2000年夏、私は自分のサークル「エコ、ハビタット」のメイン活動、フィリピンでのワークキャンプに
参加する事にした。家を建てに行くのである。
今回のワーク場所はフィリピン首都マニラから500キロ南にあるネグロス島の都市、ドゥマゲッティである。
ちなみにドゥマゲッティは有名な観光名所、セブ島の隣の大きな島にある。

フィリピンには「ハビタット」という貧困層に格安で家を提供する組織があり、我々はその一部として
日本で活動を続けているわけである。1軒の家は約日本円で15万円。それを人々は20年ローンで
返していくのである。貧困層の日収は多くても150ペソ。(約500円)その中から食費、生活費も出さなければならない。

大変な生活である。しかしハビサイトの人々は皆明るい。彼らには明るい未来が見えているような気がした。
そして彼らは我々に接する時、決して自分達を「飾らない」。だから、我々も決して「飾る」ことはしなかった。
貧困層の人間は助け合わなければ生きて行く事ができない。

だが、その助け合いの生活の精神がもっと日本人にあれば、普段の人間関係にそんなに気を使う事も無いだろうと私は思った。
我々より彼らのほうがよっぽど人間らしい生活をしているのではないだろうか。ふとそんな疑問が頭をよぎった。

さてさて、出発は8月一日。朝8時半に関空に集合。思い荷物を背負って朝5時45分、家を出た。
電車を6時過ぎに乗る。阪急はこの時間帯には特急がない。各駅で梅田まで乗り通す。
そして梅田から重い荷物を背負ってJR大阪まで移動(-_-;)その後、関空快速に乗りこんで一路空港を目指した。
このとき、朝7時。
列車は順調に天王寺、堺、鳳と過ぎ、空港へ。
ついたらちょうど朝8時だった。
タイ航空のカウンターに行く前に、搭乗口とは反対側のちょっとした展望台で海を眺める。綺麗だった。
タイ航空のカウンターの前には今泉先生や大江先生(二人とも引率)をはじめとする大半のメンバーがもうすでに揃っていた。
ジュースを飲んだりして荷物がチェックインされるのを待つ。
そしたら外で雨が降っていた (+_+)。ちょっとびっくり。

ちょっと前までがんがんに晴れていただけに、かなり意外だった。
空港が海の上だからかな??
関西空港に来ること自体が久しぶりだったので、ふとそうした疑問に刈られた。

関空の空港使用料はなんと2650円(゚O゚;)高い(涙)免税店で買い物しようかと思ったが特に買うものも無かったので
そのまま搭乗口でみんなで待つ。
適当にみんなで遊んでいるうちに搭乗の時間がやってきた。飛行機に乗りこむ。
新聞(朝日)を取って読んでいたら記事に「ハイジャック未遂」の記事が^^;をいをい縁起悪いな〜〜〜〜^^;
そして、飛行機は関空を無事に離陸した。

寝不足と言うこともあって早速眠りにつく、という予定だったのだが、ついついビールを飲んでしまった。
つまみはおかき。まぁまぁ美味ではあったが。
機内食は鶏のソテーか、タイビーフレッドカレー。本当はカレーでも良かったのだが機内食まで思いっきり爆睡していて、
スッチー(多分タイ人)が「チキン??チキン??」とかってなんか耳元でうるさかったので適当に「チキン」って言ったらこの機内食が運ばれてきた。


でも美味かった。鶏肉のソテー、人参はバターでソテーしてあった。そしてフランスパン。結構なご馳走であった。ちなみにビーフカレーは強烈に辛かったらしい。^^;
しばらくすると、フィリピンの大地が見えてきた。あまり日本と空から見た感じは分からなかった。


やがて飛行機は無事アキイ国際空港に着陸した。

アサンバの夜は更けて


8月一日、フィリピン時間午後一時半、無事タイ航空621便はマニラニノイ国際空港に着陸した。
無事に入国審査、そして円→ペソの両替も終え、一息ついているところにハビタットオフィスのRaffyさんがチャーターバスとともに迎えに来た。

そして荷物を車に詰めこみ、移動開始。ところが、車はなかなか動かない。あたり前だ。
フィリピン全体に言える事だが信号がちゃんと整っていないのである。もちろん首都マニラにいたっては地下鉄なんてそんな文明的なものは存在しない。
さらに悪い事に一応マニラには環状線があるらしいのだがスト中とのこと(汗)おかげで車は大渋滞。だがそれが日常なのだ。

たかだか2〜3キロ移動するのに20〜30分もかかる。そして信号が無い分流れているところは100キロに近いスピードで車が流れる。
(汗)日本の道路交通の常識なんて全く通用しない(笑)
フィリピンにはジプニータイプという乗合バスがある。

もちろん日本車の大型バスも走っているのだが、このジプニーバス、トラックの荷台を改装して人を乗せているようなものなのだが、乗り切れ無い人が後ろにつかまって乗っている(汗)。
でもどのジプニーバスもそうやって走っている。やっぱり凄い国だ、と思った。そして日本型のバスの側面には日本語で書かれた「出口」とか「非常口」とか日本語がいっぱい(笑)
いったいここはどこなんだ??(笑)と思った。


やがてバスは我々の宿泊地、トレーダーズホテルに到着。一応マニラ市内ではかなりの高級ホテルだ。一泊日本円で4000円とのこと。でもフィリピンペソに換算すればかなりの金額だ。
そしてこのホテルでは入り口に金属探知によるボディーチェックがある。

ちょっとカルチャーショック。しかしホテルを1歩出れば貧困層の人がうろうろしている。一応セキュリティーのためなのだろう。だが良く考えて見よう。我々が平和ボケしている、ただそれだけの事だ。

みんなで会議室みたいなところに集まり、鍵の説明とこれからの部屋割りの発表。そして後のスケジュールの説明。なんだかんだいってここで一時間くらい時間がかかった。
そして部屋に移動。ここで時間は現地4時半。6時くらいまでゆっくり休む事になった。

だが、俺の部屋で会計の計算をすることになった。家代、国内線代、空港使用量代。。。といった感じで振り分けていく。1000ペソ札を何回数えただろうか。そして作業が終了し、ちょっと休憩。

6時半にロビーに集合。ここから夕食を摂りに行く事になったのだが、急遽春のワークサイト、アサンバへ行く事になった。アサンバはマニラ市内にあり、ケソン市の近くにある。ホテルからは約10キロ。

すぐ着くだろうと思っていたがやはり俺はマニラの渋滞をなめていた。
車は一向に流れない。常にのろのろ〜と進む。実際、寝不足もあって一時間ほどバスの中で爆睡していたのだが起きても全然到着する気配が無い(汗)俺はさすがに参ってしまった。

回生達と3文字知しりとり(めちゃイケのやつね)で盛り上がっていると、やっとこさアサンバにつく事が出来た。

アサンバはマニラの隣、ケソン市にある。2001年度でも訪れたが、他のサイトと比べて比較的狭い。

バスが取り囲まれて、メンバーの全員が握手を求められた。そして、アサンバの事務所に案内された。事務所にいると
子供達何人かが「Hey! What's your name??」と聞いてきたので「My name is Arata!!」と言って応戦する(笑)
このサイトはわれわれ関学ハビだけでなく同志社や京都外大も訪れているらしいので、日本語を結構話せる人が多い。
中には、横浜に娘がいて日本語を教えているおばちゃんもいたくらいだ。しかも、いきなり一人の8歳くらいの女の子と仲良くなった。

何故仲良くなったかと言うと彼女は「せっせっせ〜のよいよいよい、アルプス一万尺〜♪」と日本語で歌いながら、且つすごい上手だったからだ。
僕も一生懸命応戦して遊んだ。あと、目隠ししながら鬼が回って指を指された人が負けという「ウゴチャカ〜」というゲームもやっていた。
後輩の一回生の女の子は「何このゲーム(笑)」と言って戸惑っている娘もいたが終始仲良くやっていたようだ。
一番意味不明だったのが一回生男の熱いノリ。(失笑)なんかサイトの男どもを集めて一緒に叫んでまるでライブハウスに近いノリだ。

なんかドラゴンボールの主題歌を歌ったりメンバーの名前をみんなで叫んでいた(笑)リーダーの永田君も「なんだこいつら(笑)」といって呆れていた。(笑)
今泉先生が3月訪れていたサイトということもあってサイトの幹部クラスのおばちゃんたちはみな涙していたようだ。
そして現地時間で10時近くなり、ホテルに戻る事となった。わずか一時間とちょっとの交流だったのに子供達は「行かないで〜〜」と涙せんばかり。さすがにこっちも目頭が熱くなった。
せっせっせして遊んだ女の子からはブレスレットをもらった。このブレスレットは今僕の宝物となっている。

さすがに10時をまわったらヤバイのでみんなでマクドナルドに行く事にした。フィリピンに来てまでマクド(-_-;)と思ったが
メニューがン日本と全然違う。ビッグマックダイノサウルスセットを注文した。56ペソ(約250円也)。やすい。これで日本で言うビッグマックLLである。
しかし出て来たのはバケツ並のコーラとオニオンフライ(笑)
オニオンフライはイマイチの味だった。(苦笑)

帰りは驚異的に道がすいていた、といっても日本の感覚ではまだちょっと渋滞気味だったが、行きに2時間弱かかった道を約30分で帰る事が出来た。車内で今泉先生からとても印象に残る一言を頂いた。
「彼らはわれわれに接する時、決して自分達を飾らない。だから、
我々も自分を飾ってはならない。ここでの体験は一生君達にとって忘れられないものになるであろう」と。
そしてホテルについて、寝不足と言うこともあり速攻爆睡してしまった。。。。。。



Fight against poverty!!!

二日目、前夜はホテルにつくなり爆睡。夜中3時頃目が覚めた。みんなもう寝てるだろうと思っていると隣の部屋から話声が。どうやら元気な一年生の諸君はまだ起きているらしい。
部屋に行って大貧民(関東では大富豪と呼ぶが)でかなり盛り上がった。
4時頃みんな寝てしまったので自分もまた眠りにつく。

そして2日目、9時半起床。今日は午後に国内線に乗ってドゥマゲッティまで移動のみ。そのため、午前中はフリータイムと相成った。ホテルのプールで泳ごうかな、とみんなで考えていた。
今泉先生は朝っぱらからランニングをしていたらしい(汗)
いやあ、タフで頼りになる先生だわ、ほんま(笑)
風呂を浴びて、みんなでご飯を食べに外へいく。50メートル左に行くと「Jollibee」を発見。
Jollibeeはマクドを押さえてフィリピン最大のファーストフードである。やはりマクドより美味い。ポテトなんか日本のマクドとほぼ同じ。かなり美味い。僕はジョリビーフランクを食った。これは美味かった。

そして11時になってしまったが後輩3人と3回生イッシー、隅田さんともにちょっと遠いけどセブンイレブンまで散歩してみる。銀行の前のガードまんは猟銃を持っている。(汗)でも海外ではこれが普通らしい。
個人的にシベリア鉄道に行った時もそうだった。
通り道ではよく道端の商人に声を掛けられるが、無視。なかには「カモ〜〜〜ン!!!」と怒鳴ってくるおばちゃんもいたが「うるさいよ」と言って切り返した(笑)。

まさに、ワンダフル、マニラ。



セブンイレブンの中には警官が常駐していた。やはり上流階級向けの施設にはほとんどいるらしい。
おかしと、豚の皮のから上げ(これなかなか美味い)と煙草(マルボロ)を購入し、そそくさと退散。

そして集合時刻になったので、車で国内線空港に向おうとしたがRaffyさんが一向にホテルに来ない。しかしバスは来ていた(笑)話を聞くとドライバーがRaffyさんを置いて来てしまったみたいだ。
苦笑しながらもRaffyさんを待った。結局ホテルを出れたのは12時半過ぎ。
それから空港まで移動。30分ほどで到着。Raffyさんといったん握手をして別れる。

そしてチェックインも済ませ、カフェで豚肉と豆煮、そしてチャーハンもどきを購入して舌鼓を打つ。離陸は3時10分。




しかし、いつまでたっても機内案内が始まらない。。。不信に思った先生がカウンターにたずねて見ると離陸は3時50分に変更になったとの事。しばらくまたベンチで休む。
そして飛行機。日本みたいに建物から乗るのではなく滑走路をあるいてタラップから乗るタイプ。海外チックだ。
無事に飛行機は離陸。快適に外を眺めていると。。。。事件発生(笑)


機内食がゲロ不味いのである(涙)。米は炊くのに失敗したような、ちゃんと澱粉が変化しきっていない感じ。鶏肉は骨だらけ。付け合せのあんことピーナッツもミスマッチ。
こんな不味い飯は食った事がなかった。もちろん一口つけただけでスッチーに返品したのは言う間でもない。

そして、居眠りしていると、激しい衝撃と供に着陸。おいおい操作おかしいぞ、フィリピン航空さん。一個間違ったら俺らの命、ないんだぞ、をいをい勘弁してくれい(汗)

そして空港につくとこんどはアサンバ並の歓迎を受ける。今回1週間世話になるハビタットCANTLE-Eのサイトの人々だ。
バス(もちろんジプニー)に乗りこんで、途中ドマゲッティ市内のレストランでミーティングとなった。

こっちの監督のWoodlyさんが今後の説明をしてくれた。そのなかで、とても心に残る一言があった。
「Fight against poverty with us!」つまり、貧困という敵と一緒に戦おう、ということである。
正直これにはかなり感動した。同様、3回生のハルさん(ハビオフィシャルHP管理者)もこのことを日記に記している。


そして、再びバスに乗り、CANTLE-Eへ。またまた猛烈な歓迎。ご飯をたらふく食べた(後にこれが仇となってしまったが)。そしてステイ先へ案内された。
ホストファミリーのおねえちゃんが迎えに来た。ロウェンナ、21歳、やさしくてとても親切な人だった。ステイ先で荷物を置いていると現地の人がやってきた。
この時たしかデニスやオカマのローランドの一家との対面だった。
(ローランドについては後々語ります)。そして夜も12時過ぎたので、就寝。
明日からはワークが待ってるぞ〜〜〜〜〜☆

と、心の中では思っていたのだが・・・・・。


発熱と悪夢のフィリピンマッサージ

フィリピンに着いて3日目、ドゥマゲッティに着いて初めての朝を迎えた。フィリピンの夜は涼しい。ってか夜中になるとかなり寒い。俺は全くその事を知らずTシャツ一枚で寝ていた。これがいけなかった。
朝6時半(日本では7時半ね)、凍えながら目が覚めた。寒くてがたがた震えていた。それと、自分の胃が強烈に痛い事に気づいた。(;;)前夜の食べ過ぎが原因だとおもって整腸剤と
いうか正露丸を飲んで見たが一向に痛みが収まらない。
朝食をまともに食う事が出来なかった。そのときは前夜の食い過ぎだと思っていたのだが車に乗りワークサイト向かう頃にはなんだかボーっとしてきた。
ワークサイトについてから、なんだか体の様子がおかしい。

今泉先生に顔色が悪いので休めと言われて寝こむ。あれれ?なんで睡眠薬も飲んで無いのにこんなに眠いんだ??
そう、この時分かった。どうやら自分は発熱しているかもしれない、と。
昼休みにそのことを申し出たらやっぱり熱っぽいぞと言われた。そのままトライシクルに乗せられ一旦家に戻される。
また胃が痛くなってきた。この時午後2時。そしてハビタット第3サイト(通称ハビ3)の外人ワーカー専用病院へ運ばれた。
この時、同行してくれたのはロウェンナとメリー、キャサリンのお母さんのノラ、そしてドライヴァーはメリーのお父さんであった。

病院に着くも医者がいない(汗)上ケ原(西宮キャンパスの団体)が建てた家で休ませてもらう事にした。横にはビリヤード場が。よくみると
CANTLE−Eの若者もいっぱいいる。みんなこっちまで遊びに来ているようだ。
とりあえず横になってメリーに軽くマッサージをしてもらう。扁桃腺が若干腫れているらしい。首が痛かった。結局医者は現れずそのままロウェンナの自宅まで戻される。

そのまま家で就寝。2〜3時間は寝ていたのではないだろうか。
ふと気がつくと今泉先生と別のフィリピンマッサージ師が。先生が解熱剤と胃薬を持って来てくれたのであった。
しかし、彼のマッサージは強烈に痛い。涙が出そうになる。なんつったって足の甲をグリグリ。痛さに逆切れ寸前になって「ouch!!」というと「You just 
relax!」と怒られる始末。まぁ、これがフィリピン様式なのだからしかたがない。
まさにマッサージに耐えている時は悪夢そのものであった。でも、マッサージが終わると心地よく寝れてしまった。(笑)

ちなみに同室のハガっちは俺がマッサージされている最中「He is just relaxing」といって入室を断られつづけていたという。このことを後で知った今泉先生は「HAHAHAHA!」と高笑いなさっていた。(笑)



この日は一日中家で寝ていた。まだ薬の影響が残っているのだろうか、午前中は常にほのかに眠かった。
朝今泉先生に熱を計ってもらったら36,5度。もう熱は下がっている。マラリアでなくて本当によかったヽ(´▽`)/。
午前中はロウェンナ一家に扇子(ビザヤ 語でパイパイという)の使い方と折り紙指導をする。
今回GVメンバーで日本土産に折り紙を持って行った子は多かったようだが(自分含む)フィリピンには折り紙の習慣なんて無いということが自分の頭からは抜けていた(笑)。
鶴を一生懸命指導した。ちなみに折り紙は現在メも用紙(?)としてロウェンナ一家で活躍している事をねがう。(笑)ちなみに過去の先輩方の経験からいうと最も人気が高かったのが
紙風船、扇子だそうです。

昼食は焼き魚。結構美味しかったが若干固い。前日まで胃を痛めていた僕にとってはちょっと厳しい食い物だったが美味しかったので全部食ってしまった(笑)。
3時頃になると雨が降ってきた。そんなに激しい雨ではなかったような気がする。んまワークサイトではみんな作業をしている事であろう。そんな中、僕は末っ子とドラゴンボール談義に花がさいていた。
ドラゴンボール話に熱中しているとみんながワークサイトから戻って来た。もう夕方5時。早いものである。
かなり回復して来たので外に出てみんなを出迎えた。たしかハガっちがバスケをしに行くと言っていたのでロウェンナに断ってからバスケコートに早速GVメンバーとフィリピン混合戦を見に行った。

見ていてなかなか面白かったが後輩の小林君からさらに面白い(?)事を聞いた。
「あいつら攻めるだけでディフェンスしないんすよ〜なんかみんな自分がシュートを決めれればよい、って感じがするんすよ〜。奴らはディフェンス:オフェンスなんて8:2くらいすかねぇ」
たしかに、ここにはそれぞれ国民性の違いがにじみ出ているような気がして面白かった。
チームとして勝ちに行く全体主義か、それとも華麗にダンクを決めたいと思う個人主義か?
そんなことを考えつつ時間は刻々と過ぎていった。


体調もよくなって来たので夕食から完全復帰。今泉先生に「あらたがあらたに加わりました」なんて言われる(汗)
さすがにメニューは覚えていない。
その後、明日に迫った文化交流の練習をしようとバスケコートに集合するもみんなが何かイベントがあるもんだと思いこんでゾロゾロ集合してきた(汗)をいをい全然秘密練習じゃねーじゃねーの(-_-;)
さすがにネタばれはちょっとまずいのでパパさんとメアリーの元彼(名前わかんないっす)が話をつけてくれた。(?)
バスケコートの電気を一旦消し、みんな退散。ほんで10分位して再集合。
今度はうまく行った。とりあえず「輪になって踊ろう」と「We are the world」の立ち位置、フリ確認。
んでもってメインダンス「恋のダンスサイト」んまこれはさんざんやっているのでいまさら踊る必要も無かった。

そうこう言っているうちに就寝時間の10時を回ったので今日はおとなしく早就寝。


文化交流の夜」

ダウンしてから2日が経過。さすがに作業日程は半分を越していた。
結局、ワークには2日遅れの参加となってしまった。
作業自体はいたって単調なもので、石を運び砂を運びセメントをこねそれを運ぶと言った類のものである。
後半になると、家の前の土をきれいにしたり、ちかくから綺麗な土を掘り起こして運んでくるといった作業もあった。
今日もセメントをこねる。え〜んやこら、という調子にはいかなかったがそれでも激しく働いたとは思う。
土木作業とは、背筋を使うものだ。腰が痛かった。
フィリピンは雨季真っ盛り。日本だったら大雨洪水警報ものの雨というかスコールが平気で降っている。
またたくまに水たまりが出来て、小さな川が出来る。これでは仕事にならないのですこしはやい昼飯となった。
一時頃になると晴れて来て作業再始。すごく晴れているが、以外にも日本ほど蒸し暑く苦しく感じない。
アスファルトが全く存在しないので照り返しがないのだ。気持ちがよい。


そして作業も終了。いつもの5時。ああ、疲れた。とおもってトラックに乗りCANTILE-Eに戻る。
家に戻れば、皆は風呂を浴びるのだろうが、僕は飯まで爆睡していた。
このパターンは2001年度訪問でも変わらなかった。

夕飯をすませ、いよいよ文化交流会となった。
まず国会斉唱、そして現地の方の歌。フィリピンの人はダンスと歌がとても好きだ。


そしてうちらの番。モー娘の反応はどうだったかは覚えていない。
写真を見る限り、フィリピンの民族衣装をまとって踊るのは日本人の価値観的には
気味の悪いものでしかないが、現地の人間には結構評判がよかったかもしれなかった。
ただ、WAになって踊ろうのほうが評判良かったようなきがする。

その後はめちゃめちゃで楽しかった。ダンスをしまくっていた。スミダさんの告白ショーが未遂に終わったとおもったらIさんがオカマに変身。


この時、初めてオカマのローランドと知り合う。
しかし、俺は何故こうまでオカマにもてるのか??そう思った一夜でもあった。

聖なる海とサンシャイン」

この日は日曜日。作業はお休み。そして、我々は午前中はシリマン大学でチャペル、午後は海に出かける事になっていた。
教会は9時半から始まることになっていた。日本と同じ開始時刻だ(時差マイナス一時間)。
チャペルは一時間半続いた。日本で聖日礼拝ってこんなに続いたっけ??(汗
そして僕はお祈りするように見せかけて50分間爆睡した(笑
チャペルが終わると、シリマン日本人留学生が快く迎えてくれた。これから、交流会を兼ねてちょっとしたゲームを行うらしい。

中庭に移動すると、シリマン現地学生が多数集まっていた。みんな私達よりとても若い。
当たり前だ。フィリピンには中学校が無い。大学までストレートで行ってうちらより3年少ない計算だ。

みんなで、[Human Machine」という組体操もどきのゲームをやった。
これはなかなかおもろいが、かなり体力が要る。うちのチームは「蒸気機関車」を表現し、自分は煙突役だったので、
小さい女の子を5〜6分肩車し続けなければならなかった(笑

ゲームの最中、今泉先生は街に両替をしに行ったらしいが、先生は、追っかけてきた両替商と喧嘩し、なにやらわめきあっていた(爆
バス発車まで現地の子たちとだるまさんがころんだをやって遊んだ。

そうして、村に帰ってから昼飯、その後待望の海に向けて出発した。

海までは遠かった。外人や金持ち専用の砂浜へ行くのである。当然だ。そこらへんの砂浜はちょっと危険なのであろう。
空港を通りすぎ、ネグロスの島を北へ。村から約30分で到着した。
僕は海パンに既に履き替えていたのでそのまま砂浜へ。

ところが、下は砂ではないのである。珊瑚だ。とてもじゃないけどビーサン無しでは泳げ無かった。が、海はと
ても綺麗だった。
れば熱帯魚がうようよしている。潜っても数十メートル先まで見える。むちゃくちゃ綺麗だ。
こんなに綺麗な海は沖縄以外では日本ではマズ御目にかかれないだろう。僕も海水浴自体は家族で伊勢志摩行って以来だから、かなりエキサイティングしていた。
もう本当むちゃくちゃ感動した。ただ、海水なので一時間も泳ぐと唇がひりひりしてきた。

みんなでビーチバレーをやろうとしたが風が強くてあまり続かなかった。
3キロほど前方は、かの有名な島、セブ島である。この海水浴場はネグロスとセブの海峡にあるのだ。おかげで潮の流れがキツイ。
みんなどんどん海水浴場から気づかないうちに流れていた(笑
しかし、海はすばらしい。記念に珊瑚のかけらを拾ってきた。

一時間もすると、気温が下がってきたので、みんなで海を上がり、海水浴センター内のプールに移動した。
そこでは、後輩となんと飛びこみダンクスタイルコンテスト(?)が行われていたので乱入。
つまり、投げられたボールにジャンプしてキャッチしてそのままプールにドボン、これがかなり燃えた(笑 
気がつけば一時間もこれを繰り返していた。
夕方になり帰る時間。そのまま展望台へ。セブ島に沈む夕日と海、美しい景色だ。
まさに「聖なる海とサンシャイン」であった。この景色は一生忘れないだろう。ってか、もう一度行くけどね(笑

帰りは若干渋滞し、40分くらいかかった。んま、寝てたけど(笑

だが、この日のイベントはここではまだ終わらなかった。
夕食後、去年われわれの団体が訪問して完成させた近所のハビ第3サイトにて歓迎会があるのだという。

夕食を取ったのち、移動。2日連続でダンスの披露と相成りそうだったがテープ紛失の為えっさっさ儀式だけで済ます事にした。(大工さんの気合入れの儀式らしい)
ハビ第3サイトは、僕が高熱を出して一旦運ばれたところでもある。ここにはビリヤード場もあるのでステイ先の人はかなりここに遊びに来るらしい。
距離的には2〜3キロといったところか。


会場につくと、かなりの人だかりが出来ていた。上が原で去年訪れた人の寄せ書きも飾っている。良く見ると、知っている人の名前が沢山.。。。。。。。。

そして、歓迎会は始まった。といってもこちらは海水浴の後の為みなぐったりしている(笑

最初は2〜3人の歌。そしてダンス。皆上手い。社交ダンスなんて日本じゃ選手権でれそうにみなダンスが上手である。
今泉先生の若干長めのスピーチのあとは我々の出し物の番。

そして我々の番。昨日女の子の出し物の歌の後は、我々の気合入れの儀式「えっさっさ」。
何気にかなりフィリピン男性にはヒットしていたようだ。

そしてその後は恒例ダンスパーティ。もちろんおなじみ社交ダンス。ロウェンナにステップを教わる。10時頃まで踊りつづけた。
あと、他の人にBackStreetboysの曲の振りつけも教わった。
デニスに軽い振りつけを教わった後なんかしらんけど俺達は踊りまくっていた。
無性に楽しかった。女の子と腰を振りまくって社交ダンスしまくっていた。
日本人とノリが完全に違うところが、また楽しかった。


10時半頃、やっと村に帰る事が出来た。かなり濃い一日だった。

その夜は、疲れた事もあってすぐ寝てしまった。たしか、オカマのローランドの存在を知った日でもあったようなきがする。
詳しくは覚えていない。

オカマの道」

ワークも4日目を迎えた。セメントをひたすらこね、運ぶ。陽射しがキツイ。サンオイルを塗っておく。おおお、真っ白だった肌が
ずいぶんと黒くなって行くではないかヽ(´▽`)/(笑
1回生連中はサイトの端のほうに行ってひたすら土の掘り出しに取り掛かっている。あれはあれでかなりキツそうだ。こちらは家の外枠に流し込むセメントをせっせと作っていた。
セメントを人力でこねるのはかなり腰を使う。よくあそこでぎっくり腰にならなかったものだと今考えてひしひし思う。
セメントも流し込み、固まるのを待つ。そのころには既に一番建設の進み具合が早いところは屋根の設置工事が始まっていた。
そして、外壁にセメントを塗り始めた。一回生のKちゃんが担当していたが今泉先生が暴走(?)してこのセメント塗り行為自体が「Kちゃんごっこ」と呼ばれ始めた。
全くもって意味不明で笑えた。(笑)しかもそこにいたメンバーまでもが「Kちゃんごっこしてくるわ〜」といってセメントを塗り始めた(笑

作業をして4時くらいになっただろうか。何やらサイトの向こうの方から知っている顔の人が近づいて来た。
なんと、ハビ卒業生、志垣さん、ミンドロ島(マニラのすぐ南の島)でボランティアワークをなさっているOBの方だ。
まさかこんなところで再会できるとは。僕は感動した。
彼の話によると、ここまで来るのに3日かかったらしい^^;まず、ミンドロからマニラに行きつくのに一日。
飛行機の時間が合わずホテルで一泊、そして3日目に飛行機に乗ってネグロス島までたどり着けたそうな。いやはや、日本の常識が通じない。
とりあえず一緒に仕事をし、作業終了間際にはホースから水をかけあって遊んだ。ここで標的になったのはもちろんスミダさんだった。。。。。


夕食も終わり、その後はシリマン大学パントマイム部によるショーが始まった。だが内容はキリスト教のもの。
ちょっと馴染みが無い我々には新鮮だった。
国、アイデンティティとして宗教を持つのも悪くは無い。逆に日本人に足りないものはジャストそれなのである。


そして、なにやらオカマらしき人がやってきた。
彼がオカマのローランド本人だったのだ
それが終わって家でくつろごうと思ったら、ステイ先の家は今日はお父さんが今夜は不在らしく、みんなが集まってきた。
その中に、なんか美白の男が居た。まさしくコイツがオカマのローランドだったのである。
彼は僕がサイトに来た当時から僕を狙っていたらしく、僕のアゴを撫でて来たり膝を触って来たり、まさにセクハラ並の攻撃^^;
怖ぇよ〜〜〜おか〜〜〜さ〜〜〜ん(×_×;)って感じ。これはこれでマジでびびった。しかも今彼氏と喧嘩中で結構機嫌が悪い。俺

のケツの穴を掘るつもりなのか??やめてくれぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!頼むから、尻穴だけは勘弁してくれ。
男女両方とも適応可能な体にはなりたくない。ほんとそう思った1夜でした。はい。

紫垣さんによると、フィリピンには遺伝的にオカマが多いらしい。それと、人口増加食い止めの策としてオカマが注目されているらしいとの噂も聞いた。
フィリピンにはもう一回作業しに行きたいが、とりあえずオカマが怖いので今度の春は見合わせておくつもりではある。



今泉組全員逮捕?

いよいよ現地での作業最終日となった。今日はいよいよ完成式がある日だ。果たして家は完成するのだろうか?

今日も相変わらず暑い。フィリピンは現在雨季。今日も朝からせっせとセメントを捏ねて捏ねて、運んで流し込んでといった作業が延々と続く。
しかし疑問に思う。普段はめちゃめちゃ啓蒙やら勉強会やらやっている連中が何故こうもここまで現場では体育会系になりきれる?
僕にはメンバーの日常と現場でのギャップに驚いた。(特にN田君)

個人的にはそれがすごく厭でもあった。
ミーティングで理屈をゴねてるしか能力の無い連中に肉体面でも先を越されるのがある意味屈辱であったともいえる。
自分はスケーターであるという自己同一性が崩れていった。

今泉先生はあいかわらづ暴走中。原付を乗りまわして遊んだり、適当に昼ねをなさっていた。フィリピンの人も良い感じ。
特に今泉先生は普段キリスト教学の怖い(?)先生として恐れられている(?)だけに先生の普段とのギャップは
たまらなくおかしかった。これは一緒にフィリピンに行かなければ分からないだろう。
僕は休憩時間中デニスとタバコを吸いまくり、スケベ談義に花がさいていた。彼はグレートスケベ、俺はグレートヘンタイだ。
あと、コーラも沢山飲んでいたような気がする。
もっと肌を黒くしようとして昼寝をしていたらステイ先のロウェンナに変な顔をされた。フィリピンの人はみんな元から黒いので日焼けの習慣自体無い。
寝不足なのか?と聞かれたので「肌が白いから焼いてるんだ」と言うと「Oh.You have boiled skin ha!」(茹でたような皮膚だね、笑)と笑われる(涙

途中トイレに行ったら一回生の誰かさんが「尿がひるむほど黄色い(゚O゚;)!」と叫んでいたと聞いて爆笑した。リポビタンDでも飲んだのか、お前は(笑
作業は続いた。セメント作成作業も下境になってきたので家の前をスコップで掘り、一回生が運んで来た土を引いて地面をならしていく。
3時頃になってようやく家の一軒が完成。そのまま予定通り4時から落成式(Dedication)が始まった。
ドゥマゲッティ市長がサイトに来た。そして、牧師さんもいらっしゃった。みんなで家を手を繋いで囲み、お祈り。その後は聖歌をみんなで歌う。
そして入居予定一家に鍵の手渡し。その後は、我々への感謝状の手渡しとなった。
まるで卒業式のような雰囲気だった。さわやかな達成感を感じた。その後、みんなで記念撮影。今日で作業は終了。
ほぼ土台しか出来あがっていなかった段階から始めたのだから、かなりの成果といえるだろう。
ただ、今回のサイトは、森の中にあり、陽射しはキツイが木陰はかなり涼しくすごしやすかった。
だが、次から上が原が担当するマニラ市内のサイトは回りはアスファルト、そして木など生えていない。やはり作業するならドゥマゲッティ?(爆


今回のGVワークキャンプの作業日程は全て終わりを迎えた。だが、我々がフィリピンを離れるまで2日ある。御楽しみイベントはこれからだ。

夜は作業の打ち上げでネグロス唯一の中華料理屋へ。だが、我々が乗って行ったのはなんとパトカー(笑)
ジプニーバスタイプのパトカーだ。まるで護送車である。後ろにはデニスやローランドの弟がぶら下がっている。
まさに今泉組全員逮捕って感じだった.(一部メンバーは通常ジプニーで移動。)
中華料理屋では初めて飲んだ。サンミゲールというフィリピン独特のビールだ。黒ビールみたいな感じと言えば良いだろうか。
一回生の何人かはかなり酔っていた。さすがに俺は酒に弱いので一本で止めたが、かなりフラフラしていた。

メニューは中華スープ、唐揚げ、チャーハン、魚>゚)))彡の油通しあんかけ、八宝菜、デザート盛り合わせ(スイカやマンゴーなど)
などなど。味付けはフィリピン人向けといった感じがしたがまぁまぁの美味。チャーハンをかなり食った。美味かった。
その後、警察の護送車でそのままドゥマゲッティ繁華街を散歩。最初は何かの記念公園。ローランドの弟と遊具やジャングルジムで遊んだ(笑 
そのまま海岸へ。カップルが多い。ロウェンナが「ここらへんにはディスコ、カラオケ、ネットカフェ、
フィリピンの若者が関心を持つ全ての施設がここに揃っていると教えてくれた。まぁ神戸で例えればハーバーランドみたいな感じだろう。
と、ロウェンナと雑談していると海辺に下りていたメンバーと先生が爆笑しだした。

なんと、スミスミが半裸で水泳を始めたのである(苦笑 まさにGVで伝説に残るハプニングだ。ほんとに泳いでいた。現地人もスミスミを見て笑っていた。

後日、先生によるとあそこは港の中でもかなり汚い場所で、溝鼠の巣が近くにあったそうだ^^;

スミスミは次の日強烈な下痢におそわれたらしい。ご愁傷様です。

そのご 我々はパトカーとジプニーで村まで引き返した。そのころには皆酔いも覚めていた。
星がとても綺麗だった。天の川までちゃんと見えた。絶対日本では御目にかかれない星の美しさだった。
また、この星空を眺めたいと思った。



のさよならパーティ

フィリピン、ネグロス島ドゥマゲッティにおけるワークは全て終了した。ドゥマゲッティでの残された日は後一日。
いつもの時間に起床。午前中は完全自由時間。
男の大半はバスケをしていたらしいが、
僕はキャサリン家(永田君のステイ先)で、デニスとキャサリンとスミスミとロウェンナと今日のさよならパーティに向けてひたすらダンス特訓をしていた。
しかし、何故に俺は連日連夜ダンスの練習ばっかりしているんだろう。。。ふとそんな思いが頭をよぎる。
1時間も踊ると、汗びっしょりになってきた。休憩しているとキャサリンがマイクを持って来た。

日本語でドラゴンボールZの主題歌を歌って欲しいという。恥ずかしさもあったが僕はマイクに向かってアカペラで熱唱してしまった。(笑
ある意味変なものが村に残ってしまった。だが、これのおかげで僕は夜大暴走する事になる。

昼前には運動場で、今日のパーティで食われる予定の豚の血抜き式が始まっていた。
僕は、豚の丸焼きを甘く見ていたのかもしれない。あとでつくづく思う。

昼はドゥマゲッティ市内に買い物にみんなで出かけた。デパートがあるのだ。そのまえに、フィリピンドレスの御買い物。
フィリピンに行ったら、絶対フィリピンドレスを購入すべきである。肩の部分は丈夫な方が良い。
それほどくびれていないほうが逆にセクシーでもある。日本で良くあるようなハイビスカスプリントタイプのほうがよい。(染めタイプは色落ちが早い)


デパートでは万引き防止の為入り口で荷物を預けなくてはならない。日本のどこそこの巨大古本屋と同じシステムだ。
僕はフィリピンドレスを2着購入。が、デパートではあまり物を買わなかった。日本でも手に入りそうなものがいっぱい並んで居たからである。
例えば、香水はドル換算すれば日本とほぼ同じ値段である。おもちゃもプレステも日本にある。
スミスミはFF567のコピー海賊板を購入していたが日本のプレステで果たして起動するのであろうか。
レストランで大盛アイスパフェを食す。バリ美味。その裏にはゲーセンが。なんと、ファイナルファイトの昔の機体があるではないか(笑)

やろうとおもったけどやっているとメンバーの行動から取り残されそうだったので控えた。
その後は、民芸品の店に移動。置物2つと激安アクセを購入。現在日本で流行しているアジア風のアクセが30円くらいからある。

もちろん大量購入。ネックレスの大半は今現在も愛用中。
置物は、樽の人形だった。樽を引っこ抜くとチンコがでてくる例のやつである。うちのじいちゃんも持っている。(笑)

その後は、先生のおごりでローストチキンを間食。これまた美味い。ケンタッキーの比ではない。

なんつったって街頭でそのまま焼いてるのを出してくれるんだから。鶏肉に感謝感激。


村に帰ると、盛大な食事が始まった。
豚の丸焼きに村の人は盛り上がる。今泉先生は焼きあがった豚に眼鏡をかけて写真を撮っている(汗
だが、この豚の丸焼きに問題があった。まず、塩気が足らなかった。フィリピンで豚肉を食う場合は唐辛子を入れた中国黒圖につけて食うのだが、
日本人にとってこの味付けはどうも口に合わない。

かつ、内臓部分に野菜を詰めて焼いた為、油が全然落ちていなかった。3切れ目で僕はギブアップしてしまった。脂っこすぎて気持ち悪くなった。
春雨やスープばっかり食べていた。ただ、豚の香ばしく焼けた皮はとても.美味しかったが。
そして極めつけのショッキング。誰かさんが、「豚の舌くってみ、美味いで」というので僕とハルさんが齧った。。


ところが。。。。。。。。。豚の舌を見ると、なにやら黄色いものが。良く見ると、ハエの卵とハエの死骸だった。思わず吐きだした。
あれほどショッキングな事は初めてだった。当分豚の丸焼きは食えそうに無い。今でも思い出すと気持ち悪い。。。

そして、最後のダンスナイトが幕を開けた。まず、タイタニックの主題歌から始まり、その後、村のダンスチームによるブレイクダンス披露。

みんなうちらとほぼ同い年。めちゃくちゃ上手い。ダンスレベルはスマップを超えている。その正確さは、紅白歌合戦にでているMAXのようにピタリとそろっている。

突然、キャサリンとノラ(お母さん)から話を受けた。5分後にドラゴンボールを歌ってくれないか、と。。断るのも失礼だと思ったので、受けることにした。
すると、いきなりステージ上に引っ張り出された。これは歌うしかない。影山ヒロノブさん、ごめんなさい。「光る 雲を突き抜け Fly Away....」と歌った。

そんなに歌は得意では無い。GVメンバーはこれをどうおもっただろう。はずかし〜〜〜〜^^;僕もくだらない伝説を作ってしまったものだ。
影山ヒロノブさん、著作権を侵害してまことに申し訳無いです。


その後はめちゃめちゃだった。次に村の女の子が歌いだしたのであったが、僕と一回生数人がステージに乱入し、女の子の手首にキス攻撃。
(笑 その時端にいったハガっちがステージが押し出されて落ちた。彼がこのパーティのMVPとなった(笑
そして、パーティも終盤にさしかかってきたころ、僕とキャサリンとスミスミ数人で朝にやったダンスの発表となったが、出来はめちゃめちゃだった。
そして、そのまま夜11頃までディスコタイムになった。
やはり僕にとっては社交ダンスは難しく、女の子と折り合いがつかない。しまいにはレクチャーしてもらう羽目になった。
そして、キャサリンとオカマのローランドと5人くらいでミニゲームをして、語り合い、最後の夜は更けて行った。

ローランドは次の日仕事があるので朝早くに私達を空港に見送れないということで、かなりさびしそうにしていた。
だが、彼氏と仲直りしたらしいので、どうやら僕の尻の穴は処女のままですみそうになりそうだ。

キャサリンが思い出ににいっぱいアクセサリー小物をくれた。オカマのローランドはずっと僕のそばにいた。

明日は4時半起床ということでかなり眠い。飛行機は7時だ。いよいよ日本に向けて帰る時が近づいて来た。



別れ、そして2度目のマニラ見学

ロウェンナにたたき起こされた。時間は4時40分(日本時間5時40分)朝食がもうすぐ始る。飛行機は7時20分に離陸だから
7時前には空港に着かなければならない。ロウェンナはキャサリンと徹夜で起きていてくれたらしい。

ご飯を食べると、すぐにお別れの時間となった。だいたい6時半前だったと思う。なんか無性に涙が出てきた。まさか、ここまで泣くとは思って無かったのである。
卒業式でも全く泣かなかった男がここまで泣くとは(ToT)。。。まさにウルルン滞在記そのものだった。村のパパさんと抱き合い、みんなそろったとこで空港へ出発。

みんな泣き顔。フィリピンへの愛着が沸いた。

30分ほどでジプニーはドゥマゲッティ空港に到着した。ここで本当にお別れ。ロウェンナと抱き合って泣いた。

まさに卒業式。その他、キャサリンには「結婚して」とまで言われたがちょっと無理だった(汗)デニスともお別れ。本当に良い経験ができたと思う。
またくるぞぉ〜〜〜〜〜フィリピン。でもオカマが怖い(汗(×_×;)

空港は質素な建物で、荷物検査のチェックはなんと手持ちの金属探知機でやっている。X線ゲートが存在しないのだ。まさにローカル。
さすがに搭乗の時のゲートはX線ゲートだったが。
搭乗時刻になり、タラップまで滑走路を歩く。すると、村のみんなが柵の前にいるではないか。また感動してウルウル。
もういっかいみんなと手を繋ぎ、別れを惜しみ、そしてタラップを上って行った。飛行機に乗り込む。そして、離陸。窓を見ると、柵の向こうに村の人が一瞬見えた。
そして、離陸。泳いだビーチが見えた。そして飛行機はマニラに向けて高度を上げて行く。

気が付かないうちに寝ていた。機内食で起こされた。米と豚肉の油通しらしきものが出た。調味料は黒酢。しかも肉固い。美味いものではなかった。

そして2回目のマニラ到着。あさ8時半に到着。ハビタットマニラオフィスのラフィーさんを待つ事に。空港を出て大体9時に車で迎えに来てくれるはずなのに、車は一行に来ない。

痺れを切らして今泉先生がラフィーさんに電話すると、ラフィーさんは「渋滞がヒドイ」との応答。確かに、マニラ市内にあるLRTはスト中。渋滞がいつもよりひどいのだ。
それから10分後くらいにラフィーさんが到着。一同車に乗りこむ。

ラフィーさんが「何処に行きたいか」というと今泉先生が「スラムをあんないしてくれ」と応答。その後、僕達は生まれて始めてスラムというものをまのあたりにする事になる。

そこはブルジョワジーに育てられた僕にとっては、あまりに過酷なところだった。

川は生活排水でものすごく汚れ、人々の家もバラック造り。さらに道端で女の子がおしっこをしている(汗)
人のものと思われるうんこも転がっている(激汗)ここはさすがに写真に撮るわけにはいかなかった。ここの人達に失礼だ。
道端では別の女の子が風呂というか行水をして体を洗っている。
僕らは、このような人達を救う為に、家を建ててきたのだ。しかし、まだまだその数は不足しているように思われる。これからも頑張らなくては。うん。

その次は上ケ原ハビタットの夏の作業地に向かった。(名前は忘れました^^;)相変わらず大渋滞。皆車の中で爆睡。40分ほどしただろうか、ジプニータイプのバスの製造所に着いた。
ここはマニラ市内での一応観光スポットらしい。物売りが模型をもって寄って来るが皆シカト。
バスはなんか脆そうな感じだった。適当に溶接して組み立てエンジンをはめ込んでる、といった感じだった。日本車の造りのすばらしさと比較すると、どうも心もとない。
そして、出発。上ケ原ハビの担当サイトにはすぐ到着した。みんな疲れているせいか、結構ぐったりしている。


そこのサイトは、マニラ市内というだけあってか、私達がドゥマゲッティで建てたものよりもしっかりしている。しかも全戸ロフト構造だ。すげぇ〜(@_@) 
ただ、気になったのは、ここはマニラ市内であり、回りには木など生えていない。
晴れていれば常にきつい陽射しが当たることになるだろう、ここで作業するのは、ちょっとドゥマゲッティに比べてキツそうだ。
僕ら三田の人間は、疲れたらヤシの木の下でのほほんとコーラを飲んでいたのだから。。。。。。。
今泉先生が、「ここを見たらジェネラルサントスを思い出すなぁ。こう最初から掘りをほって、建てて。。。。」と言っていた。
サイトの裏は、スラムになっていた。バロック小屋の風景が延々と続く。

そして、マニラのショッピングモールに移動。ここは去年爆弾テロがあったらしく(汗)、ボディチェックを受ける。2時間ほどフリータイム。とりあえず飯を食いに行く。
なんか巨大なダイエーって感じの高級フードコート。特大ステーキを95ペソ(約400円)で食べた。
洋服関係は日本でも売っているものばかり。ナイキにアディダス。。。エアマックスも日本より若干安い程度でしかない。
フィリピンの民芸品コーナーに移動。ここでトートバッグ,と、ランチョンマットを購入。フィリピンの垂れ幕も買った。

集合まで時間があったので、ゲーセンコーナーへ。鉄拳3とかバンパイアハンターが稼動している。しかもモロ日本語で(笑
なつかしのタイムクライシス1があった。プレイする。ステージ2の前半で撃沈。(笑
アイスクリームを食べ、いよいよマニラ国際空港へ向かう。30分ほどで空港に着いた。いよいよラフィーさんともお別れ。
ここで、引率の大江先生がマニラの友人宅に向かう為お別れ。そして、空港内へ。

空港で両替をすませ、チェックイン。空港使用料は13USドル相当。先に両替をしてしまったのでタバコを買うのに四苦八苦。
釣りがドルオンリーだったからだ。
しかしドライマンゴーは高い。1800円もする。今度はドルで買い物しよう。
香水も安かったが次に使おうと思ってるブルガリブラックが置いて無いので速攻退出。
無事タバコも買い、マンゴー生搾りジュースも飲み、タイ航空で帰路についた。


機内食の時モロ爆睡していて(酒を飲んだため)、また機内食でたたき起こされた。今回はシーフード。油っ濃いも野ばかり口にしていた一週間だったのでこの機内食は美味かった。
人息ついているともう着陸案内。3時間半もかかっていない。外をみると明かりが。多分和歌山市内の明かりだろう。
そして、関空に無事、着陸。
ところが、これで終わりでは無かった。僕が検疫に引っかかったのだ。医者に診てもらう。とりあえずは異常無しとのこと。ただし、みんなを15分ほど待たせてしまった。。。。


そして、尼崎行きのバスにのり、先生に武庫之荘まで送ってもらった。そして、阪急を逆瀬川まで乗り継ぎ、無事帰宅した.




ここでは、私が体験したエコ・ハビタットというNGO団体のフィリピンにおけるボランティアワークの経験を紹介します。
フィリピンには2000年度、2001年度と同じ場所にほぼ同じ日程で2回訪れていますが、ここでは思い入れの強い2000年度の活動をテキストに
記しました。ただし、写真は2001年度の再訪問の時のものです。
2001年度にも同じ場所を訪問しましたが、体験の濃さでは2000年度のほうが上と個人的に判断したので、このように2000年度版をここに載せています。
ここで登場するデニス、オカマのローランド、キャサリン、メリージェーンは皆元気でした。
唯一ロウェンナがセブ島で就職が決まったということでセブの方へ引っ越したそうです。
ご了承ください。