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2002 10/2 週刊 フ|く 曜前後

とりあえず久しぶり。


つい先日から、関西のいくつかの私鉄で「女性専用車両」が導入され始めたそうだ。

これは JR などでは既に試験的に実施されており、今回の私鉄各社の導入によって、関西圏においては事実上標準化されたものと考えて差支えないだろう。このような女性専用車両は 2001 年に京王電鉄が痴漢対策として試行したものがそもそもの始まりであり、以来各地で次々と「試験的に」導入され、様々な意見が交わされながらも、どれも概ね好評を博しているようだ。

あるアンケートの結果では、回答者のうちおよそ 80% の人が女性専用車両の導入を「評価できる」ものとしており、「評価できない」とした人は全体の 10% にも満たなかった。このアンケートの結果だけを見れば、鉄道各社の判断の当否については疑いを挟む余地もなく、先にも述べたように今回の試験が「事実上の標準化」となることは火を見るよりも明らかである。とは言え、この車両導入が孕んでいる危険性--あるいは異形性といってもいい--について疑問を投げかける声も少なくない。


まず第一に、本来平等であるべき鉄道の乗客のなかで、犯罪抑止のためとは言え、女性だけを特別扱いすることの妥当性についての問題がある。そもそも、男女の権利の平等という観点から見て、女性専用車両に男性が乗ってはならない理由は一つも見当たらない。むしろ、男性側の「電車に乗る権利」の甚だしい侵害であるように僕には思われる。

先日見たニュース番組では、この女性専用車両についてのインタビューを受けた若い女性が「ラッシュ時なんかに、男性に密着されるのが嫌だ」というコメントをしていた。本人はまったく意識していないかも知れない (だからこそ厄介だ) が、これは些細ではあるものの明らかな性差別発言であり、歪んだフェミニズムによって育まれた傲慢さが言下に垣間見える。こんなことまで言われてしまっては、朝から満員電車に揺られて頑張っている世のおとーさん方は全くもって立つ瀬がないではないか。


第二に、この女性専用車両の導入は、痴漢という犯罪に対して本質的な解決をもたらすものではない、ということである。悪質きわまる痴漢行為に対して鉄道各社が採用したこの処方は、

命題: 全ての痴漢は男性である → 全ての女性は痴漢ではない

という、ひどく短絡的なロジックに基づいたものであり、余りに安易な方法であることは言うまでもない。電車の車両のような空間において公然と痴漢行為が行われることの異常性、つまり、群集の周囲への無関心あるいは犯罪の黙殺という現代社会が抱えている病巣については、依然棚上げされたままなのだ。


僕には、この「痴漢の存在」に関する問題がひどく歪められ、そればかりか問題の本質が巧妙にすり替えられているように感じられるのである。とは言ったものの、やはり、この列車の導入はひどく現実的な判断ではあると思う。ラッシュ時や終電間際の電車内で横行するこの卑劣行為を少しでもなくすためには、このような半ば強引な方法も採らざるを得ない、というのが現実だろう。そしてこの施行にあたっては、この方策が多分な危険性を孕んでいるということを、ユーザー・サイドが常に意識して臨むべきである。





2002 9/9 ビバ!軟水

いつもいつも、そうなのだけれど、どうも僕には浪費癖があるようだ。

ちょっとへこむ事があったら何か買う、うれしい事があったら何か買う、まったく何もなくても何か買う、というサイクルがもう体に染み付いてしまっているみたいである。とはいえ少しだけ弁解させてもらうと、僕が「買うもの」というのは、けして「なんでもかんでも」というわけではない(と思う)。それなりに吟味しているつもりである。えへん。


とかいう導入をわざわざしたのであるから、当然、先週末にその一大スペクタクル「浪費」がなされたのだろう、と推測するのは至極当然の流れであろう。正しい。

で、僕が何を買ったかというと、「クリーミーな泡になって出てくる!不思議な不思議なマジックボトル(R)」とかいう、一体どこからどこまでが商品名なのか見当もつかない代物である。まあ、要するにシャンプーやボディソープ、ハンドソープなどをこの容器に詰め替えるだけで、その長い長い、井戸に落ちても助けが間に合わないほどの名前の示すとおりの効果が得られるというものらしいのだ。

僕はこれをひと目見て、すぐに惚れこんでしまった。だって、素晴らしいと思わない?クリーミーな泡!とってもメルヘン!

そしてこの包みを今日開封してみたのである。使い方としては。。。なになに。。。「1.液体石鹸や液体洗剤をマジックボトルに注ぎます」なるほど。で?「2.お湯で 2 〜 5 倍に薄め、よく混ぜ合わせます」これだけか、ちょっと拍子抜け。因みに構造を確かめたところ、ポンプ部分が通常の容器に比べて少し大型になっていて、どうやらこの中がメッシュ構造になっているらしい。そこで、適度に空気を含ませる、というわけか。少し納得。


さっそく、愛用しているダブのボディソープを注入。にゅるにゅる。で、お湯。。。水でいいか、で薄める。。。大丈夫かな。。。む。。。あ?。。。お!。。。ひらめいた。水道水で薄めるのも芸がない。いっそのこと、パックの水で薄めたほうがいいんじゃないか?

てなわけで、これも愛飲の「南アルプス天然水」で薄めることにする。

どきどきしながら風呂に入る。。。「クリーミーな〜略〜マジックボトル」をおもむろに取り出し、さっそく泡立てて見る。。。泡立たない。。。くそ。。。これでもか!。。。やっぱり泡立たない。。。ショック。

恐るべしミネラルウォーターの力。なんだよ、南アルプス天然水は軟水じゃあないってのか?表示を見ると「硬度 30 (軟水)」と書いてある。軟水だよなあ、悪魔将軍 (硬度 10) よりは硬いみたいだけど。

どっかに超軟水は売ってないのかしら。僕の購買意欲はいまだ収まらない。



因みに、「超軟水」ってのはほとんどまったく金属イオンが含有されていない水で、中国の一部では実際にこれが湧出しているらしい。これで手を洗ったら大変。いくらすすぎつづけてもぬるぬるが取れないそうだ。ビバ!軟水。



2002 8/11 ミステリー

左足の感じがとてもよい↓

先週、免許の更新のために実家のほうに帰っていたことは、もうどこかに書きましたっけか?おかげさまで(よくこう言うけれど、いったい誰のおかげ?)、更新作業もつつがなく終わり、晴れてゴールド免許保持者へと出世いたしました。ピース。


実家に帰ると、姉の朝はたいていそれほど早くない(定職には就いていますよ!)ので、二人で明け方まで話し続けていることがままあります。しかも話している内容ときたら、最近売れ始めた歌手の話だの愚にもつかない下手糞な俳優の話だので、これを(ほんのり)分析的に論じあう、っちゅう大して薬にもならない(毒には十分なり得る)ことを夜もすがらやっているわけです。大体、このようなばかげたサバトに対して付き合ってくれる人っていうのは世の中にはそんなに生息していないし、興味のあるカテゴリは多少違うものの、こういった低俗文化を真剣にアナライズしている人もそれほど多くは存命していないので、僕にとってはこれがささやかな楽しみになり得るのです。


かくて、この日も最近のドラマの内容と動向について、彼女の講釈に聞き入っていたのです。なんでも、いま「天体観測」なるドラマを放送していて(それくらいはこの僕だって「めざましテレビ」で見て知っていた)、それがどうにもこうにもさぶい代物だったそうで。

手っ取り早くいうと、学生時代の同級生が社会に出てそれぞれの壁にぶち当たり、みんなでお互いの傷を舐めあう、という筋らしいです。昔でいうと「愛という名のもとに」とか、そういう感じなんでしょうかね。で、その同級生たちってのが、大学(だったっけ?)時代の天体観測サークル「サジテリアス」の仲間だそうで、タイトルはここに因んでいるそうです。この、「サジ“テ”リアス」ってのがどうも気に食わない。すかしてんじゃねーぞ、ってなもんだ。さらに僕が邪推するに、よくありがちな主題歌(あるいは挿入歌)セット販売ものかとも彼女に尋ねたところ、残念ながら今はやりのバンドとはまったく縁もゆかりも無いそうで。要するに便乗商売、ってわけか。

とかいって今回の実家帰省の間も、あいかわらずの夜更かしをしてきたわけです。おかげですっかり夜型になっちまったわい。



そうこうしてこっちに戻ってきて、どうしても気になったのが「天体観測サークル」なる代物。ここ数年は「しし座流星群」だのなんだのがあったものの、所詮は季節物に過ぎないでしょ。いったい普段はどんな活動してるんだろ、果たして常時活動のサークルとして成立しうるのか、ってな疑問がむくむく湧いてくるのも、仕方ないっちゃあ、仕方ないですよね?

つーわけで天体観測サークルについて調べてみたんですけど、なんのこっちゃねえ、ただの天文部じゃあないですか。興ざめだわ。しかも京大天文部のホームページは見つからないしで、がっくし。

にしても、もののついでで調べてみると、大学というところにはいろんなサークルがあるもんですな。ざっと調べたところだけで、 鉄道研究会RPG研究会シネマ研究会身体術理研究会(プロレス研究会)さだまさし研究会蝶類研究会落語研究会フィールドワーク研究会クイズ研究会エスペラント語研究会SF研究会音楽研究会器楽部舞踏研究会機械研究会ふしぎ研究会マイコンクラブ社会科学研究会原理研究会コーヒー研究会・水曜日の部競馬研究会ゴミ部キノコ部きのこじき(きのこ採集サークル)百人一首サークルミステリーサークル と、まったくバカばっかりです。因みに、リンクのつながってない社科研、原理研はアクセスするのが怖いから、キノコ部はマジックマッシュルーム規制により廃部になったからです。あしからず。

リンクをつなげるのに精一杯で、本気で取り留めのない文になってしまいましたが。では、アデュー♪





2002 7/29 ゴーマニズムしてよかとですか?

いや、ほんま最近暑なってきましたな。今日は独りで近くの市民プールまで行ってしまいました。歩いて5分くらいのところで、1000\/3hと少々値が張るのも、カップルと親子連れの巣窟に男独りで入っていく抵抗感もものともせずに入場したんですが、あまりの暑さに堪えかねてものの1時間で帰ってきちゃいました。紫外線が殺人的に強力です。


話は唐突に変わってしまうけれど、まあ、最近ベッカムヘアをよく見ます。なんでもソフトモヒカンとか分類されるらしいんだけど、同じモヒカンとはいえ男塾の卍丸とはえらい違いです(残念ながら画像は見つからず)。

つうわけで、つい先日も例のごとくコンビニで漫画雑誌を立ち読みしている「ベッカム」を目にしたわけです。ただ今回の彼の存在を際立たせていたのは、恐らくもともと固い髪であったのか、前頭部の髪の毛がまっすぐに戻ってしまっていたこと、かつセットしやすい頭頂部だけが「ベッカム」の面影を残していたこと、でした。思い浮かべてみてください、頭頂部の髪の毛だけがぴょこん、と立ち上がっている様を。その姿はさながら、ベッカムというよりむしろおぼっちゃまくんでした。

本物のベッカムはハーフタイム中にも髪の毛をセットし直しているそうです。見習わねばね。





2002 7/15 絶対?

最近、仕事が以前に比べてちょっぴり忙しくなったのと、身の周りに大した事件もなかったのと、なんか書こうとするとつい長文になってしまう癖がついてしまったのやらなんやらで、更新が滞ってしまいました。なんだかんだ言って、結構な労力がいるんですねえ、HP更新って。改めて実感しました。

まあ、そんなごく個人的な泣きごとはさておいて。

先日、こんなニュースがありましたね。↓




まったく、ばかげたお話です。天地がひっくり返ったって、死人が生き返るはずはないでしょうに。漫画映画と現実とをごっちゃにされちゃあ、困りますよねえ。もっとも当の低温研究所にとっちゃあ、この不況のご時世に羽振りのいい(かつ愚かな)パトロンができて万々歳、ってとこでしょう。あとの処分はどうすんのか知んないけど(冷凍保存された死体を焼却するのは死体損壊になるのだろうか?)。

ははははは。。。ん?なにかおかしい?もう一度よく読んでみます。


  


マジ?。。。ちょっと低すぎるんじゃあ。。。


ところで個人的には、「セ氏」という表記もあまり好きではありません。だって、摂氏温度が「セ氏」じゃあ、華氏温度は「ファ氏」になっちゃって、気持ち悪いでしょ。





2002 6/27 金曜日には鴉も笑う

「どんなに機嫌の悪いひとでも、満腹にさえなれば黙って帰る。」

僕の最も古い友人の一人が昔語った言葉を、もう一度、僕はつぶやいてみた。言葉面だけみるとなんとも間の抜けた話だが、実際のところ、これがあながち馬鹿に出来ない。その友人はとある有名なコーヒーハウスで働いているのだが、彼女が言うには、案内待ちのときにどんなに不機嫌な客でも腹いっぱい食べた後にはすっかりおとなしくなってしまう、というのである。客のほうの心理としては「既にサービスを受けてしまった」負い目もあるだろう、確かにそれは最も理性的な答えではあるのだが、僕はあえて彼女の説を推したいと思っている。人間は、自分たちで思っているほど人間的ではないし、その感情は、自分たちで思っているほど感情的ではない。人間の感情なんて、そもそも、高等な言語を駆使して動物的な衝動をもっともらしくカテゴライズしたものにすぎない、と僕は考えているからだ。


なんにしろ、「怒り」について考えさせられる一日だった。様々な「怒り」が僕の前に現れ、あざ笑い、通り過ぎていった。


最初の「怒り」は、他でもない、僕自身のものであった。数日前に友人から連絡があり、演奏会に行かないか、と誘われていた。はるばる京都のホールに向かうため、僕は慌てて(週末にはフロア掃除を業者委託していたため、定時後も職場の整理に追われていたのだ)阪急電車に乗り込んだ。着いたときには京都はひどい大雨で、僕はずぶ濡れで駅の出口からホールまで走っていかなければならなかった。まったくここまでして、今日の演奏会がろくなもんじゃあなかったら、ひどい無駄足だ。今回の演奏会は当日座席指定、チケットと座席券を交換、というスタイルだ。今日のことは全て友人に任せてあった。チケットの手配はもちろん、開場時刻には間に合いっこない僕の代わりにこの座席券交換もすべて彼が済ませておく段取りになっていたのだ。しかし彼は、まさに開演時刻直前になっても、入場受付より前のどこにも姿を見せなかった。携帯メールに、中で待ってます、というメッセージだけを残して。座席券すら手元になければ、中に入られるはずもないだろうに!早い話が、僕は彼に待ちぼうけを食らわされた格好になったのだ。僕はいい加減、腹が立った。長い螺旋状の廊下を進んだ先の、受付の前にたたずんだまま、怒りに任せて宙を見据えていた。


「いまさら行かない行かない、ゆうて、どないせえっちゅうねん。」

そんな時、第二の「怒り」が気まぐれにふらっと顔を見せた。僕は思わず、その怒鳴り声のしたほうをちらと見てしまった。そこには、受付の真正面で怒鳴りあいの喧嘩をしているカップルの姿があった。自分で思うのだが、僕は、ひとの話を盗み聞きするのと、夜道を足音を立てずに歩くことにかけては、ちょっとした権威である。そのときも、僕はその才能に任せて彼らの話を聞くともなく聞いていた。面倒なのでその内容について詳しくは語らないが、ともかく、男のほうが分が悪そうだった。僕はそれを見て、思わず苦笑してしまった。怒りは、人をして冷静な判断力を失わしめる。どちらに義があるにしても、つまるところは、怒ったほうの負けなのだ。僕にしても、ここで腹を立ててぷいと帰ってしまうのは簡単だが、それこそ、京都まで出てきた甲斐をふいにしてしまうことになる。たとえこのまま演奏会場に入れなかったにしても、久しぶりの京都を胸に刻んで帰ることくらいはできるはずだった。僕は、お尻のポケットに入ったアシモフの短編集を取り出し、一曲目―ベートーベンの第一交響曲―が終わるまでの間くらいは、落ち着いて彼からの連絡を待つことにした。ふと振り向くと、先ほどのカップルはそこからいなくなっていた。


2,3編を読み終えたところで、僕は腕時計を見た。文字盤の上の針はとうに七時半をまわっていた。かれこれ、一時間近くもここに立ち尽くしていたことになる。やれやれ、受付嬢は何事と思っていたろう。あきらめて三半規管をだましながら螺旋状の廊下を歩き、玄関先にいた裏方の学生に罵声を浴びせられながら、僕はホールをあとにした。

まだ時間もわりと早かったので、僕は駅のすぐそばにあるファミリーレストランで夕食をとることにした。いつもなら、演奏会終了後にはすぐに満席になってしまって、とても入られるようなところではないのだが、さすがに今日は早い時間だったのですぐに席に通された。(あろうことか、案内をしてくれた若い男はベッカム・ヘアをしていた。整髪のために鏡の前に立ったとき、うっかり顔のほうを見るのを忘れていたんだろう。)僕はファミリーレストランなりのオーダー・テイカーに、ファミリーレストランなりのフル・コースを注文した。このくらいの贅沢はあってしかるべきだった。


前菜のホタテのカルパッチョを軽くたいらげ、ちょうどメイン・ディッシュであるテリヤキハンバーグに軽くナイフを入れたとき、僕のすぐそばから女の子がしゃくりあげる声が聞こえてきた。これが、第三の「怒り」の初期微動であった。ふと見ると、僕のちょうど向かいの席、そこにはさっきまでは男一人、女の子二人が座っていたのだが、女の子が一人に減っていて、その子が泣きじゃくりながらも怒りをあらわにしていた。

「私をどこまで馬鹿にしたら気がすむんよ。。。」

どうやら、この二人は恋人同士だったらしい。第三者に対して発せられたであろう、この男の軽口を聞き及んで―という感じに僕には見受けられた。まったく、今日はどうかしてる。どうやらこの世は、痴話喧嘩に満ちあふれているらしい。僕は、飯がまずくならない程度に彼らの話を聞き、ハンバーグを口に運んだ。

しばらくすると、先ほどどこかに行ってしまったはずのもう一人の女の子が席に戻ってきているのに、僕は気づいた。しかもそればかりか、さっきの涙はどこへやら、三人で楽しく談笑していた。男がふいに立ち上がって、女の子が「どこへ行くん?」とたずねると、彼は「トイレ。いっしょに行く?」とか言って笑いながら走っていってしまった。


しばらくして友人から携帯電話に連絡があり、今からなら後半―シベリウスの第一交響曲―には間に合う、ということだったので、僕はあわててファミリーレストランを出て再びホールに向かった。だが、息を切らせてホールに着くや、ばらばらと玄関から出てきた学生に「コンサートに来てくださった方ですか?もう後半始まってしまったので、申し訳ありませんが―」と丁重に追い払われてしまった。仕方ない、こういう日なのだ。怒るべき相手もここにはいないし、もとより僕にはもう怒る気力もない。せっかくだから北山のカフェででも時間をつぶそうか、と思い、きびすを返した。


こちこちにこわばった、いちじくのタルトをつまみながら、僕をほしいままに翻弄した「怒り」について思いをめぐらせていた。

僕が思うに、「怒り」と「空腹」とは、かなり密接に関係しあっているような気がする。そして、このしかるべき「空腹」というものは、物理的、即物的なものに限られない。「怒り」とは、けして手に入らない何かを欲するために生じる発作のようなものである。自由を求める「怒り」も然り、誠実を求める「怒り」も然り。金曜日の夜には、こういった精神的な「空腹」、あるいはストレスというべきものが頂点に達するのではないだろうか。この世のあらゆる正直な人々が積もらせてきた不満が、来るべき週末(ある意味では終末ともいえる)に向けて発散されるのである。のんびりとした土曜日、日曜日を過ごすために、ひとびとは金曜日に怒り、泣き、そして笑うのであろう。金曜日の街にはさまざまな怒りと笑いがあふれていた。ただこれだけのために、僕らは飯を食らい、酒を浴びる。ばかばかしいかもしれないけれど、どうやら世の中はそんな感じになっているらしい。

まったく、今日は馬鹿みたいな一日だった。ひどい雨に濡らされたし、コンサートを聴きに来たはずなのに一曲も聞けなかったし、せっかく摂ったデザートはひどくまずいタルトだった。でも、そんなことは大きな問題ではないのかもしれない。ともかく、僕の心は何かしら澄みわたっていた。ほんとにばかばかしかった。そう、ばかばかしかったから、それを笑えばよかったのだ。京都には、ハンバーグを食べるために来たと思えばいい。 「怒り」は何かを求める過程に過ぎない。これで一日を、週末を終える類のものではないのだ。



ここではじめて気づいたのだが、客は僕一人きりだったカフェの中に、いつの間にやら中年の男性二人組が席を構えていた。そして年配のほうの男性はもう一人に対して、怒鳴り声を上げていた。

「先方が言うには、三月の時点で八百万あった、と山下に報告したと言っているんだ!」

ぶはははははははははは。ばかばかしい!





2002 6/11 JIM 、スマン!

思えば遠くへきたもんだ

実はオンラインショップ、つうものに手を出してしまいました。何を買ったかというと、ホルンのフライトケース。今使っているケースよりはるかに小さく、かつ肝心の楽器のみならずミュートに譜面台も入るという優れもの。初任給もたっぷり残ってるし、いいでしょ、買っちゃえ!。。。と勢いに任せたのは1ヵ月以上前。

。。。あれからひと月で、ずいぶん状況も変わってしまった。いまや、オケの定演ノルマを「来週は絶対払ってくださいね!」と催促され、実家に帰るときの手土産のカステラ(福砂屋謹製、梅田阪急地下にて購入)も定番サイズよりひと周り細いやつで我慢し、米でなく芋を食い、ガソリンを菜種油で代用し、パンがないからケーキを食い(間違い)。。。まったく、いつネット通販の引き落としがなされるかと、びくびくしながらポストを眺める毎日で。実家に帰って親と姉に相談するも、「仕方ねえなあ、少しくらいじゃったら貸してあげらあ」という救済が一社会人に対して差し延べられるわけもなく、それどころかこちらから懇願することさえも出来ずに、とぼとぼと歩く道すがら、まさに天啓とも呼ぶべき閃きが!

キャンセルすればいいじゃんー♪

というわけで寮に戻るや、さっそく配送状況を確認。うむ、まだ商品も督促状も届いていない。問題の通販サイトにアクセスし、商品の配送状況は。。。"temporarily back-order"?なんじゃそら。なんとなくダメっぽい雰囲気は伝わってくるものの、いわばこれがキャンセルできるか否かの分水嶺である。多少の誤解もあってはならない。で、慌てて Google で検索し、 個人輸入英単語 なるものを発見。それによると。。。あ、あった、backorder=入荷待ち、か。むふふ、使える。ってわけで、これでキャンセルすることに自分の中では決定。ただ問題は、英語でメール書かなきゃなんないのねえ。

ミーはおふらんす帰りザンス!

。。。とか現実逃避してもしようがない、やるか。。。と、一応持っているジーニアス英和辞典を片手に、数時間にも及ぶ格闘が始まった。でもおかしいな、何でイヤミはおふらんす帰りなのに英語訛りなんだ?

午前2時近くなって、やっと英語メール(数行)完成。「注文したのもう1ヵ月以上前だよ。もう待てないよ!」という主旨。我ながら一方的でなかなか感じが悪い。まあ、アメリカ人の言葉のニュアンスなんててんで分かんないし、こちとらキャンセルできんかったらハラキリもんだ。カードは止められ、一生涯ブラックリストに載っちまう。ジャパニーズサムライの底力を思い知れ!勢いとともに、送信ボタンをクリック。ポチっとナーー!!

。。。翌日、さっそく返信があった。

Dear Ken'ichi Okude,
I have cancelled the order. You are correct - we spend most of our time waiting for delivery of these cases!

Jim Battell
Osmun Music

うーん。。。案外簡単なのね。ちゃんと非は認めてくれてるし。。。なんか悪いことした気分。でもおかげで、すべてカードの支払いで消えるはずだったお金も手元に残り、なにげにホクホク気分。ふふふ、何に使おうか。ノルマ払うときに、会計のオネーサンにイカしたブローチでも。。。

。。。あ、電話代払ってなかった。いけねえ。





2002 6/6 あらゆる熱狂について

この写真は特に本文に関係ありません

いま日本では、かつてなかったような規模の「はしか」が蔓延している。

もちろんこれは、こんな回りくどい隠喩を使うのも憚られるほど当たり前に、サッカー・ワールドカップのことを指している。先日行われた日本対ベルギー戦のテレビ視聴率は、最大で 58.8% を示したという。ごく厳密な統計学的考察をはぶけば、国内でおよそ 8000 万人のひとびとが夕食時にテレビにかじりついていたことになる。現に僕の勤めている会社でも、定時とともにみんなそそくさと帰っていき、寮に着くと今度はみんな食堂でテレビ観戦して、試合を見ていない僕の部屋にまで試合状況が伝わってくるような大きな歓声をあげている。いっそのこと陥穽にでもはめてやれば、もっと閑静になるのかしら。まあ僕の個人的な感情にまつわるような冗談は抜きにしても、歓声ならぬ喚声は、いたるところから既にあがっているようだ。

「外国人がたくさん来るだろうと準備しているが、あてが外れる。場合によっては損害賠償の請求もある」

今回のワールドカップに臨んで、各会場には莫大な投資がなされている。もし日本代表が予選を勝ち抜いた場合には、約 1 兆円もの経済効果がある、という試算もなされている。儲かると思ってたのに、話が違う、と。一応、筋は通っていると思う。FIFA とバイロム社は責任を負ってしかるべきだろう。だがしかしこの宮城県知事の発言は、お祭りのさなかにしてはほんの少し興ざめに感じる。「損害」というのはいかがなものか。ワールドカップをあくまで、興行としてしか見ていないことがありありと伝わってくる。まあ、みんなそれどころじゃあないから、いいんだろうけれども。

「コスタリカの審判、あいつは死刑です。本当は5点ぐらい入ってたよな。」

上述の文章から分かるとおり、はっきり言って、僕はベルギー戦は見ていない。あまりにも馬鹿馬鹿しかったからだ。念のため言っておくが、ワールドカップが、ではない。大の男が、たかがスポーツの勝ち負けについてぎゃあぎゃあ騒ぐことが、だ。後日、朝の番組で問題のいくつかのシーンを見せられたが、確かに、明らかな誤審がいくつもあった。しかし、これだけは声を大にして言わなければいけないのだが、現実世界において「絶対的な審判」というものは存在し得ない。それも含めてのスポーツなのだから、そこに明らかなイデオロギー的な歪曲が存在しない限り、審判の正当性は保証されるはずである。そして逆に審判は常に誤審を意識するべきであり、明らかな反則でない限り、笛を吹いてはならない。日本人(日本に限らないのかもしれないが)はそこのところの認識が甘いな、といつも思う。あと、北野武なら何を言っても許される、という風潮はどうかな、とも思う。

はあ、それにつけても、僕たちはなんなんだろう?たかがボールひとつにきりきり舞いってのは。





2002 6/3 前略、舞台の上より。

このページを見ている人は誰も知るまいと思うが、昨日、僕が所属しているオーケストラの演奏会があった(そしてこの演奏会についてよく知っている人は、誰もこのページを見ていないだろう)。今回はこれに際して感じたことを少し、語ろうと思う。はじめに断っておくが、僕は自分のことを根っからのプラグマティストだと思っている。占いやジンクス、宗教の類は一切信用していないし、口先だけの観念論やロマンティシズムなんかに至っては、ほんの少し触れただけで蕁麻疹かなにか出そうになってしまう。だから、僕がここで書こうと思ったことは、(少なくとも現時点では)なんら実証主義科学の枠を出るものではない、と僕は信じている。


僕が今のようにして演奏会の舞台に立つようになって、いったいどれくらいの年月が過ぎたろうか。あれから、もう優に十年以上の月日が経ち、僕はもう両手両足で(!)は数え切れないほどのステージを経験してきた。しかし、今回のようなことは、ほとんど生まれて初めての経験だと言ってもいいかもしれなかった。

当日の演目はリムスキー = コルサコフの交響組曲「シェヘラザード」。演奏は終楽章中盤から次第にヒートアップし、テンポと緊張感が最高潮に達した Allegro non troppo maestoso 直前ではあわや崩壊、というところまで張り詰めていた。しかしこの緊張が来たるべくして開放されたとき、どれほどの慟哭がそこに存在していたか。魂の救済を求むるシャーリアール王の叫びは、どれほどのものだったろうか!オーケストラの最後の一音がステージから、そして一瞬の後に客席上から消えたとき、僕は言いようもない心の昂ぶりをおぼえ、そして背中に、ぞくぞく、としたものを感じた。

演奏会の終わったあと、指揮者の先生がこう言った。

「私が指揮者としてデビューしたのはサントリーホールだったんですが、あそこにはこういう噂があるんです。」指揮台の上に立つと、後ろのボックス席のところがちょうどよく見えるんです。そしてごくまれに、そこのところが少し、ほんの少し、けぶっていることがあるんです。そんなとき、『ああ、あそこに神様がいるな』って、そう言うんですって。

「今日のこのホールでも、見えていました。」

僕も、まったくその通りだと思った。確かにあのステージの上、あのホールの中には、「何か」がついていた。でなければ、こんなことあり得ない、とさえ感じた。

「神」というものは、所詮、ちっぽけな人間の空想上の産物としてしか存在し得ない。これは真理であると思う。しかし逆に、人間の想像力(あるいは創造力)というものが実空間内に定義されていると仮定したとき、同時にこのような「神」の存在もまた、定義可能なのではないか、とも思う。ヴィトゲンシュタインがこのことを聞いたら、馬鹿にして大笑いするかもしれない。しかしちょうどあのとき、僕ら、およそちっぽけな人間たちの内側には「神」と呼ぶに相応しい何かが、確かに存在していたのだ。

麻雀の神様はいらないけれど。


2002 5/31 近況報告やらなんやら。

長い間ほうっぽりぱなしになっていたこのページも、ようやく更新することになりました。

まったくこの数ヶ月というもの、論文やら研修やらで、てんてこ舞いだったもので。まあなんにしろ新しい生活にも少し慣れ、毎日も落ち着いてきたので、近況報告がてら、ぼちぼちと更新していこうと思っています。

てなわけで、現在の状況を報告しますね。

なんやかやあって、結局今はコンピュータ関係の開発グループに仮配属されています。てっきり電気設備関係の部署にまわされると思っていたので、最初聞いたときは、その上司に「なんで僕ここなんですか?」とか聞いてしまったほど。まあ、もともと興味のあった分野だし、実情は結構喜んでるんですが。

で、そーゆーわけで、今、ひーこら言いながら LINUX の勉強しています。ですので、このページには僕自身の勉強もかねて、コンピュータ関係のリンクとか、トピックとかも紹介していけたらなあ、と思っています。

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