立ち読み毎日
No・2 不定期刊 
発行者:立飲み毎日のひらひらさん

 勝手に、立ち読み毎日を発行しています。・・・・・・無料です。
今回は、【古事記】に登場する 酔っぱらいの話 です。


かわいそうな酔っぱらい ヤマタのオロチ
西洋ではバッカスが酒の神だということですが、私はよく知りません。
 酒にまつわる日本神話では、スサノヲがヤマタのオロチを酔っぱらわせて退治する話が有名です。古事記にも日本書紀にも載っています。ところが、舞台となった出雲の風土記には、ヤマタのオロチの話は出てこないそうです。

スサノヲが出雲の肥の河で、アシナヅチ・テナヅチ老夫婦から娘のクシナダ姫を八俣遠呂智ヤマタノオロチから救ってくれと頼まれます。スサノヲは、垣をめぐらせ、八つの門に桟敷をこしらえ、桟敷ごとに八鹽折ヤシホヲリの酒(八遍も繰り返して醸造した強い酒)を酒の船(容器)に入れて置いておきます。ヤマタのオロチがやって来て、八つの頭を酒船に突っ込んで飲み干して寝てしまいます。スサノヲはオロチを刀で切り刻んでしまいます。まあ、大体の方がご存知のストーリィでしょう。

 そのオロチの腹から刀が出てきます。スサノヲが姉の天照大御神に尋ねると、草薙クサナギの剣だということです。草薙の剣は、ヤマトタケルの段でも大活躍し、熱田神宮の神徴とされる神聖な剣なのですが、それが何故、大悪役のヤマタのオロチの腹から出てくるのだろうという具合に、私はつい疑問を感じてしまうのですが、今回の話とは関係ありませんから、また今度。

 八俣の大蛇オロチ は、「頭が八つ、尾も八つ、目は赤ホウズキのようだ」と表現されていますから、きっと、頭はグラグラ、足元グニャグニャ、目が真っかか、つまり、【もう完全にできあがって】からクシナダ姫のところにやって来たのでしょう。そしてさらに、強い酒をあっちの桟敷で一杯、こっちの席で一杯、という具合に呑まされてしまって、ええと、俺はいったい何杯呑んだんやったかなぁ、とつぶやいて寝てしまったのでしょう。私も、(多分これを読むあなたも、)経験があると思います。呑んで寝てしまったおかげでオロチは命を落としてしまいます。なんだかヤマタのオロチがかわいそうに思えてきます。

 しかし、八鹽折という強い酒はいったいどんな酒なんでしょう。そして、何を材料にしたのでしょうか。やはり、焼酎だと思います、例えば粟・米から作る沖縄の泡盛のような。でも、神世の時代に蒸留酒を作る技術があったとは思えません。

「食文化の中の日本と朝鮮」という本を、鄭大聲チョン・デ・ソンという人が書いています(講談社現代新書)。この方は大阪市大大学院出の理学博士で、モランボン味の研究所所長だと、本の裏表紙に紹介されています。その中で、酒のルーツとして、応神(15代天皇)か仁徳(16代天皇)の時代に、麹コウジを使った酒の醸造法が伝えられたと考察しています。そのことは、古事記に書いてあり、この文章の後ろで私も語る今回のテーマですが、それは後回しにして、この「食文化の中の日本と朝鮮」の末尾に書かれている朝鮮通信使の日記類の記事を、紹介いたします。日本を訪れた朝鮮の通信使(外交官でしょう)が日本の食事の印象を書き残した日記のようです。室町時代のものから、明治になってからのものまで有ります。接待を受けた範囲、見聞きした範囲で書き残していることから、日本の食風習がかなり勘違いされて書かれている部分もあります。酒に関する事だけ、一部分書き出します。

 1665年の徳川家綱の将軍襲職慶賀の時、「酒は諸白以外に忍冬酒、覆盆酒、練酒、焼酎、南蛮酒、琉球酒などがある。」
 忍冬酒・覆盆酒・練酒がどんな酒なのか、私にはわかりませんが、江戸時代にたくさんの種類の酒があったことがわかります。1719年の吉宗の将軍就任の時、「酒は諸白酒を上品とする。白米麹と白米飯を調和させてつくった酒であるので、諸白という。」とありますから、諸白は現在の清酒でしょう。
 1876年(明治9年)では、「酒は、茴香酒と地黄酒は味が甘く、香気があり、葡萄酒は色が黒く渋味があり、回回酒と琉球酒はきつくわが国の焼酎と同じだった。ただいわゆる日本酒といわれるのは、香気が強烈で、透明であり、わが国の法酒と同じだが酔いのさめるのが早い。」
 ここでも私の知らない酒がありますが、日本酒(清酒)は朝鮮の人には、強くない酒ととらえられていたことが分かります。
 早い時期の1617年では、「酒は各家庭ごとにつくるのでなく、必ず酒家から買ってくる。」とか、「木の樽に容れてあるので木の匂いがする。」とか、日朝の酒に対する風習・感性の違いが書いてあって、読んでると楽しくなってきます。

結局、ヤマタのオロチの呑んだ酒が何か分からないまま次にすすみます。

日本最初の酔っぱらい スサノヲの命
古事記では、スサノヲが出雲に降りて大活躍する前に、高天原で、駄々っ子のような大暴れをします。天照大御神の田んぼの畦を切り、溝を埋め、大嘗オホニヘの殿(豊作祝いの祭殿)に尿クソをまき散らすというような悪さをします。天照大御神は、あまりとがめず、「屎クソをしたり、酔・ひて吐き散らしたり、どうして弟はこんなことをするんだろ。」と嘆きます。

 現在では大嘗ダイジョウ 祭は天皇即位後の最初の豊作祝い(新嘗ニイナメ祭)をさすので、大嘗オホニヘという表現に私はちょっぴり気になりますが、とにかく、これが現存する日本最古の古事記の最初に現れる、酔うという表現です。毒キノコや毒草による幻覚も考えられますが、田が表現されていますから、穀類で作った酒で酔っぱらったのだと解釈するのが普通です。と云うわけで、日本の最初の酔っぱらいはスサノヲだということになります。

 そのあと、アマテラスは、天石屋戸アメノイワヤトに隠れてしまいます。このあたりは、皆さん御存知の天の岩屋の話です。そして、スサノヲは、けがれを払う貢ぎ物をたくさん科され、髭を切られ、手足の爪を抜かれ、高天原から追いやられます。
高天原にあった田で作られていたのは何なのでしょうか、稗や粟も考えられますが、皇祖神アマテラスの神聖からは稲と解釈するのが妥当です。だから、スサノヲが酔っぱらった酒の原料も米ではないかと思うのが普通でしょう。

ところが古事記は、スサノヲが高天原を追いやられた次の章で、突如として蚕・稲・豆・粟・麦の由来を語るのです。

又食物ヲシモノを大氣津比賣オホゲツヒメ に乞うた。オオゲツヒメは、鼻や尻から種々の美味な物を取りだしたので、スサノヲは、けがらわしい、と思って、オオゲツヒメを殺してしまった。死んだオオゲツヒメの、頭には蚕、両目に稲種イナダネ 、両耳に粟、鼻に小豆、陰ホト(女陰)に麦、尻に大豆が生えた。(オオゲツヒメの)先祖神である神産日カミムスヒがこれらを取って、種とした。

古事記には、富士山も、私の好きなキノコも登場しないので不満です。その上、穀物の神が殆ど活躍しないので、私は、既に稲作があった倭を、ある部族が統一したのでは、と考えたくなります。日本書紀では、穀類起源は、アマテラスのもう一人の弟・月夜見ツクヨミと保食ウケモチの話として語られていて、穀物以外に獣肉や魚も登場しますから、食物の起源としては、より完成しているように思えます。でも、天の岩屋の段を書いてしまってから、そお言えば、田んぼの事を書いたのに、まだ、稲の事を書いてなかったなぁ、と気付いてあわててオオゲツ姫の話を挿入した編集者のドタバタが想像できて、私には古事記の方が楽しめます。オオゲツヒメもウケモチも、そして豊宇氣毘賣トヨウケビメ や宇迦之御魂ウカノミタマも同一神とされ伏見稲荷の祭神です。

 ちょっとしゃべり過ぎました。スサノヲが酔った酒も、やっぱり分からないまま、次の章へ。

道の大岩も逃げる酔っぱらい天皇 応神天皇
15代天皇の応神が、日向の諸懸モロガタの君の娘である髪長比賣カミナガヒメが顔容麗美と聞いて召しあげます。カミナガ姫が難波に着いたとき、応神の子の仁徳(16代天皇、この場面では太子大雀オホサザキ )が姫を見て美しいのに感じいって、大臣の建内宿禰を通じて、私に下さいと申し入れます。応神天皇は大御酒(酒宴)の席で、仁徳に大御酒の柏を握らせてこの娘を与え、二首、歌います。

いざ子ども 野蒜ノビル摘みに 蒜ヒル摘みに 我が行く道の 香ぐわし 花橘は 
上枝ホツエ は 鳥居枯らし 下枝シヅエは 人取り枯らし 三つ栗の 中つ枝エの
ほつもり 赤ら嬢子ヲトメを  いざささば 良らしな

水溜る 依網ヨサミ の池の 堰杙イグヒ打ちが 挿しける知らに 蓴ヌナハ 繰りに
延ハ へけく知らに 我が心しぞ いや愚ヲコにして 今ぞ悔しき

 仁徳が二首、返しますが、省略いたします。
 私は、応神の歌で表現される「心」によりも、蒜に興味を持ちます。野蒜ノビルはニンニクだとする説もありますが、文字通りノビルでしょう。ネギやニンニク・ラッキョウの仲間で、球根のもつ辛みが喜ばれる人気のある山菜のひとつです。春の七草のゴギョウかホトケノザをこのノビルに当てはめる説もあるようです。私は、球根は軽くゆでて酢味噌、葉はアオサ(海草)との味噌汁で楽しみます。蓴ヌナハ はジュンサイだとされます。寿司屋の赤ダシの具として出てくる、あのぬめっとした葉っぱです。池や沼の水面に浮かんで生える、案外高価な野菜です。私は、天然のジュンサイがいっぱい在る所を知っていますが、決して教えません。少し横道に入ってしまいましたが、酒には酒菜サカナ が必要ですから、お許し下さい。
 大御酒の柏は、酒を盛る柏の葉・酒杯の一種、と解説されていますが、そうするとこの酒は、発酵させたけど、液体でなくまだ粒々の状態のまあモロミようなものではなかろうかと読み取れます。飲むのでなく、食べる酒、というのもあった筈です。
 ところが古事記の記載は、吉野の國主クズ(吉野の豪族でしょう)が、仁徳の刀を誉めた時の歌と、酒を献上する時に口鼓を打って踊ったという歌が続き、そして、応神天皇の代に醸造酒の技術を持って、須須許理ススコリが渡来して、天皇に献上したことが語られます。応神天皇は、えらく喜んで歌を歌います。

須須許理ススコリが 醸カみし御酒ミキに 我酔ひにけり 事無酒コトナグシ 笑酒・グシに
我酔ひにけり

ススコリがつくった酒に、私は酔った。無事平安な酒、笑いを催す愉快な酒   に私は酔っぱらってしまった。

応神天皇は、この歌を歌って、杖を持って出かけます。大阪(大和から河内へ越える坂)で、道の真ん中にある大石を杖で叩くと、その石は走って逃げていきました。そういう訳で、「堅石カタシハも酔人・ヒビトを避く」(堅い岩でも酔っぱらいをよける)と云う諺コトワザ の云われが説明されます。

 このストーリィは、ちゃんと古事記に載ってる話です。けっして私の創作ではありません。
 ススコリがもたらしたのは、麹を使って発酵させるという酒の製造法のようです。前記の「食文化の中の日本と朝鮮」には、漬物もススコリ、ソソホリ、スホリ、ソホリであって、このススコリによって伝えられた発酵技術だと考察されています。応神の歌の、「いざささば」は語義未詳と解説されてますが、ススやソソが酒なら「いざ酒ササをば、させば」と解釈できないか、なんて私は思ってしまいます。この酒は、どこにも米からつくったとは書いてませんが、まあ米からつくった液体の酒でしょう。でも、今のように澄んだ清酒でなく、濁り酒だったと思われます。ただ、万葉集に「濁り酒 濁れるを飲み」と言う表現がありますから、その逆の、澄んだ「清酒キヨザケ 」の存在の可能性は否定できません。

 まあしかし何と言っても、応神天皇の酔っぱらい様が圧巻です。道の中央の堅い大岩でさえ、酔っぱらいはあっちゃ行けでなく、しっぽを巻いて逃げ出すくらいですから、「事無酒」や「笑酒」であるものですか。大虎も大虎、古代史で重要な位置にあるこの応神天皇も、現代の私達とちっとも変わらない、たいへんな酔っぱらいだったようです。酔いが醒めて戻った応神天皇は、きっと、お母さんの神功皇后にさんざん、お灸を据えられたのではないのかと、妻や子にさんざん叱られる我が身を振り返って私は、くすっ、と笑ってしまいます。でも、この頃に灸があったかどうか、私は知りません。


 時間が来ました。よろしいのか、よろしくないのか、書いた当人が酔っぱらってますので、どうもよくわかりませんが、・・・・・・・・お後がよろしいようで。

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