| 9/30 |
| 後期授業スタート。 法学は、通年なので、科目登録者が247名いることは知っている・・・しかし、出席者は70名程度であった。をいをい。ついでに、後期は原則として出席をとらないと云っておいたので、まあ、少ないだろうなぁと思う。 工学部の「日本の法と裁判」、これも旧カリキュラム生で、4月に登録をした人が98名いることは知っているのだが・・・30名切っているではないか。多すぎてもつらいけれど、少なすぎても気がぬけてしまう・・とはいえ、適当な人数というのは好ましいので、「法と裁判」の方は、ビデオを見る余裕があるかも。両方とも、後期は出席の代わりにレポートなのであった。学生諸君、頑張ってくれたまえ。 |
| 9/28 |
| 授業の準備で一日が終わる |
| 9/27 |
| タイ料理フェスティバルへの誘惑があったのだが、後輩の初研究報告なので研究会へ。 自分が修士論文を書いた頃は、M1末:学内近接分野での研究報告会(勿論ぼろぼろ)、M2夏:指導教官+指導教官の指導教官+伯父伯母弟子達による内輪の研究会での報告(ぼろぼろ。修士論文執筆に関して周囲に不安を与える)、M2正月:賀状にて指導教官より、年末に提出(事務所ではなく指導教官に)した論文が論文の体裁をなしていない(要するにひどい)という叱責を受ける。よく考えると、非情にシビアな状況であったわけなのだが、なんとか年明けの10日弱で突貫工事を行って事務所へ正式提出・・・思えば、何と怖ろしいことを、と今更ながら思う。そして、博士課程試験を受けて、D1の3月位に本日の研究会にて報告(勿論、予想通りの様々な質疑・批判を受ける)、D2秋、より大きな研究会にて報告。ここでようやく論文執筆への許可がおりる(一旦活字にしてしまうと、あとで白紙撤回はできないので、第一論文執筆は慎重にすべきた、というのは多分指導教官+指導教官の指導教官の伝統なのだろう)、D2〜3にあがるぎりぎりに第一論文発表。D3かD4でまた本日のような研究会での報告を経て、ついでD4の秋が所属学会の研究大会における研究発表。それからその3月とD5にあがった段階で連載の形で第二論文発表ついで、々学年で博士論文提出&学位取得、その次の年に博士論文の要約を、第三論文の形で発表・・・・・・と、かなりスローペースなので、修士の段階で、今日のような研究会での報告を行えるだけでも、すごいなーと思う。 実際、論理展開などへの賛成不賛成は別として、よく調べていると思う。研究会での質疑・批判で少々落ち込んでいたようだが、第三者的には、あたたかな、いわゆる今後の研究に向けてのアドバイス的な質疑が多かったのではないかと思う。 |
| 9/25 |
| そろそろ論文執筆(今回のは論文というよりも資料紹介に近い)にとりかかろうと、まずはどの号に掲載希望を出せるかどうかを編集部に訊きにいったところ・・・私の身分(院生でも教員でもない、いわば身柄を預かっているだけの特別研究員)の論文執筆(掲載)権については、まだ明確な規定ができていないのだそうだ・・・いかにせん? 指導教官に再度質問したところ、まずは原稿を出し、掲載申込書を出せ、そうすれば、君の事例を協議会か評議会で検討し、それがテストケースとなるだろうから・・・私はモルモットではないです。でも、法学雑誌に私が掲載できるかもしれない期間は短い(研究員任期中の3年)ので、他の人の事例を待つわけにはいかないのであった。 |
| 9/24 |
| 祖父、開腹手術の結果、癌判明。80を越えた高齢であるため、手術に耐えるだけの体力があるかなどといったことを検査した上で、手術を行うかどうかを考えるそうな。 |
| 9/18 |
| 毎年のことだが、涼しくなると私の頭は本格的勉強モードに切り替わる。従って機嫌良く部屋に籠もって論文の仮仮原稿を書いていた。書いては消し、書いては消しなので、量的にはさして進まないのが難なのだが、とりあえずは、「書くぞ」というスイッチが入っているので、しばらくはそのままでOK. 夕方、公民館の協議会に出席。秋の公民館祭りや、公民館の使用料が主たる議題。秋の公民館祭りでお茶席は出すものの、他のステージや屋台とは関係がないので、出てもあまり得ることはない。しかし、公民館メンバーは高齢の人が多いこともあって、しっかり顔と名前を覚えられてしまっているので、毎回さぼることもできない(実は前回はすっかり忘れていたのでさぼってしまった)。 |
| 9/17 |
| 昨日、久方ぶりに大学に顔をだしたついでに、秋からの授業はいつからですか、と挨拶がてら先生に尋ねたところ、翌日=今日、からとなってしまった。 連絡ミスで、もう一人の院生(いや、私は既に院生ではないので、授業を受ける本来の人はその院生なのだが)現れず。仕方ないので、先生と近況報告を交換しつつ、判決原本を初見で読解。やはり何カ所かは不明な単語があった。間抜けなことに、予習分を研究室に忘れてきてしまった。をいをいをい。 |
| 9/16 |
| レッスン二日目。 本日は指導の先生が前回とは異なっていた。本来の先生の都合によるものらしい。今回の先生は50代(そうは全く見えない)だが、とてもパワフルで、またレッスンもわかりやすかった。建物を出たところで、同じレッスンを受けている方が「いやー今日の先生はわかりやすかったわぁ」と言っていたが、同感だった。 本来の先生がわかりにくいとかそういうことではなく、なんと言えばよいのだろうか、教えている年期がものをいっているという感じ、熟練の教え方という感じ。本来の先生はまだお若いということもあって、真面目だが、レッスン会場の人すべてを把握・指導しているかというと、少しだけ疑問が残るところがある。下手とかではなく、本当に、場数が違うという感じ。 思い返すのは私の授業。経験は一朝一夕には身につかない、一年やそこらでも身に付かない。なかなか骨だ。 |
| 9/15 |
| 弟の荷物を堺へ届ける。 弟自身も、車さえ貸してくれれば(彼は今バイク利用者)自分で往復すると言ってはいたのだが、彼に車を貸せばいつ返ってくるのかわからないので、自分で運んだ方が早いのだ。また、そろそろ駐車違反は、駐車違反をした者だけではなく、車の所有者にも責任が及ぶということになりそうなので、時々車で友人宅へいったまま、そのあたりに車を放置してくれる弟に対する信頼がないのだ。 ところで、14・15日の泉州とくれば、岸和田だんじりである。お祭りなので仕方がないが、いつも使っている道が一部封鎖されてしまったこともあり、往復で5時間(途中のお茶の時間も入れていますが)かかった。また、渋滞だったので、疲れた。 |
| 9/14 |
| 仕事の合間に、後期授業の授業計画を作成。 後期は「憲法」と「日本の法と裁判」。 ううむ、後者は簡潔に説明するのはちょっと難しいような気がする。 午後、秋の学会の申し込み・払い込みを済ませる。今回は名古屋だ。今回こそ、名古屋こーちんを食すのだ!! |
| 9/12 |
| 秋のお茶席は、どうも茶箱点前になるようだ。 というのも、その時期はお茶席をするグループが多く、どれも同じような点前では面白くなかろう、という先生の判断による。それで戸棚から茶箱を取り出してみて練習開始。実は茶箱点前はこまこましたところが好きなのだが・・・二年前に稽古をつけていただいたまま・・・失念していました。うむむ。 現在、子ども茶道教室の方は、最年少が7歳、上が14歳くらいで、6名、大人は3名。少ないなりにどうにかやっている。まあ、私が幹事をさせていただいているため、ミスが多いという欠点はあるが。そろそろ、子ども茶道教室の親御さんたちに向けて、秋のお茶席の連絡をまとめなければならないし、お茶券も作成しなければならない。結構やることがあるものだ。 着物は、何とかお太鼓の手順をマスターし、形もまだまとも(では、それまではまともではなかったのか、というと、そうです。結構むごいお太鼓に仕上がっていました)になりつつあるというところ。では、と半幅帯を結んでみようとしたら、ものの見事に忘れていたが。着物はやはり場数を踏まないとだめですね。 |
| 9/11 |
| 同窓会には関心がない。 転勤族育ちの影響だろうか、私には昔の知人に対する関心がないようだ。別に知人や友人に冷淡、というわけでもないだろうが、今一緒に行動している人は大事だけれど、遠ざかればそれまで、ということがよくあるような気がする。遠ざかれば、というのは物理的なものではなく、心理的なもの。友情にもメンテナンスが必要、という言葉があるけれど、それに似て、こちらが大事にしたい人にはハガキなりメールなどを通じて連絡を取り合ったりするけれど、それでさえもとぎれてしまったら、それでおしまい。だから、同窓会の意義がよくわからないし、関心もない。 しかし、本日は中秋の名月でして、そういう時、お酒を傾けながら(別にお茶でもいいけれど)、つくづくと、愚痴や陰口とは無縁な、他愛のない話しをする人が欲しいと思うときもある。 |
| 9/9 |
| 練習第一日目。 本当は第二日目。一回目は大阪にいなかったので欠席したのだった。 いやぁ。久方ぶりの体験で心地良い疲れを感じました。腹筋を少しでも、鍛えなければいけないらしい。まあ、腹筋を鍛える→声が出る→授業で役に立つ、とも言えなくもないですね。 |
| 9/5 |
| ワックスがけ。 膝が少し痛いですね。次は年末の大掃除で勘弁してもらおう。 |
| 9/4 |
| お茶と着付けの日。 この手のことは覚えが悪いので嫌になるときもある。お太鼓はまだ綺麗に結べません。 |
| 9/2-4 |
| 家人と小旅行。疲れた。 |
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