数百年を 生きた証か ブナの腕
冬枯れを 残すや樹林 透けて見ゆ
奥高野 ひとはいないか やま静か
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奥高野・伯母子岳、赤谷峰と東尾根
読図訓練と調査山行
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記録:中川好治
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とき:
2001年4月7日〜8日
ところ(コース):
A隊=三田谷〜小辺路(こへち)経由〜伯母子峠・伯母子岳〜赤谷峰〜山天辻(やまてつじ)〜山天の高〜東尾根1,206mピーク〜1,057mピーク〜索道レール沿い823mピーク〜長い吊橋〜川津大橋
B隊=その逆コース
登山の目的・趣旨:
今年の正月、木津美代子さん、木葉陽之助さんパーティが伯母子岳から東尾根を縦走し、川津に下山する計画のところ、東尾根にてルートを誤り、遭難寸前に陥ったことから、現地調査を行ない、今後の山行の教訓を引き出したいと考えた。あわせて、地形図の読み方、読図力の向上をはかりたい、とのことで今回の計画となった。
パーティ:
A隊=L.生信良明、伊藤不二雄、木津美代子、今庄豊子
B隊=L.中川好治、木下清、今庄友幸、山下明美
7日(土)晴れ
鶴橋で近鉄大阪線に乗り、五位堂駅に8:45ごろ着く。改札口で同じ急行に乗っていたという木下、木津さんと合流。今庄車も既に到着しており、待ち時間なく生信車・今庄車とも揃って8:55出発となる。数日前までの天気予報は土・日ともに雨とのことで、一応雨の覚悟はしていたが、なんのなんの、陽はさんさんと降り注ぎ、桜花爛漫、思わぬ好天に期待はずれ(?)。
大和高田の、延々と続く桜並木を眺めつつ、大和葛城山、金剛山を見上げつつ、陽春の街道を走り抜ける。
木津さんの正月山行はJRで五条まで来て、そこから新宮行きのバスに乗ったとのこと。五条のはずれのマルKで休憩。ここにはビールはない。
やがて車は十津川に沿って(R168)走り、11:00川津。酒屋に立ち寄り缶ビールを買って川津大橋着。ここに車1台(生信車)を駐車。A・B隊に分かれ、A隊は今庄車でさらに三田谷へ乗り入れることになる。
風屋貯水池の左岸道(舗装道路)を20分ほど歩くと対岸にかかる吊橋を見る。少し坂道を下って橋のたもとに至る。木下、今庄、山下、中川の順に渡り始める。その吊橋は長いな(150m)。しかも横に渡してある薄い杉板も大分いたんでおり、ところどころ壊れて穴があいている。
よく揺れるな。手すりを持てば余計に不安定になるから真ん中に立ってバランスを取る方が安定する。
やれやれ、怖い橋やったな、「豊子さんは大丈夫かな」
「今庄さんと一緒やったら、甘えて、よう渡らんかもしれへんな」(彼女がいないからといって、よくも勝手なことをいっているね)
「渡らなんだら帰れんしな」
右岸に渡ったところに索道の始点がある。椅子が4つほど付いたケーブルのような乗物で急な1本レールの上を歯車(?)が噛んで上下する運搬施設。天王山のタケノコ山で見たことはあるが、こんな乗物がこの地方には多いらしい。
少し上流へ踏み跡をたどってみたが、目的の登山道ではなかったので引き返し、忠実に尾根道をたどる。
暑いあつい。強い山下さんがフーフー、「心臓がパクパクするわ」、とバテ気味。とはいうものの、昨夜は深夜2:00に寝て、朝5:30に起きたとのことだから、睡眠不足のせいだろう。
木下さんは前週、搬出技術講習会で80kgの人を担いだことが影響してか、腰痛に悩まされ、今回の参加が危ぶまれたが、幾分よくなったとのことでストックを持って参加いただいた。「バクダン抱えているからな」とおっしゃってはいるが、元気げんき、トップでどんどん登って行かれる。
今庄さんは若いが故に、いうまでもなく元気。
登るにしたがい風屋貯水池が広がる。
「エメラルドグリーンかな。いやいやトルコブルーやね」と山下さん。トルコ石ってこんな色らしい。宝石店にはトンと縁がないし、妻に買ってやったこともない。
ピーク823m、風屋貯水池を隔てた山々の向こうに大峰山脈が展望される。このあたり、山火事の跡が痛々しい。オニギリをアテに缶ビールがおいしい。
無線は感度不良ながらトギレトギレに入る。A隊は900m地点とのこと。
やがてスギ、ヒノキの人工林が続くようになり、索道レールの右側(東側)に尾根道がある。ピーク1,057mも展望良好。やはり木の葉のない今どきが一番展望が良いのだろう。木々の間を通り抜ける風もすがすがしい。ここで索道レールは終了。
ここより尾根を西へ進み、17:10ピーク1,209m。木津さんたちの正月山行はこのへんが問題地点だったのだろうと思う。A隊はすでに伯母子峠に到着し、多分夕食の準備中だろう。われわれB隊もそろそろテント設営地を探そう。
ピークを下りた小さな鞍部にちょうど6人用テントを張るだけの場所があったので、場所を整理し今宵の宿を作る。
山下さんの(明石じゃない、アフリカの?)タコ、酒のアテにいいですね。焼肉とめし、食材は満足やけど、少し調味料を持ってこなかったのが、美味しい味を引き立てなかったと残念だけど、まあいいや。贅沢はいうまい。
11:45川津大橋出発〜13:40ピーク621m直下〜14:45ピーク823m〜15:30ピーク1,057m〜16:15ピーク1,206m〜17:10ピーク1,209m〜17:20その直下にてテント設営
8日(日)晴れ
昨夜はすごい月明かりだった。ヘッドランプはまったく不用で、明るかった。
「4時だよ」今庄さんの声。眠いが起きなければならない。ラーメン、コーヒーで朝食。
5:00テント撤収し、5:30出発。いくらかひんやりした早朝なので、フリーズを着ていたが、すぐに温もり、上着は1枚になる。北側の谷は雲海に埋まる。
あるかなしかの踏み跡をたどり稜線に至り、西に大きく方向を変えて、山天の高(やまてんのこう)をめざす。
この稜線は、ブナの巨木が多い。太古の昔からここに生きているんやな。ミズナラやカエデも多い。秋に歩けば、また別の世界として感じるだろう。モグラが耕した畑もあるね。こういう土地にはたくさんの動物が生育する。ブナ林の恵みなんだろう。
このあたり、ピークの三角点と見間違う境界石がある。上は「+」印の方位があり、横には漢字の番号が3桁で彫られている。
稜線道は時々背の高いクマザサ・ブッシュに突っ込むことはあるが、ほとんどは20cmばかりの小笹で、しかも葉のない時期だから快適感がある。
山天の高を越えて次の目標は山天辻(やまてつじ)。このへんかなと思って50mばかり進めば、木下「えらい急坂や」と引き返す。谷に落ちて行くような尾根だという。
すぐ西側に長く続く尾根が見えた。あれの基部が山天辻やな、と判る。
A隊とどのへんで出会うやろ、と話しているとき、前方に人影が見える。「おーいっ」。来た来た、生信さんはじめ4名のA隊と出会う。
生信・伊藤さんたちが、A隊のたどってきたルートについて説明してくださる。伯母子峠より30分下ったところにガケ崩れあり、迂回路をたどるべし。中間で下りたら、まだ崩壊地だったので大変苦労したとのこと。迂回路はトコトン迂回すべしとの
アドバイスだった。
B隊からのアドバイスは特にないが、水場がまったくないこと、目印をたくさん付けてきたことを告げる。
ついでに、「ワイン、残ってないか?」
「ない、ない」、「あれへんヮ」伊藤さん、木津さんが回答。
A隊のみなさんもみな元気。なんとか昼までに下山すると強気の目標。
お互いの健闘を祈って、両隊はそれぞれの方向に進む。稜線にたくさんあるミズナラの高い梢にヤドリギが多いね。
赤谷峰頂上1,336mは伯母子岳方面から南面の展望は抜群。東の大峰山脈もきれいに見える。頂上にはA隊生信先生の、伯母子展望のメッセージが手帳の切れ端に書かれて置かれている。
ここからの下りはぐっと雰囲気を変えて、ススキを主体とした草地となる。回りこんで振り仰ぐ赤谷峰もまたいいね。
もう、とうに穴から出てきた虫たちも活発に動き回っている。私の好きなオサムシも3匹見つける。小鳥も歌っている。ヤマガラ、メジロ、シジュウカラ、カケス、ヒヨドリ、ウグイス、ゴジュウガラ、エナガ、…あとは分からん。
やがて「小屋が見える」と今庄さん。すぐに伯母子峠となる。ここには小さいが立派な無人小屋がある。木下さんが中を覗いて、「ええ小屋だよ」。
ザックを置いて伯母子を登る。15分で頂上。呼吸が乱れる。今庄さんは若いな。走るように登る。
伯母子からの展望は360°さえぎるものがない。回りの奥高野の山々。とりわけ西の護摩壇山(ごまだんざん)は明瞭。縦走路を目で追う。結構長いね。
風あり。ややひんやりするので、一段下がって缶ビールをいただく。なんと心地よいことか。
峠に下りてトイレ休憩の後、小辺路を三田谷(びただに)へ向けて下る。
この道、下っているんやろか。トラバースばっかりやで。細いガケっぷちの道をたどる。こんな道、昔はほんまに牛も通ったんやろか。荒れた怖い道やね。滑り落ちたら谷底やで。
小道をおおうブナやミズナラの厚い葉っぱ。まるで、茶色を白に置きかえればふかふかの新雪のようだ。
30分程下りたらA隊の助言どおり迂回路の標識が立つ。その水平の向こうには崩壊した急な斜面がある。そこで、迂回路のブッシュを登るが、どこまで登っていいものか。「とことん迂回せよ」とのアドバイスを思い出し、ついに稜線までブッシュを漕
いで登ってしまった。さあ、次は下り。えっさ、えっさ、クマザサ・ブッシュを漕いで下る。これもえらいな。やっと崩壊地を渡った地点に下りつく。トラバースできたら20mぐらいしかないのに30分ぐらいかかってしまった。A隊はズボラかましたな。
こういうブッシュのなかに目印をしなければ意味がないのに。えっ、「迂回路」の標識に黄色いテープの目印が付けてあるではないか。
このあたりでは、こういった崩壊したガケを「ヌケ」というらしい。「ヌケ」とは道路の岩盤や土砂がスッポリと抜け落ちることをいうのだろうか。きのこの地方名に「ヌケオチ」「ノケオチ」というのがある。これはエゾハリタケのことだが、東北地方ではクマ撃ちの猟師が春先、雪面に落ちた(抜け落ちた)本菌を拾って帰り、家の裏に放置して半腐れとし、それを湯がいて塩漬けにする。後に塩出しして卯の花漬け等にして酒のアテとする。大変美味という。それはアゴが抜けるほど美味いので「ヌ
ケオチ」というのかもしれない。
この道は一度尾根上に出るが、急坂というものがない。しかも登ったり下ったりということもなく、一貫して、下山の場合は緩い下り(登りの場合は緩い上り)が継続する。ほとんど山腹を巻きながら、ゆっくりと高度を落として行く。
昔、旅籠として流行っていたという上西家の跡はこの急峻な土地の中ではおそろしく安定した広い敷地だ。家の名残はないが、土地の広さと萌出た草花から昔をしのぶことができる。まだ花をつけないトリカブトも繁ってきた。
この小辺路は途中、5箇所ぐらい水場がある。
やがて、川音が近くなり、満開の山桜が見え出せば、登山口の三田谷の集落は近い。
登山口には小辺路の比較的新しい道標があり、きれいな道が続いているような雰囲気はあるが、実は随分荒れているとは想像できないだろう。
今庄さんは右奥の林道から車をとってきていただき、三田谷集落の赤い橋から昨日の出発点、川津大橋に向かう。
「このへんに酒屋ないかな」
「こんな小さな集落にはないよ」、そう、三田谷の家はほんの5軒ぐらいしかない。
「ここの桜はえらい白いね」と今庄さん。桜も個性があるから、色も形も少しづつ異なる。
「あったぜー!」と今庄さん。何があったんやろ。そうです、期待していた酒屋です。
川津大橋に着いたときにはA隊は生信、伊藤、今庄豊子さんが5分前に帰ってきたとのこと。木津さんも丁度今お帰りになった。お互いにJust Good!
それから1時間ばかり缶ビール、酒&ラーメンで宴会を楽しむ。そうや、おもしろい話もあった。
A隊が東尾根1,206mピークを下山中、黄色いテープの目印がなくなった。「B隊は手抜きしているな」と評しつつ20分ほど下降。伊藤、木津はこのまま「行け行けバンバン」で下りようとするが、生信先生が「待った」をかけて、引き返し登って元の尾根に出て、目印を探した。そしたら、たくさん目印のテープが続いている。
生信先生は、「長い間、山に行っているが初めて務めたリーダーや。きちんと任務を果たさなあかんと思ってがんばった」とおっしゃる。原則に立ちかえり、迷ったら引き返す。このことは重要だと思う。いくら林道らしきものが見えたから突っ込んで
いい、というものではない。目的は予定のコースを、読図訓練をしながらトレースすること、迷った地点の調査をすることだから、「行け行けバンバン」は感心しない。(もちろん、これは冗談でおっしゃったことばだろうが。)
5:30出発〜5:55山天の高〜6:55山天辻〜7:30A/B隊合流〜8:20赤谷峰〜
8:45伯母子峠〜9:00伯母子岳9:20〜9:30伯母子峠9:50〜10:50上西跡〜
11:40弘法大師〜12:50三田谷登山口==缶ビール購入、水汲み==13:30
川津大橋(赤い橋)
帰途、「夢の湯」に寄ったが、入湯料800円とのことで、遠慮し、香芝に帰って「虹の湯」に入湯。この湯は塩辛いナトリウム塩の中性湯泉で源泉は41℃、大露天風呂、サウナ、ジェット湯等あり。入湯料ウィークデイ600円、土日は700円。あまり夢の湯と大差ないので、現地で入ってもよかったかな、とも思うが、初めてのところゆえ、満足、満足。どうもみなさん、ありがとうございました。奥高野・伯母子岳1
1 川津大橋出発点
風屋貯水池にかかる一番大きな橋。
さあ、これから2隊に分かれて出発だ。
2 水源涵養保安林看板
B隊はこれから急登が始まる。
登山道の整備はなく、標識もボロボロ。
3 風屋貯水池
登るにしたがい貯水池が広がる。
4 急斜面の索道
急斜面に取りつけられた索道レール。
これにつかまって登る。
5 樹齢数百年のブナ
6 赤谷峰山天辻間で合流
稜線でA・B両隊合流、みな元気。
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