|
天保の柿泥棒 其の参 大川弘光 |
| 災厄(さいやく)は春にて止(や)まず、われら、秋順礼の後も、再び渡世人(とせいにん)(ばくちうち、やくざ)現れ、年貢の栗を盗(と)り集め候。村人見かねてこれを糺(ただ)すと、女らしき風体(ふうてい)の者、曰(いわ)く、 「落ちてるもん、拾うて、なんが悪い、このくそジジイ」 と口答えするので御座候。栗の実は昔より落ちたところを集めるもの、あのイガイガ、木に登ってどうして取れる。女は色白で、なかなかの美形なれど憎き奴、口悪く河内からの出働きだとか。それでも時おり見せる女の、遠い野面(のずら)を眺める仕草は、なかなかのものに御座候。 渡世人たちの次なる狙(ねら)いは柿にて候。猿(ましら)の如く、木に登り、枝から枝へ飛び移り、?(も)いでは投げ、ちぎっては投げ、その素早いこと、下では女たちがそれを受け、籠(かご)に入れる。またたく間に村一番の柿の大木も裸にされ申した。われら、常々、最後の五ツ六ツは冬場の鳥たちのために残し置くものなれど、渡世人たちはそれすら残さず。 樹上の小柄な男、どうやら頭目らしい。物腰柔らかなれど、狙いを付けた獲物は逃がさない。全部取りつくすまで承知しない。枝が折れても片手でぶら下る。まさしく猿(ましら)の如し。元は伯耆(ほうき)の出だそうで、嫁も子供もいたが、道楽が災いして大坂へ出奔(しゅっぽん)したと。いずれの道楽か今もって本人語らず。この男、十里(約四十キロ)の道を一時(いっとき)余り(昔の刻、今の二時間)で駆(か)け抜ける。五臓六腑は鋼(はがね)と呼ばれ、仲間からも一目おかれている。無類の酒好きで、濁酒(どぶろく)一升軽く飲み干す者也。気分昂(こう)じれば女子(おなご)の尻を触(ふ)れ廻り、キャッ、キャッ、と女子逃げまどうを、にたりと喜び、クッ、クッ、と低く笑う者に候。はなはだ気味悪き者に候。 この曲者(くせもの)たち、山窩(さんか)やマタギ(東北地方などで古い習俗をもつ猟師集団)のような伝統らしき習俗や生業(なりわい)は持ち合わせず、常には町中に住み、今日は上天気じゃ、紀州が見えようぞ=Aと報せがあれば、そろって六甲の頂きに登りくる、といった塩梅(あんばい)也。酒は曲者たちの大好物で、酒飲めぬ奴は人にあらず、と男も女も腰に大瓢箪(おおびょうたん)を下げ、干し上がれば、酒がない、酒が切れた、と、一列になり山を下る様(さま)、まこと可笑(おか)しき事よ。 |
| 恐れ多き事なれど 御奉行様には今しばし、この渡世人たちの人相書のあれこれを目通し下されたく申し上げ候。 次なる男、五十路(いそじ)は越したかと思える節あり。能登国(のとのこく)の生れなれど、百姓仕事がいやで、いつの間にか漁師になったが、久々にブリの大群を追い込んだまでは良い働きであったが、巾着網(きんちゃくあみ)を絞り込む段になって、甲板ですべり転んで、せっかくのブリを取り逃し候。網元に叱りとばされ失意の内に大坂に流れ着き候。永代浜を上った一角、靭(うつぼ)の鍛冶屋(かじや)に奉公致し、やがて馬の蹄鉄(ていてつ)打ちを任されし折、打った蹄鉄、馬にはめてはみたが、馬、歩かず、動かず、ここもお払い箱になり候。馬の足はどれも同じだと信じおり候事、あわれ也。朝もやの中、太郎助橋を渡るを見たが最後、行方知らずになり申した。この超融通の利かぬ男、いつしか渡世人の一味に加わり、村に現れはじめた。 さて、次なる男、背高く、顔青白く、昼行燈(あんどん)の如し、なぜか仲間からシェフ≠ニ呼ばれており。何ゆえか、と申せば、野山で手に入る物、なんによらず、手にかけ、食い物とする。死にかけたタヌキ、毒ヘビ、蜂のサナギ、さては、ノビル、ヨメナ、ギシギシに、スカンポ、ホトケノザ、カラスノエンドウ、村の山羊も踏みつける草々。それに、ヒラタケ、ハツタケ、ナメコタケ、キンタケ、イヌタケ、ネズミタケ、と、まあ、われら、この中の一つ二つは食したことあれど、いまだ卓に乗せ申さず。凶作続けば止むも得ぬかと、今、眺めおり候。料理いたって単純也、湯通し、ナタネ油炒め、味噌焼き、オカカまぶし、等々、一味の者共、この男の料理、便利でもあったが、時に迷惑でもある由。 「できたでー、これ、どうや」 「うッ、うーん」 「これ、どうや、いけるやろ」 「うーん、うん」 そして、再び、 「こいつ、食ってみい」 「うわー、ウマカー」 やっと、解放され申し候。 |
|
其の壱へ 其の弐へ 其の参 其の四へ 其の五へ あとがきへ |
|
|