恋におちて


「どんなに機嫌の悪いひとでも、満腹にさえなれば黙って帰る。」

僕の最も古い友人の一人が昔語った言葉を、もう一度、僕はつぶやいてみた。言葉面だけみるとなんとも間の抜けた話だが、実際のところ、これがあながち馬鹿に出来ない。その友人はとある有名なコーヒーハウスで働いているのだが、彼女が言うには、案内待ちのときにどんなに不機嫌な客でも腹いっぱい食べた後にはすっかりおとなしくなってしまう、というのである。客のほうの心理としては「既にサービスを受けてしまった」負い目もあるだろう、確かにそれは最も理性的な答えではあるのだが、僕はあえて彼女の説を推したいと思っている。人間は、自分たちで思っているほど人間的ではないし、その感情は、自分たちで思っているほど感情的ではない。人間の感情なんて、そもそも、高等な言語を駆使して動物的な衝動をもっともらしくカテゴライズしたものにすぎない、と僕は考えているからだ。


なんにしろ、「怒り」について考えさせられる一日だった。様々な「怒り」が僕の前に現れ、あざ笑い、通り過ぎていった。


最初の「怒り」は、他でもない、僕自身のものであった。数日前に友人から連絡があり、演奏会に行かないか、と誘われていた。はるばる京都のホールに向かうため、僕は慌てて(週末にはフロア掃除を業者委託していたため、定時後も職場の整理に追われていたのだ)阪急電車に乗り込んだ。着いたときには京都はひどい大雨で、僕はずぶ濡れで駅の出口からホールまで走っていかなければならなかった。まったくここまでして、今日の演奏会がろくなもんじゃあなかったら、ひどい無駄足だ。今回の演奏会は当日座席指定、チケットと座席券を交換、というスタイルだ。今日のことは全て友人に任せてあった。チケットの手配はもちろん、開場時刻には間に合いっこない僕の代わりにこの座席券交換もすべて彼が済ませておく段取りになっていたのだ。しかし彼は、まさに開演時刻直前になっても、入場受付より前のどこにも姿を見せなかった。携帯メールに、中で待ってます、というメッセージだけを残して。座席券すら手元になければ、中に入られるはずもないだろうに!早い話が、僕は彼に待ちぼうけを食らわされた格好になったのだ。僕はいい加減、腹が立った。長い螺旋状の廊下を進んだ先の、受付の前にたたずんだまま、怒りに任せて宙を見据えていた。


「いまさら行かない行かない、ゆうて、どないせえっちゅうねん。」

そんな時、第二の「怒り」が気まぐれにふらっと顔を見せた。僕は思わず、その怒鳴り声のしたほうをちらと見てしまった。そこには、受付の真正面で怒鳴りあいの喧嘩をしているカップルの姿があった。自分で思うのだが、僕は、ひとの話を盗み聞きするのと、夜道を足音を立てずに歩くことにかけては、ちょっとした権威である。そのときも、僕はその才能に任せて彼らの話を聞くともなく聞いていた。面倒なのでその内容について詳しくは語らないが、ともかく、男のほうが分が悪そうだった。僕はそれを見て、思わず苦笑してしまった。怒りは、人をして冷静な判断力を失わしめる。どちらに義があるにしても、つまるところは、怒ったほうの負けなのだ。僕にしても、ここで腹を立ててぷいと帰ってしまうのは簡単だが、それこそ、京都まで出てきた甲斐をふいにしてしまうことになる。たとえこのまま演奏会場に入れなかったにしても、久しぶりの京都を胸に刻んで帰ることくらいはできるはずだった。僕は、お尻のポケットに入ったアシモフの短編集を取り出し、一曲目―ベートーベンの第一交響曲―が終わるまでの間くらいは、落ち着いて彼からの連絡を待つことにした。ふと振り向くと、先ほどのカップルはそこからいなくなっていた。


2,3編を読み終えたところで、僕は腕時計を見た。文字盤の上の針はとうに七時半をまわっていた。かれこれ、一時間近くもここに立ち尽くしていたことになる。やれやれ、受付嬢は何事と思っていたろう。あきらめて三半規管をだましながら螺旋状の廊下を歩き、玄関先にいた裏方の学生に罵声を浴びせられながら、僕はホールをあとにした。

まだ時間もわりと早かったので、僕は駅のすぐそばにあるファミリーレストランで夕食をとることにした。いつもなら、演奏会終了後にはすぐに満席になってしまって、とても入られるようなところではないのだが、さすがに今日は早い時間だったのですぐに席に通された。(あろうことか、案内をしてくれた若い男はベッカム・ヘアをしていた。整髪のために鏡の前に立ったとき、うっかり顔のほうを見るのを忘れていたんだろう。)僕はファミリーレストランなりのオーダー・テイカーに、ファミリーレストランなりのフル・コースを注文した。このくらいの贅沢はあってしかるべきだった。


前菜のホタテのカルパッチョを軽くたいらげ、ちょうどメイン・ディッシュであるテリヤキハンバーグに軽くナイフを入れたとき、僕のすぐそばから女の子がしゃくりあげる声が聞こえてきた。これが、第三の「怒り」の初期微動であった。ふと見ると、僕のちょうど向かいの席、そこにはさっきまでは男一人、女の子二人が座っていたのだが、女の子が一人に減っていて、その子が泣きじゃくりながらも怒りをあらわにしていた。

「私をどこまで馬鹿にしたら気がすむんよ。。。」

どうやら、この二人は恋人同士だったらしい。第三者に対して発せられたであろう、この男の軽口を聞き及んで―という感じに僕には見受けられた。まったく、今日はどうかしてる。どうやらこの世は、痴話喧嘩に満ちあふれているらしい。僕は、飯がまずくならない程度に彼らの話を聞き、ハンバーグを口に運んだ。

しばらくすると、先ほどどこかに行ってしまったはずのもう一人の女の子が席に戻ってきているのに、僕は気づいた。しかもそればかりか、さっきの涙はどこへやら、三人で楽しく談笑していた。男がふいに立ち上がって、女の子が「どこへ行くん?」とたずねると、彼は「トイレ。いっしょに行く?」とか言って笑いながら走っていってしまった。


しばらくして友人から携帯電話に連絡があり、今からなら後半―シベリウスの第一交響曲―には間に合う、ということだったので、僕はあわててファミリーレストランを出て再びホールに向かった。だが、息を切らせてホールに着くや、ばらばらと玄関から出てきた学生に「コンサートに来てくださった方ですか?もう後半始まってしまったので、申し訳ありませんが―」と丁重に追い払われてしまった。仕方ない、こういう日なのだ。怒るべき相手もここにはいないし、もとより僕にはもう怒る気力もない。せっかくだから北山のカフェででも時間をつぶそうか、と思い、きびすを返した。


こちこちにこわばった、いちじくのタルトをつまみながら、僕をほしいままに翻弄した「怒り」について思いをめぐらせていた。

僕が思うに、「怒り」と「空腹」とは、かなり密接に関係しあっているような気がする。そして、このしかるべき「空腹」というものは、物理的、即物的なものに限られない。「怒り」とは、けして手に入らない何かを欲するために生じる発作のようなものである。自由を求める「怒り」も然り、誠実を求める「怒り」も然り。金曜日の夜には、こういった精神的な「空腹」、あるいはストレスというべきものが頂点に達するのではないだろうか。この世のあらゆる正直な人々が積もらせてきた不満が、来るべき週末(ある意味では終末ともいえる)に向けて発散されるのである。のんびりとした土曜日、日曜日を過ごすために、ひとびとは金曜日に怒り、泣き、そして笑うのであろう。金曜日の街にはさまざまな怒りと笑いがあふれていた。ただこれだけのために、僕らは飯を食らい、酒を浴びる。ばかばかしいかもしれないけれど、どうやら世の中はそんな感じになっているらしい。

まったく、今日は馬鹿みたいな一日だった。ひどい雨に濡らされたし、コンサートを聴きに来たはずなのに一曲も聞けなかったし、せっかく摂ったデザートはひどくまずいタルトだった。でも、そんなことは大きな問題ではないのかもしれない。ともかく、僕の心は何かしら澄みわたっていた。ほんとにばかばかしかった。そう、ばかばかしかったから、それを笑えばよかったのだ。京都には、ハンバーグを食べるために来たと思えばいい。 「怒り」は何かを求める過程に過ぎない。これで一日を、週末を終える類のものではないのだ。



ここではじめて気づいたのだが、客は僕一人きりだったカフェの中に、いつの間にやら中年の男性二人組が席を構えていた。そして年配のほうの男性はもう一人に対して、怒鳴り声を上げていた。

「先方が言うには、三月の時点で八百万あった、と山下に報告したと言っているんだ!」

ぶはははははははははは。ばかばかしい!










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