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グミノ実を食べて思うは少年時代 半国山は丹波の展望 スズメバチの巣2つ、マムシ2匹発見 とき: 2003年10月2日(木) ところ: 半国山(はんごくさん)774m 参加者: 木下清、中川好治・惇子 |
| 京都駅8:05(8:23でいい)⇒亀岡駅 京都交通バス園部西口行普通9:15⇒9:45宮川バス停→9:55宮川神社→10:25金輪寺→10:40尾根への分岐→12:00井出分岐→12:15るり渓・半国山頂上分岐→12:25半国山頂上(昼食休憩)13:10→14:20音羽の滝→15:00赤熊→15:30宮川バス停 : 登山道=宮川−(5km)→半国山−(4.5km)→赤熊宮川16:08⇒亀岡駅16:54⇒京都駅17:30新快速 亀岡駅から登る山として有名なのは牛松山、行者山そして半国山である。半国山というのは、頂上から丹波・播磨・摂津の国々が半分ずつ見えるところから付けられた名前とのことで、頂上からの展望はすぐれているとのうたい文句がガイドブックにあるので行ってみることにした。 休日でもない早朝の交通は当たり前ながら混雑する。京都駅に早く着いたので、山陰線園部行き普通8:05(予定は8:23)に乗車。桂川保津峡の遊覧船は亀岡から嵐山へと下る渓谷美を楽しむところだが、電車はほとんどトンネルで渓谷が見えるのはほんの一瞬でしかない。だから、旧線のトロッコ列車は川沿いを進むから人気があるのかもしれない。 亀岡駅では一般サラリーマンより京都学園大学の学生で混み合うようだ。朝のうち、寒冷前線の尻尾がこの辺を通過するとのことで、少し肌寒く、暗い雲で覆われる。 園部行きのバスに乗車、あまり混んでいない。関西の富士で名高い日野慶三さんから電話がある。彼は1998年1月 小雪の降る日に千ヶ畑から登り9合目くらいで宮川からの道に合流、山頂から北へ(赤熊の方)下山の道があったのを記憶している、そこから少し急な道を山頂まで登ったとのことである。昨日メールで、この半国山も丹波富士といわれていることを伝えたわけだが、日野さんから、そのイワレ、写真を依頼される。今日は曇っていていい写真は撮れないかも。 バスが宮前(みやさき)町の田園地帯に入ったころ、左(西)側の山稜にきれいな三角錐の頂上部を持つ山が目に入った。多分、あれが半国山、丹波富士ではないかと思う。 宮川でバス下車。亀岡宮前郵便局を左折して山に向かう。田んぼのアゼにヒガン花が血のように燃える。すぐに宮川神社(注1)があり、参拝する。大きなキイロスズメバチの巣が黒いビニール袋に入れられ、付近一帯に死んだ蜂や死にかけて震えている蜂やらがいっぱいいる。コワゴワ通過。 |
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元に戻って広いが苔むした金輪寺参道を登る。木下さんがマムシ発見。捕ろうか、捕るまいか。惇子さんが「やめて、やめて」。「では、お寺の境内だから殺生はやめとこか。放してやろう」と木下さんは棒を引っ込める。「まだ小さいからな」と中川。 この道は西国三十三霊場札所のミニチュア版といってもいいような感じで、参道に一番から三十三番までの札所の石仏があり、これをお参りして寺に上がれば全部の札所を巡ったと同じ効能があるということなのだろう。 コンクリート道に出れば、右へ上がり、石段を登って金輪寺に至る。庭には重要文化財の高さ約3mの石造り五重塔がある。また、ものすごく太いモミジの木が見事である。 元に戻って、コンクリート道を下る。右手のケヤキの大木にまた、スズメバチの巣があり、巣の周りをハチどもが飛び交っている。 半国山への道標が見にくい分岐、雨が降れば水流となる掘れたヒノキ林の小道を登って尾根に出る。以降、気持ちのよい尾根道ないし尾根の左右の山腹道をたどって歩く。おっ、と立ち止まって一歩下がる木下さん、「マムシや」。まあ、まだ小さいから置いとくか。ときどきスギやヒノキの人工林だが、かなり広範囲にコナラやクヌギの落葉広葉樹林があり、疎林を渡る風が心地よい。 マツの混じる雑木林もあるが、キノコが発生するような雰囲気はほとんど感じられない。 井出への分岐を過ぎ、さらにしばらく進めばしっかりした道標が半国山頂上へ0.3kmを示す。道の真ん中は水流で掘れているので、道の左右を適当に選んで登れば、芝生のある半国山頂上774m。立派な石の記念碑や「半国山頂上」と書かれた板の立て札もある。頂上部一帯が芝生だが、宮川の人たちの話では、昔は山のかなり広い部分が芝生だったという。展望は北・東面は開けていてよく見えるが、他はマツや雑木の背丈が高くなり、よく見えない。昔は三国のそれぞれ半分づつが見えたかもしれないが、今では丹波一国の半分が展望できる山に変わってしまったか。グミの木がたくさんあり、赤く熟れた実は美味しい。子供のころはいっぱい食べたものだ。 ここでしばらく昼食休憩。急げば14:30赤熊のバスに間に合うが、折角来た半国山、ゆっくりしよう、その次の16:04でもいいではないかと頂上で宴会。ビールが美味しい。平日山行は静か、誰にも会わない。にわか雨にたたられると覚悟はしていたが、雨にも遭わず、晴れてきた。 |
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| 赤熊への下山は結構急な下りから始まる。音羽川に沿って歩く道は水流でえぐられ、まるで涸れ沢の石ころ道そのもの。これが長く続いた。 赤熊バス停では待ち時間が長いので、車道を歩く。丹波栗が車道に落ち、車が轢いていく。これはもったいないということで、拾う。栗は普通、落ちたものを拾って収穫するので、拾うということは窃盗だが、こういう場面では許されると勝手に思う。 朝、下車した宮川バス停まで歩き、ここでバスを待つ。地元の方に尋ねるが、ここから半国山は前山に阻まれて見えない。おじいさんは、昔は2時間で登ったものだと懐かしく話される。スズキの自動車販売店のおばさんは、昔はマツタケ20本ぐらいは採ったが、今はもうだめだとか、昔は自転車2〜3台の修理から始めたが、今では単車や自動車まで扱うようになったと1代での商売の成長振りをお話になる。すぐ横の寺の庭には見事なツバキの大木があった。 観察したきのこ: クリフウセンタケ、ドクベニタケ、イタチタケ、アイカワタケ、 ツガサルノコシカケ |
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| (注1) 宮川神社由緒 宮川神社(延喜式内社) 宮前町宮川 祭神に伊賀古夜姫命、誉田別命の二神を祀る。 当社の創建は文武天皇大宝年間(701〜708)山上に伊賀古夜姫を鎮めたのが起源とされ、古くは神野山と称し、延喜式にいう神野神社に比定される。また、誉田別命(八幡大神)は欽明天皇32年(571)に宇佐八幡宮より神野山山中に遷し祀られたと伝えられ、今に社地を八幡平という。天正5年(1577)明智光秀と波多野秀治の合戦の際、両社とも消失し、その後落雷不作が続いたので、天保4年(1647)山麓の現在地に社殿を移し、二神をあわせ祀り、名称も宮川神社と改めたと伝えられる。伊賀古夜姫命は京都下賀茂神社の祭神玉依姫命の母神であり、下賀茂神社と関係深く葵祭の行列には氏子青年が奉仕に参加している。 |
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