食堂へ行き、「無事帰ってきた」ということで宴会をやりました。ゆっくりビールをよばれ、ゆっくり寝ました。

 5日、希望者だけですが、エベレスト遊覧飛行というのがあり、5〜6人朝一番で行きました。参加した人は感動したようです。
 ボクはホテルで寝ていました。
 みんな帰ってきてから、ホテル「バイシャリー」の車が迎えに来てくれまして、ホテルを移動しました。
 昼から石垣先生の日本人学校を見学に行きました。日本人学校はカトマンズだけでもたくさんあるとのことですが、彼の学校は古い方で、卒業生も多いそうです。理事長はネパール人。2時間ほど見学と懇談をしました。理事長はボクを見て
「あんた、ネパール人ね」といいましたが、
「ノー、ジャパニーズ」
「いや、よく似てる」。
 その後、石垣先生にネパール料理をよばれて、バイシャリーに帰りました。

 6日、休養と観光です。畠井さんに「山を下りたんやから、サブリーダーは、もう、気をつかわなくてもいいやろ」といい、ボクはゆっくり朝寝をし、みんなは車で観光にでかけました。
 また、ナラヤンさんのオフィスに行き、
「帰ってきました」とあいさつ。
「先生に手紙あれば預かります」といえば、
「まだ、書いていない」とのこと。
「いつ帰る?」
「明日です」
 ならば、今日書いて、明日持っていきます、とのこと。お茶をよばれてから、街をブラブラ。前に先生と行った店をのぞいたりしてホテルに帰り、ロビーでコーヒーを飲みながらくつろぎました。

 7日はカトマンズ出発の日。朝一番、荷物をロビーに置き、ホテルのレストランで朝食。そこにおもしろいお姉ちゃんが2人いて、多少日本語も話すし、ボクの顔を見て
「あんた、グルン族ね」、ボクの頭をなでて
「きれいなヘアしてる」。畠井さんが
「それカツラや」っていうもんやから、引っぱりよるねん。アホな話をして過ごしました。
 13:40カトマンズを発って、バンコック経由、8日7:30関空に着きました。

■荷物が紛失
 ちょっとした荷物のトラブルがありました。関空で、ある人の荷物が1個足らない。預けたときに荷物の数だけチケットをもらうんだけど、それもなし。おかしいな。畠井さんとボクと荷物のない女性1人の3人が残り、タイ航空に調べてもらいました。このときは、荷物が実際にないのでしかたなく、航空会社は
「調べておく」ということになりました。
 後日、マレイシア・クアラルンプールで、でてきたとのことです。カメラだけ紛失であとはすべてあったそうです。損害分は保険でカバーされたそうです。
 団体で荷物の数が多い場合、チケットの数も勘定する必要があります。

 ボクは憎まれ口たたいて、みんなに迷惑をかけました。畠井さんはみんなをまとめて、えらい人やなと思いました。ボクらはそんな、でけへんな。

――予算は?
 予算は26万円。ただし、大分返ってきました。

――天候は?
 大変よかったです。ボクらが行ったときは抜群の上天気でした。花もきれいでした。道端には花が咲き、ワラビもありましたよ。

――町の排気ガス?
 規制がないから、すごいですわ。汚い車ばかり走っています。

――このトレッキングの一番の見所は?
 やはり、エベレストが見える、ということでしょう。タンポチェからですが、もっと奥のカラパタールというとことが一番いいらしいですが。そこまで行けば、ほんとの目の前にエベレストが見えるとのことですが、もう3〜4日かかります。もっと高度障害も出るそうですが。ローツェ、アマダブラムとかいい山が見えます。
 エベレストは英名で、ネパールではサガルマータ、中国ではチョモランマといわれています。
 行った人たちはみんな満足したと思います。ボクも機会があれば行ってみたいと思っていたところですから、行けてよかったですわ。よそのクラブやけど、畠井さんは知っている人だから、すんなり入れました。あとのメンバーは女性ばっかりだったが、気をつかうこともありませんでした。ちょっと経験があるだけ、偉そうにしてしまい、あれでよかったかな?と反省したり。タメルとかは知っているので、土産買いにつきあったりしました。少しは役にたったかな、と思ったり。
 あと楽しかったことは、一人でブラブラ街を歩いたことです。

――各自の水は?
 それぞれが、朝、ボイルした湯を入れてもらって、それを持って歩きます。沸かさないと飲めません。ミネラルウォーターも信用できないとのことですから。
 下痢など病人がでたら、キッチン・サーダーも気をつかいます。大分、気をつけて食事を作っているようです。集団下痢などでたら、信用にかかわりますから。また、日本人向けには日本の料理を勉強しているようです。
 先生と行ったアンナプルナやランタンもよかったけど、このエベレスト街道もよかった。それぞれに独特の風景がありますね。
                              (完)



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