久しぶり  吹雪は厳し夜叉ヶ山
長居は無用と  急ぎ下りぬ


ところ: 奥美濃・岩谷山荘〜夜叉ヶ山

と き: 1999年3月20日〜21日
参加者: L.徳本茂孝、生信良明、庄司明、森本栄子、中川好治
       伊東朱美(ぽっぽ会)

 北アルプスか奥美濃か、そこそこの厳しさのある残雪の山をめざそう。2月のミーティングで話し合った結果、総会の準備もあるし、あまり難しいところは避けて、奥美濃あたりで徳本さんに適当なところを選んでいただこう、というようなことになった。

 徳本さんは、それでは夜叉ヶ山〜三周ヶ岳〜美濃俣丸〜広野ダムというコースで3月20日から22日の3日間の縦走計画を立てていただいた。彼は若いときからこの山域をわが庭のように歩いてきているので、大変詳しい。いつもお世話になっている。

 20日(土)9:30、JR長岡京駅集合。天気は雨、この3連休、どうも天気はよくなさそう。徳本さんの車に全員乗りこみ、まずは向日市の「ママさんマーケット」(?だったか)へ買い出し。安くていい食材が入手できるとのこと。うどん、ラーメン、餅、サバ、漬物、大根やネギ等の野菜その他いろいろ購入。いずれの庶民の市場周辺は狭い道で無秩序な構造が多いが、ここもそういう感じ。出る車と入る車が1車線。

 京都南から名神高速道路に乗り、雨の中を走る。徳本さんの車は大きい。6人とそれぞれの大きいザックを積み込んでも余裕がある。「登山にたくさんの人を乗せるために大きい車を買ったんでしょう」と奥様に皮肉られるそうだ。どうもすみません。

 伊東朱美さんは、私は初めてお会いする。いや、どこかで、しばしばお会いしているだろうが、お話するのは初めてなんだろう。すごく積極的でエネルギッシュな方のように思う。徳本さんの「かざぐるま」の話が初めてのようで、「えっ、盲人で登山するんですか」。

 「近郊の野山の軽いハイキングだけじゃないんです。アイスクライミングや岩登りもしているんです」と徳本さん。だから、たくさん入ってくるサポーター会員も、ついていけず、抗議めいたことをおっしゃる方もいるらしい。

 「大島さん(全盲)も歩くのは早いんですよ」と栄子さん。サポーターもトレーニングしないと一緒に山登りはできない。

 マラソンでも盲人で早い人はたくさんいる。2時間40分で走る人のサポートなんか、なみのランナーにできるわけはない。

 最近、盲人の写真教室を行ったり、かざぐるまの文化活動の幅は広い。「どうやって写真を撮るんですか」伊東さんは不思議に思う。誰だって理解に苦しむだろう。

 菩提寺PAでコーヒー休憩。相変わらず降りしきる雨。まあ、今日は降ってくれて一向にかまわないが、明日、あさっては晴れて欲しい。

 米原から北陸自動車道、かすんでよく見えないが、伊吹山の雪はほとんどなさそう。融雪が早いスピードで進んでいるようだ。

 今庄で高速を降り、一旦今庄駅へ。そばにある忠兵衛そばへ寄り、熊の毛皮の上に座るのはいつもの慣わし。いろりに燃える大きい炭火にあたり、ビールにおろしそばをいただく。2人の娘さんも、もう随分大人になられた。

 駅前のスーパーで酒のアテ用に焼きサバ、ママカリ、厚揚げ等を仕入れて、広野ダムへ。運転は新しい機械にさわりたい生信先生が交替。山麓はかいもく積雪なし。ダムのあたりで例年なら1〜2mある積雪も、除雪されていることもあって道路脇に少し硬い雪が残っているのみで、積雪は0。これはありがたい、どこまで入れるかわからないが、入れるところまで入ろう、と岩谷川沿いの道を奥へ。途中、工事用のトラックがいたが、徳本さんがお願いして道を空けてもらう。

 道端にフキノトウがあり。目ざとく見つけて、車を止めてさかんに鑑賞。車は運良く岩谷山荘前の駐車場に到着することができた。

 ザックを担ぎ、買い出しの袋を手分けして持ち、橋を渡る。橋は真ん中あたりが水溜りになっていて、運動靴が濡れる。ちゅうちょしている栄子さんたちを尻目に、「こうして渡る」と徳本さん、バシャバシャといく。

 寒い夜は体ぬくもる船場汁

 岩谷山荘は先客なし。2階の畳の間を借りることにする。いつものことながら、芳しいカメムシさんの香り。冬期間に死に絶えたその死骸が部屋いっぱいに散らばり、徳本さんが箒で掃き集める。その量、両手にいっぱいぐらいはあったか。

 さあ、それから楽しい宴会。焼酎、酒、ビール、ワインといろいろあり。飲むほどにわけが分からなくなる、これはいつものこと。

 塩サバに大根の汁、いわゆる「船場汁」、大槻師匠に教えていただいた大阪の味、船場汁はいつのまにか、もう徳本さんの得意料理になってしまった。これを大山や三瓶山に案内した石井光造さんが評していわく「唯一大阪の名の付く優れた料理」、として紹介してくれたとのこと。

 伊東さんはぽっぽ会所属、中級登山学校卒業生。以前はハイジに所属していたが、事情があって移籍された。わがクラブでは想像できないことが、それぞれのクラブにはあるようだ。

 徳本さんは日頃の激務でお疲れの様子で、山へ来るのが休養になるらしい。疲れていらっしゃるので、早々にお休みになる。

 夕暮れにドヤドヤと5〜6人のパーティが小屋に入ってみえた。1人が2階に顔を出し、部屋の状態を覗かれる。「下が空いてますよ」といえば、ニコニコされる。なんとその方は、吹田労山の分銅さんだった。

 夜半、庄司さんは眠れないのか、1人でワインを飲み、深夜2時ごろまで起きていらっしゃったようだ。

 悪天で やっと登った夜叉ヶ山

 21日(日)朝、うどんと餅を食べて元気をつける。飲み過ぎがたたって、いささか水分が不足気味。コーヒーもおいしい。しばらく水分を多めに体が求める。

 さあ、今日は登るぞ。雨はやっと上がったようだ。ところが、どうも徳本さんの体調がよくない。風邪をひいたようで熱があるとのこと。「そんなら止めといたら」と中川がいう。

 彼は素直にうなづき、今日は寝ておく、ということになる。今日のパーティは5名で予定のルートは大きく変更し、夜叉ヶ山〜三周ヶ岳〜1166m西尾根を岩谷野営場へ下降ということとし、基本的には日帰り、一応ビバークもありうるということで、7:00出発。徳本さんは車が入るところまで見送るとおっしゃって、車を出していただく。しかし、除雪されているのは野営場奥の杉林へんぐらいまでで、あと1.5kmは積雪あり、車の進入はかなわず、歩くことになる。

 7:30登山口。メジロのさえずりがうれしい。また冷たい雨が降ってきた。川の水量が多い。杉の丸太3本を渡した橋を渡り、登山道へ入る。積雪は道をきつい斜面に作り変えているので、谷沿いの道は急峻となる。これでは沢道は無理と判断し、アイゼンを着けて尾根に取り付く。初めの雪渓が傾斜30〜50°ぐらいでだんだん立ってくるから、落ちたら下の谷へ滑落ということになる。早めにやさしい尾根に逃げる。

 しばらく滑りやすい腐食した葉っぱを踏みしめ、すぐに積雪となる。はじめはアイゼンが雪団子の高下駄になって歩きづらい。伊東さんがピッケルで上等なワンタッチ・アイゼンをパンパン叩く。そのアイゼンは叩いたら簡単にカシメがはずれて使い物にならなくなる。私の経験を伝え、叩かない方がよいよ、という。それより大木なり、固定物体を蹴ったらダンゴははずれる。

 雨後の積雪はそれほど沈むことはなく、登るに手ごろでやさしい。昨日のみぞれがわずかな新雪となり、その下はしっかりしたザラメ雪。

 標高700mぐらいから雨はみぞれに変わった。ときとき山を渡る風が鳴るようになってきた。綿のシャツが冷たいと庄司さんがつぶやく。彼はいつも元気だ。私も以前は厳冬期でも綿シャツ愛好家だったが、最近はとみに衰えがひどく、綿ではがんばれなくなってしまい、ウールか汗で発熱する化繊ものとかを用いるようになってしまった。

 8:40天気は風強く曇り、気温1℃、815m、ブナの大木のかげで休憩。少し汗をかいたら昨日の酔いは吹っ飛んだようだ。

 高度1000mぐらいに至り、急に東よりの風が一段と強くなり、気温も低下したように感じる。「まだ行くか」庄司さんが問う。北側から東方の山並みがボケ始めた。どうもこれから天気の回復は望めない。稜線上で吹雪にたたかれ、ホワイトアウトで方向を失う可能性も高い。しかし、1つのピークは踏みたい。ならば、夜叉ヶ山を往復することに、計画を変更する。

 頂上近くでルートが大きく変わる地点で生信先生が標識必要と、スリングを1本垂らす。

 10:10頂上は激しい吹雪、頬を打つ小さな雪つぶてが痛い。記念撮影もそこそこに、逃げるように、もと来た道を下降。5人が歩いたトレースはきれいに消えてしまっていた。かろうじて、薄くとぎれとぎれのトレースを拾って下山。庄司さんが大きく右へトラバースすれば、生信「これは真っ直ぐ下るんじゃないか」とおっしゃる。それでは詳しく調べようと、そのあたり右や左や探すが、踏み跡のようであり、ないようであり。地図を見て考えれば、どうも右尾根が正解のよう。やはり、庄司さんのルートが正しく、その下には生信さんの付けたスリングがぶら下がっていた。

 「彼は動物的感覚を持っている」庄司さんを評して生信さんがつぶやく。

 それから、栄子さんがトップでトレースを拾って下降。ばったり、吹田労山分銅パーティに出会う。「行けるところまで行きますわ」と分銅さん。栄子さんは親切に、迷いやすいので目印を付けるようアドバイスなさる。吹田の1女性、われわれと一緒に下山したそうにおっしゃるが、それはこちらが決めることではないので、おこたえしない。

 缶ビール買い出し 無線でお願いし

 700mぐらいのところで小休止。雪はまた、雨に変わってしまった。庄司さんより気付け薬(焼酎)をすすめられ、少しいただく。栄子さんは山荘に一人留守をなさっている徳本さんが気がかりで無線を飛ばす。彼は、微熱はあるものの比較的元気とのこと。それではお願いしてもいいでしょうかと、「缶ビール1ケース買い出しをよろしくお願いします。」

 酔っ払い 頭使って暖をとり

 徳本さんも偉い方で、栄子さんの頼みなら素直にお引き受けになる。どうも、わがパーティが無理なお願いをしまして申し訳ございません。

 急な斜面をブッシュ頼りに下降し、朝、登ってきた夏道に出る。手袋を絞れば真っ黒な汁が流れる。登山口に出てやれやれ。だんだん雨が大降りになってきた。

 岩谷山荘2階には他の地元パーティ3人衆がいらっしゃって、宴会中。音楽家や白山100回登ったとか、由緒ある家系だとか、東大(だったか)の、先生の家の隣だとか、吉本に係わりがあるのだとか、しゃべり出したら止まらないグループ。

 徳本さんはそんなお方のお付き合いをなさっていた。どうもご苦労様でした。彼はみんなの帰りを待って、ウィンナーを焼き、缶ビールをご馳走してくれました。熱があるのに誠に申し訳ございません。感謝申し上げます。

 「少し寒いな」とのようなので、そんならツェルトをかぶろう、ということになり、庄司さんがツェルトを出す。それを被って中でガスコンロを燃やす。温いぬくい。「背中が寒いな」とは生信。じゃあ、ダンマットを背中に当てよう。「うん、これは温い」ということで、その中で鍋料理。ところがツェルトが垂れてきて燃えそう。「みんな、頭使え、アタマ」、頭でツェルトを支えればツェルトが燃えることはない。発想の頭脳を使うことではなく、ツッカイ棒としての頭を使え、とのこと。

 やがて、夕暮れ近くに至り、吹田労山パーティも帰着し、安心。一緒に一杯よばれつつ交流を深める。

 今日はもう一晩ここに泊まる予定だったが、吹田の皆さんは今日お帰りになる、ということもあって、徳本さんが「私も今日帰りたい」とおっしゃる。病気の身、自宅で眠るのが一番の薬、それではみんな帰ろうということになる。

 片付けてパッキング。雨の中、徳本さんの安心運転で、まずは今庄温泉で入湯。じっくり温まって、帰途につく。

                    1999年3月22日 中川好治



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