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久しぶりの比良の豪雪 ラッセル楽し堂満岳東稜 と き: 1999年2月12日夜〜14日 ところ: 13日堂満岳東稜往復 14日堂満小屋〜ノタノホリ往復 (かざぐるま)参加者:12日インタニ口テント泊=内田裕子、森本栄子、荒木香、栄田浩也、森本孝司、木下清、中川好治 13日堂満東稜 L.内田、森本栄子、荒木、栄田、森本孝司、木下、中川 14日かざぐるまノタノホリ L.森本孝司、木下、中川 中級アシスタントコーチ=アルファルンゼ 内田、森本栄子、荒木 |
12日、大山山行が川原健一さんの風邪のため中止となり、代わりに内田裕子さんリーダーで比良となった。 夕方、中川はJRで茨木から乗車、比良駅20:10ぐらいに着。内田さんもJRで少し遅れて到着。大体インタニ口に21:00ごろの約束とのことで雪の降りしきるなか、久しぶりの比良山行のスタート。 その他のメンバー(森本孝司・栄子、荒木、木下、栄田)は森之宮駐輪場前に18:30集合で、栄田車でやってくるとのこと。えらい雪だから車で入るのも苦労するだろうと思う。 インタニ口のバス道路をはずれると、もう踏み跡はない。積雪15cmぐらい。暗いなか、内田さんが担いできた6人用テントを設営。テントに入って灯りを点けようと電池式ランタンをセットするが、なかなか点いてくれない。一度、パッと点いたので、ヨッシャと思ったが、少しさわったら消えてしまった。諦めかけたが、内田さんが執念でなんとかうまく点けていただいた。 雪はしんしんと降り積もる。そのうち21:30ごろ森本栄子さんの声、「YM!」、車は雪でスリップして大変だったらしい。車を道路脇に移動させたりするのがえらかったらしい。 みんな揃って賑やかになり、内田さんの大山で予定していた豚肉の味噌仕込み。お母さんには、そんな味噌に何日も漬けていてはしょっぱくなるといわれて、洗ってきたそうな。荒木さんは金粉入りのすごい清酒1升ビンを担いできてみんなに振舞う。大変重かっただろうに。水炊き、アツカン、いろいろ話もはずんで、12時もまわるころ6テンに7人がなんとか横になる。夜中も雪は降り続いた。 13日(土)降り止まぬ雪。テント場で積雪40cm、今日は堂満ルンゼに入るのはややこしいと、ルート変更になる。内田リーダーは堂満岳東稜のラッセルを決定。 9:00過ぎスタート。インタニ口の茶店から橋を渡り、5分ほど下ったところに「堂満岳・ノタノホリ」の道標があり、ここから登る。別荘の集落を過ぎて、結構急な山道をたどる。ラッセル、ラッセル…元気な内田さんがどんどん飛ばして進む。 ノタノホリの池は薄く雪をかぶり、いかにも寒そう。 峠に出て堂満岳東稜を登る。杉の植林が切れるあたりから東稜本来のいい味がでてくる。雑木林、自然林はなんとなく心がなごむ。ラッセルはドンドン交替して進む。ときに胸までのラッセルはこたえるが、楽しい。3人パーティ(男1、女2)が追いついてきてラッセルに加わる。 そのうち、3人パーティは女性軍が疲れて退却となる。代わって見えたのが、なんと西淀川労山の甫木本さん。中川がラッセルしているとき、ふっと横から顔を出し、先頭を交替。彼の馬力には昔から脱帽しているが、いつもながらすごい。 積雪1m、胸までのラッセルが続き、甫木本さんはワカンをはいて、急斜面になればザックを置いて突進。ワカンを持たないわれわれは、それに続くが、彼の速さにはついていけない。 やっと稜線にでて、やがて堂満岳頂上、1057m。相変わらず雪は降りつづける。金糞峠から武奈ヶ岳方面は降りしきる雪の向こうにうっすらとかすみ、いい景色だ。すでに15:00、随分時間がかかった。当初の予定だと、堂満岳を往復し、下山後はかざぐるまの荷物を小屋に運ぶことにしていた。というのも、この積雪では徳本さんの車は堂満小屋まで入れないだろうから、国道から小屋まで大量の食料、装備をボッカしなければならないだろうと思っていた。しかし、もう無理やな。 往路の堂満岳東稜を下る。甫木本さんは今日は一人、金糞峠付近で泊まるとのこと。ラッセルありがとう。 内田、荒木、森本、栄子、栄田さんたちは早足で下降、木下、中川はゆっくり下降。木の枝にしっかりたまった雪がときおりドサッと落ちる。滅多にないことだが、倒木をくぐるとき、中川の右足がつる。そうや、もう若くはないのだ。 テント場に帰着、17:00。茶店で買った缶ビールで乾杯。テントの中は天国、今宵は荒木さんのメニュー。いろいろよばれて満足。さて、今宵、森本孝司さんはかざぐるまの堂満小屋へ移動の予定。というのも明日のかざぐるまの堂満岳東稜登山の総リーダーという重要な任務があるから。 しかし、彼一人では寂しそう。「中川さんも行くやろ?」 「いや、行くとはいっていないので、明日行くわ」 「えっ、大島さんに言っといたよ。中川さんも木下さんも行くようになったと」 そうか、それなら行かなければならないか。ということで、携帯電話で連絡をとる。しかし、大島さんにも徳本さんにもつながらなかった。21:00過ぎ、荷物を整理し、森本、木下、中川はテント場を出る。明日の予定は、女性3人はアルファルンゼ、栄田さんは車でその3人を志賀駅まで送り、風邪がよくないので帰阪とのこと。 暗い夜道、ずっと雪の降り続くなか、国道にでて南に歩く。山すそを巻く道もあるが、ラッセルが大変と、大回りになるがいたしかたない。歩道も通る人少なく、歩きづらい。酒を買おうと思うが酒屋はない。南比良から深谷方面へ、北西に林道を上がる。車が通った跡があるから多分徳本さんたちだろうと思う。 かざぐるまで賑わう堂満小屋 MBSテレビも同行 23:00ごろ堂満小屋に到着。かざぐるまのたくさんの方々がいろりを囲んで盛り上がっていらっしゃる。雪を払って上がる。すでに荷物もたくさん置いてあり、荷物の置き場に苦慮する。 いろりにも鴨鍋、隅の徳本さんのそばにも鴨鍋あり、酒もあり、で再びいろいろごちそうになる。大島和さんには、遠慮するのに中川の足をマッサージしていただく。そして、いつしかくたばって眠る。 21日(日)雪 夜明けて川へ水汲み。ツッカケでバケツを持って出かけようとすると、ある女性の方、「それでは(ツッカケでは)絶対無理よ」とおっしゃる。 そうかな、昨日から何回も川へ水汲みしているんだから、川へ下りるところの踏み跡はしっかりしているはずや、と思って行ってみれば、そのとおり。 朝はうどん。いろりと徳本さんの片隅での2箇所で大鍋うどん作成。 ノタノホリ 尻セード楽し 8:00森本、木下、榎本さんたちがラッセルのため先行。中川は少し遅れて続く。今日は、当初堂満岳東稜をめざすこととなっていたが、積雪多く中止とのことで、全員ノタノホリ往復となる。 谷筋を詰め、堰堤を3つ越して峠に至るが、入って100mぐらいのところ、ブッシュの沢身をたどり堰堤を巻くあたりのルートファインディングがややこしい。しかし美しい新雪ラッセルは楽しい。シャベルを使ったラッセルは効率がよい。 9:00には3班すべてが登りに入って、それぞれ元気にトレースをたどる。MBSのテレビカメラ隊(3人)は重い機材を運びながら撮影。これは体力か要るな。 峠から100mほどでノタノホリ。これは6月新芽のジュンサイをいただくいい池だ。去年もこのノタノホリの語源を考えたが、ジュンサイは昔、沼縄(ヌナワ)といった。それが生育する田んぼ、沼縄田の堀ということか。田と堀はこの場合同義語となってしまい、おもしろくないので、沼縄田のへり(縁)、というのが適当か、と思う。 ジュンサイのすまし汁は独特のヌルがあっておいしい。まず、うすくち醤油で味をととのえた豆腐汁をつくり、ゆでて水切りしたジュンサイをはなす。 この池にはその時期モリアオガエルの卵がかえる。径20cmもある白いアワブクが池の周りの樹枝にくっついており、そこから小さなオタマジャクシがポロッと落ちる。池ではたくさんのイモリがいて、おいしいエサが落ちてくるのを待っている。大部分は食べられてしまうのではないか。 さて、しばらくこのノタノホリで遊ぶ。森本さんがシリセード(お尻で雪の斜面を滑り降りる)のルートを整備する。傾斜35度、距離15m、杉林の大木の間にルートを設定。 視障者のみなさんは勇敢、原さんも小柳さんも、みんなみんな、滑るわすべるわ。ときどき杉の枝葉にしっかり載った雪がバサッと落ちる。そのたびに雪煙が舞い上がり、周囲にかなりの飛雪が風圧をともなってはじける。頭に雪を浴びるとたまらないが、見ている者にとっては迫力ある雪の芸術だ。 11:00過ぎ、徳本さんから、おいしい粕汁の用意ができたとの無線の連絡で、帰途につく。下山の雪道はたくさんの人数の踏み跡でしっかりコンクリートされ、つるつる滑る。シリモチをつく人多い。手引きの人も一緒にころんだり。 ゆっくり下りつつ雪を観察する。風がなく穏やかに降る雪粒をシャベルで受けて眺めれば、なんと美しい雪印マークの雪、広幅六花型結晶。滅多に見られないいい雪結晶だった。 林道に出て、小屋へ向かう。北村さんは80cmほどの新雪のなかに入り、ラッセルを試みる。「ええっ、こんなに深いの」と感動。できれば、視障者のみなさん全員に新雪ラッセルを経験していただいた方がよかったな。晴眼者の一部だけがラッセルを独占してしまったのは、当然それでいいようで、かえってよくなかった、間違っているんではないかとの疑問が沸く。 また、ある視障者の方(井戸さんだったか)は平坦地の新雪にドサッと全身で倒れこみ(飛び込み)、人型を作ったりして楽しんでおられた。こんなに雪が多いところに来たのは初めてのことだったようだ。それだけに、胸までのラッセルの経験はむしろ必要だったのではないか。 堂満小屋には今日到着の方もいらしていた。今日の集合は少なくて長時間大阪駅で待ってしまったとか。ご苦労様でした。小屋ではまたまた賑やかに粕汁料理をいただきながら話がはずむ。 自称「やまんば」の川端さんがせっせと粕汁を作ったり配ったり、どこから沸いてくるのかすごい迫力がある。その旺盛な気力、行動力にはいつもながら感心する。また、彼女はいわく、「これぐらい人数が多いと、帰るとき、必ず誰か、あれがない、これがないといいだす」。そうやな、自分でも何回となくそういうことがあった。「ちゃんと自分で管理しとかんかい」とおっしゃるが、まさにそのとおり。 また忘れ物 困った 「テント場にピッケル忘れてきたんやないかな」中川がいう。森本さんが答えていわく、「いや、どっかにあるぜ。たしか夕べ、持ってたよ。」 そう、小屋の入口にありました。小屋の隅に置いていたザック、手提げを持って外に出る。外でパッキングするが、なにか軽いし、なにか足らない気がする。一応小屋に荷物を置いた場所には、私のものは他に何もない。 歩きつつ思い出す。雪崩グッズはどうしたんだろう。他のxxはどうしたんだろう。インタニ口のテント場は雪に埋もれ、外に出しておいた装備は多分回収されていないのではないか。比良駅に荷物を置いといて、調べにインタニ口へ行ってみようか。いろいろ思案するに、森本さんが栄子さんに様子を聞いてみる、とおっしゃって携帯電話で連絡。現在志賀駅へ下山中とのことだが、電波状況が不良でうまく通じない。 比良駅に到着してから再度電話していただくと、テント場の荷物の回収はちゃんとできている。荷物は栄田さんに持って帰っていただいたとのこと。どうもありがとうございました。駅前で落ち着いて酒をよばれていると、伊藤さんが、中川が置き忘れた装備があり、徳本さんが回収して持って帰られたとの連絡を受ける。そうですか、すみません。いろいろ、あちこちで忘れ物をしたものだ。酒で脳軟化症になってしまったのだろうか。トシで健忘症が進行しているのだろうか。 いろいろご迷惑をおかけし申し訳ございません。今後気をつけます。その件を除けば、今回の山行は楽しく、いい思い出となりました。 記: 1999年2月27日 中川好治 |
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