1998/08/14/FRI〜16/SUN
慈悲深き沢に抱かれて 1,000m
大峰山系・芦廼瀬川本流
MEMBER:荒木、川原・薫、栄田、森本
記:YMCC 川原健一

「あっちのほう、えらい降ってるで。テレビ見た?どないする」
 安治川山の会・入沢氏から突然の電話が来た。それがなければあっさりと『ちくま』に乗り込むはずだった。
「ちょっと待って。この時間、テレビはなんもやってないし、情報を仕入れるから..」
 パッキングを仕掛けていた手で早速テレビのスイッチを入れる。とぎれとぎれの天気予報やニュースは、北陸、甲信地方に降っている大雨や岐阜県のドコソコでオートキャンパーが100人ほど閉じこめられていることを報道する。富山県警に電話を入れると、救援要請が3件あるが増水で出動待機とか、称名滝付近の崖崩れで登山者が下山できず雷鳥平まで引き返したとか、大雨洪水警報が出ている、とか芳しくない。天気図を描くと、黄海から日本海、三陸沖まで寒冷、停滞、温暖前線がしっかりと連なっている。そして、それはこれから南下模様だという。
  2年越しの黒部上ノ廊下遡行はかくしてまたもや延期となってしまった。


  手も足も出せぬ

     遠き上ノ廊下


 入沢夫妻は休暇を長く取ったので
「黒部がダメなら悪いけど..」
 とメンバーから外れる。栄田君は
「なかなか取れない長期休暇なので..」
 このままどこも行かないのは辛そうである。荒木さんは
「明日電話するからどこへ行くか決めといて」
 とあっさりしたもの。妻・薫は
「とにかくどこか代わりの所を早く決めて行こう」
 と行く気満々。とりあえず中止の連絡を緊急連絡先の森本氏にすると
「土日なら..、ワシも何とか行きたいけど..」
 どうやら引きずり込んで欲しい様子。
「それなら後でまた電話します」
 とたちまち身柄を拘束した。
  さて、どこへ行ったものか。なにせ、憧れの黒部上ノ廊下を逃したのだ。代わりの場所はそれなりにメンバーが納得できる所でなければならない。失望や妥協はさせたくないし、したくない。いままで何遍も読み返したルート図集を手に取り、ページをめくる。よし、ここだ。芦廼瀬川本流。沢の神様・中庄谷直氏の著書『関西周辺の谷』によるとこうだ。
「芦廼瀬川本流は大峰の数ある渓谷にあって、本流遡行の醍醐味を満喫できる谷で(中略)全く身も心もうばわれてしまいそうな滋味あふれる大遡行が丸2日続くからこたえられない」
  これはまるで黒部や双六沢に対する形容ではないか。


08/14/FRI/晴れ
  栄田車に森本、川原車に薫、荒木が同乗し、河内長野駅に集合。夏の行楽客で賑わう十津川村を経由し(*1)、芦廼瀬川林道から七泰ダムまで車で入る。オートキャンパーがここまで進出して来ていて騒がしくないか懸念したが、良識ある人達であった。
  この夜は、我が会の会費で購入したての120Wガソリンランタンの灯りと星空を交互に見つめ、やっと沢に入れた幸せを噛みしめ、明日溶け込む未知への期待に躍る胸を諫め、淡いアルコールの麻酔に痺れつつ横になったのである。


08/15/SAT/晴れ
  遡行終了点付近の林道まで栄田君と車を回送しに行く。その間に釣り師1人と遡行パーティ1組が先に入ったらしい。先行パーティは下の滋賀県ナンバーだろう。学生らしきもう1パーティも入るようだ。
  朝食もそこそこに歩き始める。最初の滝が川幅いっぱいに滝を落とし込んでいる。流れを渡り、右岸のリッジから越える。次の滝も広角で目に飛び込んでくる。青緑の滝壺に白い流れがドウドウと落ち込んでいる。右岸沿いに上に出るとその先にもきれいな流れと滝が続く。時には都市近郊にでもあればよだれのでそうな大岩壁が無造作に立ち込んでいる。
  ナメ滝2段。右岸の少し苔の付いた壁を登り樹林帯を巻く。
「痛っ」
  両手の甲に鋭い痛みを感じる。さてはヤマイラ(*2)でも触ったか。見ると、なんと白黒縞模様のジガバチがまるでダンスでも踊るようにお尻を振って、私の手の甲に毒針を打ち込んでいる最中ではないか。両手のどちらから振り払おうか2秒ほど迷った後、慌てて叩き落とす。なかなか頭脳的な攻撃だった。薫さんも膝の辺りを1カ所刺されたらしい。この後、どんどん痛みと腫れが増していった。

  中庄谷氏が賞賛しているこの沢はさすがにみどころが多く、次々と滝や釜、瀞や淵、滑やグラ(*3)が現れる。200mは続くと紹介された大瀞は水量の少ない今年はさすがに浅く、突き詰めた奥の6m斜瀑が落ち込む釜までは歩いて通過する。途中、右岸の上竜宮谷から衝立状の岩にぶつかって直角に流れを変えて足下に落ち込む見事な滝が懸かる。
「おお、素晴らしい!!南無...」
 森本、思わず合掌し頭を垂れる。


  みほとけ
  乙姫が

    ここにはおわす

         上竜宮谷


  釜の縁に立ち込んで6m斜瀑を眺める。圧倒的な水量と轟音。この沢の核心の一つで『焼グラ』と名付けられている。左岸の陰惨な濡れたクラック状にシュリンゲが懸かるを森本見つけるが少々手強そうだ。
「ちょっと偵察します」
 アンザイレンし、釜の中ほどへ左岸から落ち込んでいるリッジの向こう側に泳いで回り込むとルートが見出せた。斜瀑の周りはすり鉢状に半円形に穿たれ磨かれ、ヌルヌルで取り付く島もない。飛沫を浴びながらザックを引き寄せメンバーを確保する。ぬらつくスラブを越えると斜瀑の上に出た。
  ナメ床が多くなり渓相が少し柔らかくなる、かと思えば再び険しい表情に戻る。たどたどしい羽ばたきでカワセミは飛び、ビッビッと鳴きながら川ガラスがダイブする。アブラハヤがゆったりと集いアマゴは颯爽と水を切る。幾たびも様相を変えながら飽くことなく楽しませてくれる芦廼瀬川。

  S字状の瀞を過ぎると、今日のビバーク予定地だった二軒小屋谷、西村谷出合にあっさりと着いてしまう。ここからルート図では3時間を要しているが、このまま行けば半分ほどで済むと踏み、奥クルミ谷先の林道交差点を終了点と決め歩き続ける。
  左岸から笠捨谷が合流する。細長い静かな瀞の奥に5mの2条の流れの滝が懸かっている。ここにも御仏がおわすようだ。暗い『狼返しの滝』『狼淵』を過ぎるとまた明るさが戻り、左岸からモチ谷が合流してくる。左岸伝いに歩きながら、横たわる浅い瀞と植林された小山を眺めていると懐かしい心象風景の中にいるようだ。
  岩盤が終わり、広い河原が現れるようになるとやがて終了点の白谷林道交差点に出た。

  ゆっくりと荷を解き、ブルーシートタープとツェルトを設営する。川ガラスやハクセキレイ、カケスが飛び交う中、枯れ木を集め点火し、腰を据えて晩餐にかかる。ビールを、ブランデーを、ウイスキーを、ワインを、ジンをゆっくりと嗜む。やがて星が瞬き、焚き火が明るくなる頃にはすっかり酔いは廻り、思った以上に沢を楽しめた余韻との2重の喜びに包まれて、幸せの絶頂で眠りについたのである。


  踏み行けば

   忘れ得ぬ旅
 
     芦廼瀬川


08/16/SUN/快晴
  未明に目覚めて河原に立った。月明かりの中にも星は輝き、天ノ川さえ横たわっていた。数時間前に歩いてきた川面にうっすらと霧が湧いた。日本海側で荒れた天気をここ奥駈道の南端までは及ぼすこともなく、鮮やかな夏のひとときを与えてくれたのは、今天頂でひときわの輝きを放つあの星と思い、感謝の念を発してもう一度眠りに就いた。

END


      新三田            12:30
−14:00  河内長野           15:00
−17:50  七泰ダム           06:00
−     白谷林道分岐へ車回送  07:30
−15:00  西村谷出合
−16:55  奥クルミ谷出合先


(*1) 川上村から新伯母峰トンネルを抜け、下北山村から白谷トンネル経由のほうが、距離は長いが速いように思う。走行
     距離、片道概ね200Km。
(*2)  ブッシュの中で刺す虫類の総称を言ってます。
     イラとは九州南部の特定の地方で使われる方言でクラゲのこと。
(*3) 沢の中の大きな水たまりを表す言葉として色々な専門用語がある。
     釜とは滝壺のことで、その形態から、飯を炊く羽釜に見立てられたのか?瀞は深く静かな緩やかな流れのある所。
     瀞(ドロ)峡などはその典型。淵とは流れのない(ように見える)所。滑(ナメ)は水たまりではなく、流れに洗われて河
     床に現れている平たい岩盤状の所。グラは沢に覆い被さるように差し迫った岩壁のことか?



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