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「あ〜、山行きたいっ。行くよっ、この連休はっ!!」
自称、10ウンネン間も子育てばかりヤラサレテキタ妻・薫が言い放った。
「うん、だったら行こか。鹿島の東尾根へ行こう」
鹿島の東尾根はYMCCで数年前に取り組まれた山行だったが、子育てに(一応は)荷担していた私も行けなかった。中級冬山登山学校でも取り組まれたことがあり、昨年5月に再びYMCCで取り組まれたが、やはり行けなかった。二人の恨み辛みをぶつけるにはもってこいのルートとして、鹿島槍ヶ岳東尾根を選んだ。
当初、電車利用のはずだったが、時間的に苦しくなって車を利用することにした。妻は高速道路の運転はその単調さが苦手なので、ずっと私が運転することとなった。梓川サービスエリアに未明に着いたので仮眠をとる。シュラフに入ると暑いくらいだったが妻は何も被らずに震えていた。
4/28/WED/晴れ
鹿島山荘のオババに挨拶をし、山行計画書を渡して車を大谷原まで入れる。S大学山岳部が、正月に遭難して見つからない残り一人を捜しに来ていた。北俣本谷は昨日まで雪崩の音が響き渡っていたという。今日を含めて、明日からの連休前半は天気が良さそうだ、ということになっている。重いザックを背負って歩き出す。何キロあるか計っていない。家にあった体重計は誰かが踏み壊してしまったのだ。嵩張るし、重いのでダクロンのシュラフは車に残した。気持ちだけ軽くなったか。
東尾根の取り付き。ここを登るのはシンドイダロウナ、といつも通り過ごしてきたが、今日は嬉々として登り始める。ブナ林のザレを登ってすぐに灌木のブッシュとなる。足下にカタクリの桃色の花。登るにつれて目立ってくる。ショウジョウバカマも一輪、やはり桃色をして咲いている。カタクリと全く同じ色だ。灌木が雪に閉ざされてブナの疎林になると左手に一ノ沢ノ頭が見える。疎林を抜け、ブッシュと雪のナイフリッジを二本越えると頭に出た。最後は足下が悪かったので、高度で比較すると二倍の時間がかかっていた。
少々時間が早いが、予定通りここでテントを張る。風が出ているので這松に3本の張り綱を取り、ダイエー袋2枚重ねに雪を入れて埋め、これもアンカーにする。ピッケルとヌンチャクにそれぞれ2本づつアンカーを取って防風対策とする。
第一岩峰から上あたりはガスに巻かれて見えないが、他はいい景色。
「わあ〜、いい景色」
10ウン年ぶりの雪の北アルプスの展望に、薫さんが感動する。明日は午前中少し崩れそうだが、それ以降はもっといい景色に出会えるはずだ。乞うご期待。
ビールを出して乾杯する。シュラフと一緒にロング缶を2本、車に置いてきてしまった。いつもなら一晩当たりL2本とR1本は持つのだが、今日はかなり控えめだ。我慢できるだろうか。明日のルートファインディングと同じくらい心配になる。
夜中、寒さのために1時間ごとに目が覚めた。やはり、この時期でもシュラフ無しは辛い。昨日の梓川サービスエリアの心地よさを思い出した。
大谷原1,080m 8:30
9:20 1,310m付近
− 10:15 1,505m付近
− 11:00 1,635m付近
− 12:20 1,870m付近
− 13:40 一ノ沢ノ頭
4/29/THU/雪のち晴れ
沈殿。
出発の準備をしていると、4時頃から粉雪が降り出す。昨日のラジオの天気予報で、山沿いでは午前中小雨か雪のところも..、とあったのがこれなのだろう。
9時。女性1人を含む3人パーティが登ってきた。これから行くのか、と問うと、行くとのこと。あなたたちこそ何故行かん、と言ったような口振りも伺える。ワシラは明日、快晴の元、オヒィサンガ、カーッと頭上から照りつけるときに(枝雀か?ワシは..)歩きたいと決めたのだ。故に今日は行かん!!
彼らの姿を眺めながら明日のルートを想像する。ここから眺めると恐ろしいほど立っている雪壁や岩壁も、近づいたら安らかに見えるのだろうか。そんなところを結構な早さで彼らは登り、ガスの中に消えていった。。
昼過ぎ。やはり同じ構成の3人パーティが登ってきて、隣にテントを張り、その後、またもや女性一人を含む別の3人パーティが通り過ぎていき、二ノ沢ノ頭にテントを張った。
4/30/FRI/快晴
6時にはテントを撤収して出発しようとしていると、早々と10名ほどのパーティが登ってきた。どこかの大学の山岳部か。若いパワーであっという間に通り過ぎていく。我々もさっさと片づけて後を追う。連休の東尾根は下手すると第一・第二岩峰は順番待ちになると聞いた。今日は我々を入れて4パーティ・都合20名ほどが東尾根にいる。急ごう、とも思ったが考え直す。出たとこ勝負で行こう。
二ノ沢ノ頭で学生たちを追い抜くが、最初の急な雪壁の手前で追い抜かれ、結局我々が最後尾を歩いている。第一岩峰に着くと、丁度学生たちが登り始めるところだった。その後に3人が順番を待っている。彼らが登り、私が取り付くまで1時間15分を要した。
脆い岩のルンゼとなっている第1岩峰を登る。20m登ると急な雪のルンゼとなり、さらに20m登りリッジを越すところで1ピッチを切る。先行パーティが詰まっているので、這松と岳樺の細枝で何とかビレーを取る。先行パーティはリーダーがかなりのベテランらしく、そつのない動きで登るのでそんなに待たされた気もせず、ストレスなしに我々は動ける。
第二岩峰までは急な雪壁が4〜5ピッチ続く。念のため各ピッチとも確保は解かず、続くナイフリッジもすべて確保して登った。
第二岩峰に着くと、学生たちの最後の人が登り始めたところ。長いことお待たせしました、と次を待っていたパーティに声をかけ、登っていく。礼儀正しいので見ていて気持ちがよい。
ベテランは後に続く2人を気遣って、チムニーの出口でピッチを切る。ザックを背負ってここを乗り越えられない時、ここが荷揚げに都合がよいとの判断。案の定、チムニー出口で淀んだが、2人はザックを背負ったままのっこしていった。
三級ルートなのだろうが岩が脆く、浮いている。ザックが重いのであっさりとチムニー下でザックをおろし、空身でのっこす。さっきのベテランはここで確保のアンカーを取っていたが、気持ちのよろしくないハーケンが2本しかない。そのまま登り、終了点のボルト2本にアンカーを取り、懸垂してチムニー出口に立つ。薫のザックを上げ、私のザックを上げる。
第二岩峰から鹿島槍ヶ岳北峰まで224mの高低差がある。1時間ちょっとで行ける距離だが、疲れも出て2時間弱かかってしまった。しかし、最後の最後までナイフリッジをその高度感とともに楽しませてくれた。さすがは鹿島の東尾根。久々に思い切り山に登った、という感慨に浸ることができた。
北俣本谷を左手に眺めながら鹿島の南峰をめざす。20年ほど前に鎌尾根を登った後、ここを下降したことがあった。雪崩の巣だが、時と場合によっては有効な下降路である。西谷出合まで2時間もかからないだろう。しかし、未練を捨てて今日は南峰へ歩く。北峰よりわずかに50m弱高いのだが、南北の最低鞍部からだと100mの高度差になる。きつい斜面をゼイゼイいいながら登っていると、氷の欠片を落としながら上から単独行者が降りてきた。これから五竜方面へ行くのだろうか。
南峰で剣の雄姿を堪能し、すぐ冷池へ向かう。頂上から30mも下ると夏道が現れる。雪が乗った所と交互にあるが、斜面部はおおむね夏道が露わになっている。アイゼンを脱ごうか、という気にもなったが、このままアイゼントレーニングにしてしまおう、ということになり歩き続ける。
「お父さん、アイゼンの錆がとれたね」
「そやな、丁度よかったやんか」
布引岳を越したところで男女二人連れを追い越す。そのまま行きすぎようとしたのを思い直し、彼らが軽装なので、冷池から鹿島頂上へピークハントにいった帰りと踏んで尋ねる。
「冷池に行かれましたか。小屋開いてますか」
「小屋の近くにテント張ってます。開いていますよ」
「これはありましたか」
グイーッ、と缶ビールを飲む仕草をすると、男性が得たりと微笑みを浮かべる。
「あります。あります」
「よかった。なかったらこのまま下らねばならないところでした」
「なんちゅう聴き方をするの」
と薫さん。
「いや、大事なことですよ」
よくわかっていらっしゃる。
冷池の手前の高台が幕営地になっている。小屋の爺ヶ岳寄りにもテントが張られているが、昨日、一昨日とシュラフ無しで寒い思いをしたので、吹きさらしで雪がとばされて地肌が見えているここに泊まることにする。冷池小屋にビールを買いに行くと小屋の主人らしき人が入り口を塞いで大きな機械を修理している。今日から小屋を開いたらしい。電話は?、と聞くとまだ開設していないとのこと。携帯電話も無い。缶ビールを4本注文して、幕営料とも払おうとすると、4人分取ろうとする。ロング缶4本を4人で、とカウントしたらしい。しゃーないな、その2人分でもう1本ビール貰おう。5本のロング缶を下げて、ホクホク顔でテント場に帰ると、吹きさらしの中で鼻水をこぼし掛けながら薫さんがテントを張っていた。中に入り乾杯。今日はよく汗をかいた。一気に半分ほど飲み、のどを潤す。剣方面をアテにして無線をとばすが返答がない。145.06も433.06MHZもダメ。明日は予備日(最終連絡日)だが、昼頃には鹿島山荘に着くだろう。爺の東尾根は又の機会にしよう。強い風が始終フライをはためかせ、満月が煌々と照らす中、久しぶりの温かい地面で眠りについた。
一ノ沢ノ頭
6:20
− 7:30 2,185m付近
− 8:25 第一岩峰下部(2,410m付近)
順番待ち 9:40
− 12:17 第二岩峰下部(2,590m付近)
順番待ち
12:50
− 15:15 鹿島槍ヶ岳北峰(2,842m)
− 16:15 鹿島槍南峰 (2,889m)
− 16:50 冷池小屋幕営地
5/1/SAT/快晴
今日も快晴。小屋の横から眺める鹿島槍が朝陽に輝いている。その右肩が北峰に延び、そこからストーンと東尾根が鹿島川まで落ち込んでいく。つい昨日の足跡がクッキリとそこには刻まれていた。
ジャンクションピークから直下降するところまで行って、足下を覗くといかにも切れ落ちている。最近通過の形跡もあまりない。新雪もなく安定しているので、トラバースルート(夏道)を使うことにする。ここは新雪が積もったときなどは十分な注意を払わねばならないところ。過去幾度となく雪崩事故が発生している。私自身も目の前で流されかける人をここで見たことがある。2ピッチを最初はフリー、次はアンザイレンし確保して通過した。
S大学山岳部が登ってくる。声をかけると先頭は大谷原で話をした彼だ。翌日には帰るかもしれない、と言っていたがもう少し頑張ることにしたようだ。捜索の合間を縫って鹿島槍のピークハントだろう。軽快なスピードですれ違っていった。
夏の装いの高千穂平で服を脱ぎ汗を拭く。目の前に一ノ沢ノ頭から続く東尾根が広がる。今回はここで見納めだ。サングラスを外してしっかりと目に焼き付ける。
いくつかのパーティを追い抜きながら下る。登ってくる人たちも多い。今日から3日ほどは絶好の登山日和が続くらしい。いい加減うんざりした頃に埃色に染まった北俣本谷と西谷の出合にでる。テントが数張り。ここを根城に、稜線を窺ったり、西谷や本谷で春スキーを楽しむ人たちのものだろう。
大谷原から西谷出合までの林道は春の日差しが優しくて、行きでも帰りでも、いつでもフワッとした安心感で歩けるところだ。今日も自然の恵み山菜などを鑑賞しながら歩くのだが、フキノトウの頭がすでにほとんどむしられている。どうやら乱獲魔が通過したな、と言いながら歩いていると、スーパーのポリ袋を持ったおじさん達がそれにいっぱい詰めて登ってくる。まだこれからも採ろうとしていた。山菜やその他の自然の恵みは、モラルを持って鑑賞したり時にはその味わいを楽しませてもらうべきと考える。食糧不足の時代ではあるまいし、腹を満たすほど採ってしまうのはいかにあさましい。そしてとても悲しい。我々は家族の人数ほどのフキノトウと葉っぱのきれいなクサソテツ(コゴミ)を鑑賞した。
大谷原でベンチに座り、一ノ沢ノ頭を眺めながら車においていたビールで乾杯。鹿島山荘によりオババに下山報告をする。
「Kさんから2回ほど電話がありましたよ。まあ、大丈夫でしょう、と答えておいたけど..」
下山が予備日になってしまったので電話をしたようだ。
「ここから電話していったら..」
「いや、連絡本部が会社に行ってるかもしれないので昼過ぎ頃家に電話します」
薬師の湯から緊急連絡先のMさんに電話する。
「もしもし、川原ですけど。今下山しました」
「ああ〜よかった。もう1時間もしたら出動するところやった。警察にも届けたんや」
「えっ、なんで。今日はまだ予備日やけど」
聞くと、在阪の会員や労山の関係者にも連絡し、待機を頼んだとのこと。予定より遅い下山に大阪では3人の副代表が電話で会談し、そういう措置をとったらしい。数年前も同じようなことがあり、以降、私の作成する計画書には最終連絡期限(時間)なるものを書いていたが、今回たまたま普通の書き方で作成してしまった。
後日、副代表の一人・KJさんから電話が入った。事故がなければ遅くとも前日には冷の小屋から電話が入るだろう(今朝、大阪から小屋へ電話できたのだから)、連絡がないと言うことは何かあったと言うことだ、と判断したとのこと。
「ちょっと、俺の勇み足やねん。すまん」
「いやいや、すんません。おおきに」
なるほどそうか。いずれにしても多くの方に迷惑をかけてしまい、どうもすみません。そしてありがとうございました。今後さらに精進し、安全登山に努めたいと思います。
戦国時代の武将・佐々成政が、かの有名な雪のザラ峠越えを敢行し、ついた先の地元民に歓待されたときに、なかでも特に感激したのが大釜による風呂の接待だと言われる。大町温泉郷・薬師の湯は最近リニューアルされ、その中庭に成政が使ったものと同型といわれる釜が置かれている。成政は大釜の湯に浸かりながら、自分が越えてきた山を眺める余裕があったのだろうか。その山を眺めて美しいと思っただろうか。成政ならずとも感激してしまう、以前にもまして美しく快適になった露天風呂に浸かり、歩いてきた雪の峰を眺めながらそんなことを考えるのだった。
冷池 7:00
− 10:15 西俣出合
− 11:00 大谷原 11:40
− 11:50 鹿島山荘
− 12:20 薬師ノ湯
END
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